第053話●○つかめない何か
未亜はこれまでで一番多忙な毎日になっている。通常の仕事のほかに4thアルバムの収録とジャケット撮影、さらには横浜公演のセトリが全面変更して、流れを憶え直したり、未披露曲のレッスンが追加されたりで7時頃出かけて23時、遅いと25時くらいに帰ってくるような生活が続いている。体力的に大丈夫なのか心配になるのだけど、本人として気力十分でやる気に満ちているので体力面でのフォローをしていこうと思う。
そんなこんなであっという間に福岡の前々日となった。札幌の時と同じく羽田空港の中にある羽田ワードホテル東鉄に泊まっている。未亜は今日も23時過ぎまで赤坂の
太田さんの営業マジックなのか、マツノキ出版だけでなく、同じく総合出版社として名高い
21時過ぎまで原稿をこなしてから羽田空港の中で晩ご飯を食べて赤坂へ向かう。今日も未亜はテレビ局の仕出し弁当を食べているはずだ。23時半少し前に赤坂に着いて、CBSの正面玄関車寄せで待機していると未亜が出てくるのが見えた。
「本当にいつもありがとう。」
「うん、じゃあ、羽田行くか。」
CBSは正面玄関でタクシーが客待ちをしていることが多いので呼び出さなくてもいいのが楽だ。二人で乗り込んで羽田へ向かう。
「お客さん、すいません、ナビ見ると芝公園で事故渋滞してるんで、池尻から中央環状でもいいですかね?」
「はい、それでお願いします。」
運転手さんがけっこう律儀な人だ。
「私にはちんぷんかんぷんだけどそれで判るんだから圭司ってすごいよね。」
「出かけるのが好きだからなんとなく地理が頭に入っているだけだよ。」
「それにしてもだよー。」
タクシーは赤坂通りから乃木坂を抜け、六本木通りを西へ向かう。
「このところずっと仕出し弁当がディナーだけど、飽きそうだな。」
「私も最初はそう思ってたんだけど、番組によってけっこう出てくるお弁当が違うんだよね。」
「へえ、そうなんだ。」
「うん、けっこうピンキリで、同じテレビ局でもコンビニ弁当みたいなものからかなりしっかりとした松花堂弁当みたいなのまであるよ。」
「縁のない世界だから面白いなあ。」
「ねえ、私もこんなことになるなんて思わなかったよー。」
「未亜だったら何もなくてもいまみたいになっていたと思うけどなあ。」
「それはファンとしてのひいき目だと思うよ。圭司と出会って、間違いなく私はいい方向に進めてる。感謝しかないよ。」
「そういってくれると嬉しいけどな。」
タクシーは渋谷の入り口から羽田へ向けて深夜の首都高をひた走る。
「わあ、トンネルから地上に出てくるとなんかすごいね。」
「本当にすごいなあ。」
湾岸線を抜けたタクシーは羽田空港のタクシー降車場にたどり着く。未亜が金額などを書いたタクシーチケットを渡し、ホテルの部屋へ入る。
「札幌の時と同じで先にシャワーを浴びちゃうといいよ。眠かったら寝てていいからな。」
「うん、ありがと!先浴びちゃうね。」
●○●○●○●○●○●○●○
私がシャワーから出ると圭司が入れ替わりでシャワーを浴びる。最近感じている漠然としたもやもやを抱えながら、なんとなく圭司と話がしたくて部屋に置いてある椅子に座ってぼんやりする。
「未亜、起きていて大丈夫なのか?」
圭司がシャワーから出てきたみたいだ。
「あー、うん、ちょっと圭司と話をしたくて。」
「そか、何でも聴くよ。」
「今回のライブツアーは圭司に頼りっぱなしで本当にありがとうね。」
「そんなこと気にしなくていいよ。大切な人が頑張っているときに手助けをしたいって思うのは普通のことだろ?」
そう、そうやって、圭司はいつでも私のことを考えて先回りをして何でもやってくれる。相談をすると適切な回答をぱっとくれる。それは当たり前のようで当たり前ではないこと。私が圭司と知り合った最初の頃はむしろそういう所に惹かれて好きになった。でも、少しずつ積み重なってきた違和感があってついこんなことを聞きたくなる。
「私って頼りないかな?」
「というと?」
「私ばっかり頼ってばかりで、私は圭司になにもできていなくて。圭司から仕事の相談をしてもらうこともないし。」
「頼りないなんてことはないよ。たまたま今まで特に相談することがなかっただけだよ。」
「私はもう少し関係も進めたいなあと思っているけど……。」
「それは前にもいっただろ。初めては大事だよ。ちゃんと考えないとダメだよ。」
そこに至る前段階とかもあると思うのだけど、一番先まで話を持って行っちゃう……。少し話の方向性を変えてみようかな。
「……圭司ってなんか同い年って思えないくらいすごい大人に感じるんだけど、どんな勉強とかしたらそんな感じになれるのかな?」
「うーん、特別なことは特にしてないつもりなんだけどなあ。何か気になることはあった?」
「気になるっていうか、圭司って常に私のことを最優先で考えてくれて、先回りしていろいろとやってくれて。私はそこまで出来ないからなんか自分が子どもに思えてきちゃって。」
「そうかな?芸能界っていう世界でこれだけ頑張っている未亜は十二分にすごいと思うけど。」
「そうかなあ。圭司と同じように私も中学から高校までエスカレートだったけど、そんなにすごくないよ。」
「いや、俺は高校からだよ。」
友達の彼氏は
「えっ、
「高校も少しだけ募集しているんだよ。それで受験して入学したんだ。」
「そうか、
「あっ、もう25時近いぞ。寝ないと明日に響くぞ。」
そういうと圭司は自分も布団に入って、私にも寝るように促す。どうしてわざわざ高校から中高一貫が前提の所に入学したのかとか、もう少し話をしたかったんだけど、なんとなくはぐらかされてしまった……。でも、圭司がいうことも正しいので私は素直に布団へ入る。
圭司は、私の体調や考え、周囲の状況、太田さんがやろうとしていることについて、先回りして気がつき、行動に移す。私のことについては常に私に相談してくれるし、必要に応じて太田さんにも相談しているようだ。私も圭司には相談しやすいからいろいろと相談に乗ってもらっている。だから不満なんてみじんもない。
でも、圭司は自分のことをほとんど自分だけで決めている。私に報告はしてくれても相談をしてくれることはほとんどない。そして、プライベートを自分から話すことがほぼないことに気がついた。今の高校受験の話もそうだし、百合ちゃんのことだって同棲のお願いのために圭司の実家へ行った時に初めて存在を知ったくらいだ。そういえば、キスもいつも私からばかりで、圭司からされたことがない……。
もちろん、私や太田さんのことを信用してくれているのは態度や対応から理解しているし、私のことを大事にしてくれていることもよくわかっている。だけど、何か一枚真っ黒な薄い膜で自分の周りを覆って、自分を見せず他の人を立ち入らせない、心の奥底を見せる関係に持ち込まない、そんな空気感がある。とても大事にされていることを実感しているからこそ、その薄い膜が何なのか、もやもやが拭えない。
おそらく、圭司は何かを抱えている。このツアーで私の圭司への思いが深くなり、そして圭司が私に対していろいろしてくれたことで、それは見えてきた。ただ、抱えているものが何か、それが全く見えず、つかめない。
きっとあまりに忙しくて気持ちに余裕がないからこんなマイナス思考になっているんだと思うけど、大阪の時の大山さんと圭司のやりとりを思い出すとそれだけではない何か、つかめない何かがある。ツアーが終わったら太田さんに相談してもいいのかもしれない。
そんなことを考えながら私は知らないうちに眠りの世界へと誘われていた……。
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