第42話 また来よう


「楽しそうね、二人とも」


 奏さんが戻ってきた。


 存分に遊泳して満足したのか、奏さんもどこかスッキリした様子だ。


「来てよかったでしょう?」


 返答はわかっていると言わんばかりに尋ねてくる奏さん。


「ああ、控えめに言って最高だよ。連れてきてくれてありがとう、奏さん」

「気にしないで。一人だったら絶対に来なかったから、むしろ私が二人に感謝してるわ」


 奏さんがにっこりと笑う。

 営業スマイルではない、心から湧き出た感謝の笑顔だ。


「やっぱり人間、120日に一回くらいはこうやって息抜きしないとね」

「週に2日ちゃんと休んで」

「それは無理な話ね。抱えているクライアントの数が膨大だし、いつ上司から電話がかかってくるかわからないし、私が稼働しなかったら止まるプロジェクトがいくつもあって、たくさんの人に迷惑かけちゃうから迂闊に休めないの。今日だって、180日前から入念な根回しをして、やっと獲得できた休日なのだから」

「大人になるのが怖くなってきた」

「いいの? そんな貴重なお休みを、私たちなんかと過ごすのに使って」

「いいのいいの。ひとりだと絶対、プロジェクトの進捗が気になってロクに休めないし、それに……」


 遠い水平線の方に目線をやってから、奏さんは言った。


「なんだか、二人を見ていると思い出すの。自分のやりたいことを、やりたいようにやっていた、無敵の高校時代を。なんだかそれが、とても気持ちいいのよ」


 懐かしむように細められた瞳にはおそらく、奏さんが高校時代に熱中していたピアノに関する記憶が映っているのだろう。


 感傷的な空気は、一瞬だった。


「私のようなつまんない大人には、くれぐれもならないでね」

 

 奏さんが向き直って、俺と七瀬の頭の上にぽんっと手を置いて言った。

 

切実な想いが込められているように感じた。

 俺は、何も返せなかった。


 まだ高校生の俺が何か返したところで軽いものになる。そう思って。


 対する七瀬は、一度口を開いて、閉じた。

 何を言おうとしたんだろう。


「さてさて、撤退までの残り少ない時間、思い切り遊ぶわよ。そーおれっ」


 ばしゃばしゃっ!! 


「きゃっ……」


 再び旅奏さんが水鉄砲を七瀬に放った。


「ま、またっ、やったわね?」


 ざぶーん! 今度は負けじと、七瀬が反撃に応じた。


 そこから行われた攻防戦は特筆すべき事もないので割愛する。

 三人とも小学生みたいにはしゃいで、とにかく楽しかったという一言で語るには十分だ。


 海水浴に来てきっかり1時間半。俺たちは沖縄の海を堪能した。


「さて、フライトに間に合うようにそろそろ帰りますか」


 奏さんの一声で、海納となった。


 海水でベトベトになった身体は地上では重く、自然から文明社会に帰ることを拒否しているように感じた。


「どうしたんだ、七瀬?」


 海から上がった七瀬が名残惜しそうに水平線を眺めていたので、尋ねる。


「別に、大したことないわ。……ここから見える夕陽は、とても綺麗なんだろうなって」

「ああ……好きだもんな、夕陽」


 今は午後の4時。

 夕日を拝むにはあと、2時間くらい必要だ。


「またくればいいじゃないか」


 ぽん、と七瀬の頭を撫でる。

 たっぷり海に浸かったからか、とても湿っぽい。


 七瀬の心情みたいだと思った。


「……またが、あればね」


 七瀬のその呟きに、俺は胸をピリリとした痛みを覚えた。


 その痛みを和らげるように、七瀬のぽんぽんと撫でる。


「どさくさに紛れて頭撫でるようになってるけど、許可した覚えはないわよ?」

「はいすみません」


 秒で謝ると、七瀬は「バカね」と勝ち誇った笑みを浮かべた。


 また、絶対に、七瀬と一緒に沖縄に来よう。


 そう、俺は誓った。

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