第13話 熱海のぷりん


 温泉を堪能した後、「甘いものが食べたいわ」と言う七瀬の言葉に禿同し、駅前の商店街にやってきた。


 平和通り名店街というらしく、お土産屋さんやレトロな喫茶店など目を楽しませてくれるお店が並んでいる。


 その中から、デカデカと『アタミぷりん』と書かれた看板にビビッときた俺は「ここ絶対うまい!」と七瀬に提案した。


「ちょっと待って、クチコミを調べるわ」


 言って、ぽちぽちとスマホを弄る七瀬。

 本当に合理的だなあと、その徹底ぶりに舌を巻く。


「ここ、このエリアでもトップクラスの有名店みたいね」

「俺の目に狂いはなかったんだな」

「店ソムリエにでもなれば?」

「ミリも需要がなさそうな職業だな」


 その店は、全国的にも有名な熱海名産のぷりんを扱っているらしく、店内は満席に近かった。


 ほどなくして、牛乳瓶に入ったぷりんがやってくる。なんと可愛らしい。


「ローカル感があっていいわね」


 そう言って、ぷりんを口に運んだ七瀬が幸せそうに目を閉じ頬を押さえた。

 ほっぺたが落ちそう、をこれ以上に体現した者はいないだろう。


 感情が隠せてなさすぎて、微笑ましい気持ちになる。


「……何よ?」

「いや、表情がすんごい緩み切ってるなと」

「美味しかったらこうなるの、悪い?」

「見た事ない逆ギレで草」


いやまあ、気持ちはわかるけど……。


「……なんか、意外だなって」

「意外?」

「ほら、七瀬って、学校じゃいつもツンとしてるじゃん? だから、美味しいもの食べて頬を緩ませたり、笑ったりするの、意外だなって」


 言うと、七瀬はぱちぱちと目を瞬かせて、


「そう」


 ゆっくりと顔を伏せた。

 それからスプーンを置いて、ぽつりと言った。


「緩む暇なんて、無かったのよ」

「え?」


 空気が変わる気配を、肌が察知する。


「テストも、かけっこも、ピアノも、美術の発表会も、他者と競争する事に関して、親は私に、一切の妥協を許さなかった。そういう風に結果だけを求められてきたから、人並みに笑う暇も無かったの」


 ──失敗は……許されないの、ほんの小さな事でも。


 脳裏に声がリピートする。

 その言葉のルーツに触れたような気がした。


 ……ああ、なるほど。


 なんとなく、色々と繋がった。


 七瀬がお店選びで必ずネットで評価を調べるのも、瑠花さんの告白を止めようとしたのも、彼女自身、失敗に対して強い抵抗感があるからだろう。


 その感覚に、俺も少なからず共感した。

 ネットを毎日使っていると、嫌でもその感覚に苛まれてしまう。


 つぶやきったーのタイムラインや、ヨーチューブのコメント欄。


 そこでは毎日、誰かが誰かを叩いている。

 リアルで何かをやらかした芸能人、主張の激しいインフルエンサー、モラル的に微妙な発言が意図せずバズってしまった一般人。


 それらを待ってましたと言わんばかりに群がり、匿名を傘に好き放題叩く名無したち。


 間違いは誰にでもある事なのに、間違いが許されない、身の振り方で失敗してはいけないというプレッシャーたるや、身を持って実感している。


 俺が最近、常日頃から感じていた息苦しさの大きな一端でもあった。

 七瀬も、失敗してはいけないという圧を子供の頃からずっと受け続けてきたのだろう。

 

 身を投げようと思うくらいの、圧を。


「でも昨日……全部がもう、どうでも良くなって、全てを投げ出そうとして……今は、ちょっと緩んでしまってるのかも」


 ようやく、七瀬が顔を上げた。どこか空虚で、自嘲気味な笑み。


「俺は……今の七瀬の方が、良いと思うよ」


 針の穴に糸を通すような口調で、俺は言った。

 それ以外の言葉が浮かばなかった。


 時折垣間見える七瀬の、底知れない暗闇に踏み込む語彙の持ち合わせは、今の俺には無かった。


「そう」


 いつものように素っ気なく、七瀬は言った。


 その口角が少しだけ持ち上がっていた、ように見えたのは気のせいかもしれない。


「私の話はいいの。高橋くんも、ぷりん、冷めないうちに食べなさい」


 ぷりんは冷めないでしょ、というツッコミは心の中に留めておく。

 たぶん、話題を変えたかったんだろうから。


 俺は何も言わず、大人しくぷりんを口に運ぶ。

 ぷるんと柔らかい物体が舌に触れてすぐ、強い甘みが味覚を直撃した。


「んっ……」


 スプーンを口に突っ込んだまま、固まってしまう。


 こりゃうまい。

 夢中で堪能していると、不意に七瀬が言った。


「そういえば温泉で、社会に疲れたおっさんみたいな事言ってたわね」

「むぐっ……」

 

 聞こえてたのかよ! 

 

 展望風呂には、俺以外に男客はいなかった。

 しかし同じタイミングで、敷居を隔てた女湯に七瀬が入浴していたのだろう。


 フィルタ無しで漏れ出た全てが聞かれていたと思うと、温泉に入っているわけでもないのに顔が熱くなった。


「そ、そういえばこのぷりん、美味しいな!」

「セロトニンがドバドバ出ているようで、何よりだわ」

「やめて! 話題を変えようとしているのに!」

「昼のお返しよ」


 そう言って、小悪魔めいた笑みを浮かべる七瀬。

 底知れない妖艶さを纏った笑顔に、心臓がぶん殴られたように脈打った。


 ずっと見てたらアカン、これ。


 意識をプリンに戻す。  

 

 うむ、んまい。

 マイドルな甘みとカラメルの苦味が絶妙なハーモニーを……。


「無視なんていい度胸ね」

「もがっ」


 俺のリアクションが不服だったのか、顎を捕まれ強制的に前を向かされる。


 七瀬の顔が至近距離に現れる。

 お風呂上がりだからか、ふわりと嗅いだことのないシャンプーの良い香りが鼻腔をついた。


 やばい、意識が揺れる……あれ?


 気づく。

 

 プリンに近い肌色だったから、よくよく見ないと気づかなかったソレに。


「何? 文句があるならハッキリ言いなさいよ」

「いや、文句じゃないけど……」


 ニマニマと勝ち誇った笑みを浮かべる七瀬に、俺は言った。


「口の端ににぷりん、ついてるぞ」

「っっっ……!?!?」


 ぐしぐしぐし! 


 七瀬が慌てて口元を擦る。

 本日二回目の光景。


「トイレ行ってくる」

「あ、こらっ……」


 昼に引き続き、俺はトイレに逃亡した。

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