第6話

「なんでここが分かったのよ」


顔を伏せながら、アタシは精一杯強がった。あごまで伝っていたのが地面に落ちる。


「警察とか大騒ぎだよ。カリンがいなくなった、って」


顔は見てないけれど、きっといつもみたいにメガネをクイクイやっているのだろう。


「女子高生が誘拐されるなんて、乱暴するためじゃないか。この街でそういう場所って、この先の所が有名だから」

「当たりをつけて来てみたってわけ?いるかどうかも分かんないのに、こんな坂道を?バッカみたい!」


なんでアタシは喧嘩口調なんだ。背も低くて、気も小さくて、天体観測くらいしか趣味のない根暗男に助けられたのがきっと悔しいんだ。差し出された手を見て顔が熱くなったけど、自分で立ち上がれないのが分かっていたから大人しく握ることにした。


「帰ろう」

「あのトンネルを抜けるの?絶対嫌よ!電話して迎えに来てもらってよ!」

「ごめん、慌ててたから、スマホ忘れてきちゃったんだ」


オサムは頭をいて見せた。アタシの恐怖心は少し和らいでいた。それでもトンネルを抜けるには足りない。


「それじゃあ、先に進もうか」

「こんな、どこまで続くか分かんない山道を進むって言うの?」

「そんなことないよ。カリンは、ここがどこだか知ってるはずだよ」

「見覚えないわよ。こんな薄気味悪い所」

「いいから、行こう」


顔全部で不満を現したつもりだったけど、オサムは勝手に歩き始めてしまった。チリチリチリ。自転車の空転する音がとても頼もしく感じる。


「アンタさ、背、伸びた?」

「そんなわけないだろ」



アタシは小学校の時に父の転勤でこの街にやって来た。活発な性格ではあったようだが当時は友達も少なく、休みの日はテレビを観たり部屋でマンガを読んだり、そんなことをして過ごしていた。

ある日の夜。そろそろベッドに入ろうと部屋の電気を消して、ふとカーテンの隙間から外を見た。向かいの家の二階の窓から望遠鏡を構えている人影が見えた。ドラマか何かのお陰で知っていたのか、「のぞきだ」と思った。階段を駆け降りて一階にいた両親に訴えると、その夜は近所を巻き込んだ大騒ぎになった。

小学校2年生のオサムだった。覗きと間違えたことを両親とともに謝りに行って、部屋に入れてもらった時に、壁の大きな星座のポスターを見て天体観測が好きだということを知った。


なぜかせみの声が思い浮かんだ。こんな山の中だから、きっと昼間は騒々しいに違いない。坂道を登って、トンネルを抜けて、夏の思い出を作りに来た人たちを大合唱で迎える蝉たちの声。汗なんか気にしてなくて、たまに吹く風が気持ち良くて、プラネタリウムはすぐ寝ちゃって、オサムが文句を言って――。


「見えてきたよ」


坂道を登り切ったところが急に開けて、懐かしいコンクリートの建物が目の前にあった。

アタシはここに何度も来たことがある。初めてはオサムの親に連れられて、それから中学生になってようやく、2人で。


「久しぶりに来たけど、ぜんぜん変わってないや」


正面玄関の所で、オサムは天文台の看板を指でなぞった。自動ドアの向こうの壁に大きなホワイトボードが掲げられ、行事予定が書き込まれている。


建物を一周して、塀が少し低くデザインされた所。近くのフェンスに一度上って、その塀までジャンプ。街の灯りに向かって塀の上を歩くとだんだん高くなっていって、地続きのように屋上に入ることができる。昔はよく怒られたけど、今は誰にも見つからない。


空を見上げた。あれがはくちょう座、わし座、こと座。


「夏の大三角だけは、アンタの部屋のポスターで覚えたわ」


オサムは屋上に寝ころんでいた。


「大三角より、今日は流星群だよ」


アタシもオサムに並んで横になる。コンクリートはまだ太陽の熱を蓄えていたみたいで、少し温かい。


「七夕伝説の話、してよ」

はた織りの上達を願った年中行事が7月7日だったってだけで、その日に織姫と彦星が会えるっていうのはただのフィクションさ。ベガとアルタイルは14光年も離れてるんだし、距離が縮まったりなんかしないよ」

「さすが根暗ね。ロマンの欠片もない話。そんなのが愛情確認ゲームだって。笑っちゃうわ」

「僕はそんな遊び知らないよ。知ってたのはカリンじゃないか」



2年半くらい前、高校の入学式を控えた春。アタシは公園にオサムを呼び出した。いつもより背伸びしたような格好で、お昼過ぎの待ち合わせ。近所の幼馴染が待ち合わせなんてばかみたいだけど、少しはムードを出してみたかった。

約束の時間を過ぎてもオサムは現れなくて、スマホもつながらない。家に電話しても留守みたいだったから、アタシはひたすら待つしかなかった。ようやくスマホが鳴ったのが夕焼け空になってからだった。


街中の交差点で事故が起きた。人と車のよくある事故。

その日からオサムは、みんなの前から姿を消した。アタシの両親もオサムの両親も、かつてのクラスメイトまでもがまるで彼が死んでしまったかのように振る舞うようになった。

だからアタシは、アタシだけはオサムを生かした。


そんなアタシをオサムはどういう風に見ているんだろう。もしもあの時オサムに会えてたら、アイツは何て言ったんだろう。アイツはアタシのこと、どう思ってたんだろう。


「ねえ、オサム」


星のちらつきを見ながら、胸の辺りにあったものがあふれてしまったかのように声に出た。


返事はない。


夜空のどこというわけでもなく、上だけをじっと見ていた。流れ星が一つ、もう一つ。二つ目はよく見えなかった。


「来てくれてありがとう」


もう何も聞こえなかった。

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