機械の歌

 マヤの拳が握られたのが見えた。目で見るっていうか、眼球に搭載したカメラで補足した、っていうことね。


「……モーリッツが目覚めない理由は、まさに心──感情に関することだと私たちは考えている。機械の歌は、イーファの声には及ばないのよ」

「データ上はあたしの歌はイーファの歌よ。あたしには何も問題はない。同じことを何度も言わせないで」


 殴るのかしら、って思ったけれど、マヤはあくまで言葉であたしを諭そうとしてる。あたしは痛みを感じないから、何をしたって構わないのに。大体、あたしと話をしたら、マヤはますます機嫌を損ねて声を荒げるのでしょうに。ほら、口を大きく開けるから、ほうれい線がくっきり浮き上がってしまったじゃない。


「そう言い切ること自体が機械の限界を物語っている! 人の心を動かす情感は、データには現れないところに滲み出るのよ」

「でも、貴女たちにはあたしの歌の、一ヘルツ単位での違いは分からないじゃない。心がこもっているかそうでないか、どこでどう判断するの?」


 困惑してる、って示すために、あたしは行儀悪く脚を組み替えた。イーファがしてたのとそっくり同じように、すらりと長い脚の線を見せつけて。同時に大げさに肩を竦めて両手を広げてみせると、マヤは忌々しそうに唇を歪めた。


「それができれば苦労しないわ。十体も失敗したりしない……!」


 そうね、あたしは十一号エルフ一号アインスから十号ツェーンまで、イーファをなぞり切れなかった姉妹たちが過去にはいたみたい。イーファになれずに破棄された姉妹たちはお気の毒。

 でも、あたしは違うわ。イーファの姿、声、仕草、発言、思想──残されたデータは、すべてあたしに組み込まれたもの。そのうえで、彼女がどう考えてどう振る舞うか、操り人形マリオネットに演技をさせるのではなくて、自律的な思考と行動を再現できる。あたしはイーファ自身なの。とうに完成しているのよ。


 なのにマヤはあたしを哀れみの目で見てくる。何にも分かっていないのね、って蔑みも混ぜて。ねえ、でも、感情のない機械の割には、あたしってずいぶん彼女のが分かってるんじゃないかしら。


「モーリッツとイーファは愛し合っていた。愛する人の呼びかけは、ほかの人間とはまるで違うのよ。貴女はまだ彼を愛していない。だから彼は目覚めないの」

「でも、貴女だって彼を愛しているのよね? どうして貴女じゃダメなの?」

「愛しても報われないことはあるわ。貴女はそれも知らないのね」


 確かにイーファは報われないことなんて知らなかった。歌は、愛した分だけ応えてくれたもの。高く低く、響かせるのも、囁くような吐息でも。鳥のように虫のように、時には獣の咆哮のように。イーファの声の鮮やかなこと、どんな楽器も叶わなかった。すべて彼女の思うままだった。


 だからイーファにもあたしにも、ほかの女を追いかけて眠りについた夫を健気に待ち続けるマヤの気持ちは分からない。想い人イーファの面影を求め続け、上手いこと目覚めた後はアンドロイドあたしとよろしくやろうと考えたモーリッツなのに。

 夫殺しの嫌疑までかけられて、せっかくの財産もろくに使えなくて、それでも愛し続けるなんてくだらない。どうしてマヤは、こんなに勝ち誇った顔をするのかしら。分からないのは、あたしの性能不足じゃない。イーファはそういう女じゃなかったってことよ。


「映画や本が気に入らないなら、庭を散歩なさい、十一号エルフ。風や日差しや草木の香りを感じて情緒を養うのよ。今なら梔子くちなしが良い香りで──いえ、貴女には匂いは分からなかったわね」


 マヤはこれで嫌味を言ったつもりなの? 彼女もイーファを全然分かっていないじゃない。痛みとか匂いとか、感じられなかったとしてもイーファが気にすると思うのかしら。イーファには歌がすべてだったのよ。幾つかの感覚を失ったとしても、声さえ残っていればイーファは悲しんだりしない。あたしはそれを分かってる。


 歌がすべてだと、あたしはもう何度も言ってるのに!


「嫌よ。意味がない上に歌に関係ないことはしたくない。それよりマヤ、あたしはこの歌を歌ってみたいの。モーリッツも気に入るんじゃないかしら」


 苛立ちを抑えて首を振ると、あたしは動画データを呼び出した。女の子のアバターが踊りながら歌ってるアニメーション。マヤなら子供だましとでも言いそうね。でも、あたしは歌だけを聞いて歌だけを評価する。人間ではなく機械が歌う音楽は、樹脂と金属で造られた身としては興味を持たずにはいられない。人間の舌や肺や声帯に囚われない歌を歌うのはとても楽しそう。というか、あたしならもっと上手くやれると思っちゃう。


「これは、イーファには歌えない。音域が高すぎるでしょう」


 どうかしら、って見ていると、マヤは眉を顰めた。予想できたことだから驚かないけど。続けて何を言うかも、あたしはとうに決めていた。


「そうよ。だからあたしの喉を改良バージョンアップして。今はイーファの声域に合わせているだけで、もっと色々弄れるんでしょ?」

「狂ったの──いえ、故障したの!? 貴女はイーファの歌を歌うために造られたのよ!」


 あたしは喉を反らして笑った。声を転がす笑い声も歌のようなものだから、とても気持ちが良いわ。つまり、あたしが血の通った人間だったとしたら、少し体温と心拍数が上がっていたことでしょう。


「違うわ! あたしはイーファになるために造られたのよ」


 違いが分からないのでしょうね。マヤのぽかんとした顔がおかしかった。教え諭してあげるのは、今度はあたしの番よ。にっこりと美しい微笑みで、懇切丁寧に説明してあげるの。


「ねえ、もしもイーファが生きていて、マヤ、貴女みたいに年を取ったとしたら、どうしていたかしら。イーファなら見た目は気にしないわ。でも、声は衰える。年と共に磨き上げた表現力、なんてお世辞で満足していたかしら。ううん、衰える前だとしても。技術の発達を目の前にしたら、の声帯では物足りなくなったんじゃない?」


 次の言葉を言ったら、マヤはきっと怒るのでしょうね。でも、イーファはいつでも我を通していたわ。面倒が起きるのが分かり切っていても、我慢して呑み込むなんてしなかった。だからあたしも、そうしなくては。

 

「イーファだって同じことを言うわ。絶対に。生身のくびきから逃れて、機械の声を試したい、って!」

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