第85話 冷たく熱い気持ち

 それから10日後。再び5月31日の放課後になり、俺と遥は部室で静かに座っていた。結局、遥とは何も話さずこの期間を過ごしてきたわけだが……。果たして、予告通りこの繰り返しを終わらせることができるのだろうか。俺は内心期待と不安で溢れかえりながらも、隣で静かに休む少女に合わせて黙り続けていた。


 ただひたすら無言で過ごす時間に耐えかねて横に視線を移しても、オレンジ色の長髪は30分前から全く位置を変えていない。俺が何もなく過ごした期間でどれだけ気力をすり減らしたのかと心配になるほど、遥は死んだように全く動かなくなっていた。


 もしかすると、これはダメだったのかもしれないな……。遥もほぼ一周で全て終了させると大胆に予告してしまった手前、失敗したことを伝えるのに気まずさを感じているのだろうか。だとしたら、こちらからそれとなく話しかけるべきか? ………いや、まだだ。ここで信じないでどうする。この一周は遥一人の力で過ごすと決めて、俺もそれに納得したんだ。あっちから結果の報告か援助の要請が来るまで、何もするんじゃない。


 俺は心の中で思考を巡らせるのも嫌になって、無理矢理天板の腕の中に顔を突っ込んでふて寝する。すると、隣から低いうめき声が聞こえてきた。


「ああ、ついにこの日が来ちゃったのね………。嫌な予感が当たっちゃったわ。私、ちゃんとやり遂げれるのかな………?」


 ため息混じりの憂鬱そうな声。その重苦しい雰囲気は、聴覚だけでも十二分に伝わってきた。そうか、ダメだったのか……。


 自分の腕の中で、俺は深く落ち込みながらも、その気持ちをぐっと抑える。


 ……まず意識するべきなのは、生気を失った遥のケアだ。感情を刺激しないように自然に振舞いながらも、それとなく慰めにまわろう。……よし、それだ。それで行こう。


 俺は覚悟を決めて音を立てないように顔を上げると、いつもと同じトーンで会話を切り出そうとする。しかしそれを瞬時に察知したのか遥は突然体を起こし、鋭い目線で動揺する俺と目を合わせた。


「もう、美琴が来る時間? 私……、もうヘロヘロになっちゃってるわ。ここからが一番しんどいっていうのに………」


 そう言いつつも、俺に向けられた少女の顔はほんのり赤みが差すほどの血色の良さで、全く疲れているようには見えなかった。この状態なら、案外気を遣わなくても大丈夫かもしれないな。俺は少し安心して、いつもどおりの調子で会話を仕切り直す。


「今回は、ダメだったみたいだな……。また最初からか?」


「まぁ、そうなるわね……。もうそろそろ抜け出したいところではあるんだけど……」


 そっと近づいてくる高い足音に反応して、遥は廊下に視線を逸らす。その表情は緊張で強ばりながらも再び顔を紅潮させて、甘酸っぱい女子の雰囲気を漂わせていた。

 

「来たみたいだわ。俊、じゃあまた後でね……」


 失敗をしたにしてはそっけない態度で、遥は自ら未来を見据えている。しかし淡白に見せかけた裏には、尋常ではなく大きな感情の起伏があるように感じた。強弱異なる想いの果てに、遥はなにをしようとしてるのか。もはや少し前まで感じていた見せかけの絶望は消え去って、俺はこれから繰り広げられる少女の一挙手一投足を、固唾を飲んで見守っていた。

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