第50話 後悔の霞がかかる

「遥はね………。とても、気が弱くて静かな子だったわ。小学生になってからも教室の隅で本を読んでいるような子で、友達の一人もできやしなかった。でも、そんなあの子も中学生になった時に大きく変わったの。もっと明るくなりたい。それでみんなから慕われるような人になりたいっていきなり言い出して、家でも人と喋る練習を始めて、自分から話しかけれるまでに成長した。そこまでは……、順調だったの…………」


「そこまでは……? 遥になにがあったんですか?」


「……単純に言えば、遥はクラス中の生徒からいじめられた。ほら、中学校になったからって大体は小学校のころから持ち上がりで、メンバーはほとんど変わらないじゃない? だから、小学校の時は一言も喋らなかった遥が突然喋り出した時は、みんなから一斉にいじられるようになったの」


 霞さんは、一旦そこで休憩を入れようと空のグラスを手に取って、そっと握りしめる。感情の高ぶりとともに上昇した体温は、氷を一瞬で溶かして次々と高い音を鳴り響かせた。


「遥も自分がいきなり話したから、いじられるのはしょうがないって明るく話してくれてた。実際、最初の頃はみんな単純に遥のことに興味があっただけで、悪意があったみたいじゃなかったから、私もそんなに気にしてなかったの。でもそこから、ちょっとずつ遥へのいじりはエスカレートしていって、遥自身も少しずつ元気がなくなっていった。その時に私が気づいていれば良かったんだけど……、それも全くできなかった…………」


 霞さんは、言葉を詰まらせ持っていたグラスを震わせる。いたたまれない責任感で澱んだ空気が重くのしかかると、マスターは助太刀するようにそっと口を開いた。


「霞様は、何も悪くありません。あの時は遥様のいじめ以外にも、たくさんの問題が山積みになっていましたから気づけるはずがないのです。ですので……、あまり自身を責めることはおやめになってください………」


「ありがとう。でも、私に責任があることは事実なのよ。マスターも親身になって相談を受けてくれてたけど、あの時の遥には私が必要だった。そうでなきゃ、あの子があんなことをすることもなかったのに…………」


 そこでまた会話は途切れ、霞さんは涙を流す。後悔とそれに伴う悲しみは霞がかかるように店の中に充満し、遥の過去をさらに謎めいたものに変貌させる。もう、誰にもこの場の空気を変えることはできない。そう思ったその瞬間、扉が乱雑に開け放たれた音とともに店内の雰囲気は驚愕へと変わった。


「なにこの空気。お通夜でもやってるの? ……ていうか、やっぱりここにいたのね。一条、私のことに深く関わらないって約束したのに、どうしてアンタはそれを平気で破れるの!?」


 店内にズカズカと上がり込み、仁王立ちで俺を睨むツインテールのツンデレ美少女。さっきまでの暗い話の主人公とは思えない元気の良さは、核心に迫る部分を更に覆い隠すように振り撒かれていた。

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