第50話 ブラックな生活1

 もうすっかり日が落ちて旧校舎の古い蛍光灯の光だけが広がる隷属部の部室。しかし今は数週間前のように和気あいあいと部活をするようなことはせず全員が黙々とキーボードを打ち込んでいた。作業をすることで蓄積される疲労はとうに限界を突破しもはや何も感じなくなっている。だが、そんな風に無理矢理同じ作業をしていると壊れてしまうのが人間の精神というものだ。そして今まさに一人の部員が精神崩壊を起こそうとしていた。


「うわあああああああああああ! 俺は……、俺は一体何をしてるんだ! なんでこんな作業を一週間もぶっ続けでやってるんだ。ダメだ、本当に頭がおかしくなってしまう。誰か助けてくれ!」


 一日に何回か訪れる悠斗の精神崩壊時間。騒音で集中力をそがれるので俺の身体は自動的にキーボードを打つのを止め、モニターから目線を外す。しかし俺以外の二人はもはやそんな時間も無駄にしたくないのか悠斗が叫んでいたとしても黙々と作業を続けていた。誰にも構ってもらえなくなった悠斗は更に大声で、


「おい! 俺がこんなに言ってるのにどうして誰も取り合ってくれないんだよ! そうだ……、俺以外のみんなはもうすでに頭がおかしくなってしまったんだ。そうなんだろ! なあ!?」


「うるさいわね。こんな単純作業を続けたくらいでなんでそんなにおかしくなれるのか逆に聞きたいくらいだわ。そうやって何回も休憩するのは止めないけど自分の仕事はしっかりやってよね。私は泣きついても絶対手伝わないから」


 水蓮寺は無機質な言い方で悠斗を追い込みにかかる。水蓮寺はもうかれこれ十二時間以上休みなく働き続けている。本当に人間とは思えないほどの強靭な精神力と集中力だ。確かに悠斗が泣きつく相手としては確実に適切ではないだろう。悠斗もそれを悟ったらしくそっと桐葉のもとへ近づいていった。


「桐葉ちゃんも休憩なしでもう疲れただろ? 良かったら俺と一緒に飲み物でも買いに行かないか? 俺、もうこんな作業やるの限界でさ……」


「え? 何言ってるんですか? この作業やるのすごく好きですよ。悠斗さんも一緒にやりましょうよ。私こうやって作業するの本当に大好きなんです!」


 桐葉はまるでおもちゃを遊ぶ子供のように満面の笑みで難しそうなプログラミングを続ける。まず高校生では解読することすら難しい緑色の言語配列を猛スピードで打ち込んでいく桐葉も明らかに人間を辞めている。悠斗はまた心が折れたのか直立したまま固まってしまった。


「……諦めろ。ここにはお前を助けてくれるような人間は存在しないんだ。作業から解放されいのなら黙って作業を続けるしかないんだよ」


「そうだな……。だが少しだけこうやっていさせてくれ。すぐに作業には戻るから」


 俺は悠斗の肩を叩いて自分の席へ戻っていく。悠斗は壊れたように力の抜けた顔でじっと蛍光灯を見つめていた。

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