第99話 雨の日の公園
「それじゃあ、いいですか?」
「いつでもいいぞ」
琴葉の言葉と同時に、奏太の体に向けて腕が伸びる。奏太の左肩から腕にかけて重心を乗せた琴葉は、右肩の方に腕を回した。
ひんやりとした指先は、浴衣越しでも冷たさを伝えた。
「あったかい……」
肩に頭を乗せた琴葉は、息を漏らしながら呟く。上腕二頭筋にピシャリと当たる琴葉の胸元からは、心臓の鼓動を感じる。
鼓動を意識してしまえば、奏太も自分の胸に手を当てた。男女でははっきりと違う体の作りで、奏太の方が鼓動を強い。
手の平という事もあるが、それでもリズムは一定だった。
「奏太くんは寒くないですか?」
「寒くない。それに、寒くても琴葉を突き離したりしない」
「そんな事してたら風邪ひいてしまいますよ?」
「俺は風邪なんて引かないから大丈夫」
なんの根拠もない発言をすれば、琴葉は神妙な顔をした後に溜息をついた。
「奏太くんが私のために色々してくれるのは嬉しいですけど、ちゃんと自分も大事にしてください」
説教をしたいのか、琴葉は鋭い眼差しで奏太を見た。今も抱きついてるので、説教というよりは忠告か。
「自分も大事だけど、琴葉の方が優先だろ」
顔が近いので、一つ言葉を発するだけなのに変に緊張してしまう。琴葉の長い睫毛は、自身の心臓の鼓動に揺らされるかのように、小さく動いた。
「似てますね」
「何がだ?」
「私と奏太くんが友達になった時に……、私に初めて友達が出来た時に」
琴葉の言葉を聞いて、奏太は頭の中にある記憶を巡らせた。琴葉と奏太が友達になったのは、今日と同じ雨の日。それも公園だった。
奏太はその日を決して忘れない。何故なら、それは琴葉の瞳に光が灯った日だったから。辛い過去に心身共に悩まされていた琴葉が、人間的にも感受性豊かになり始めた日だから。
その日と一つ異なる点を挙げるとするならば、それは琴葉の心を心配しているか、体を心配しているかだろう。
あの日は雨に濡れた琴葉の心の傷を知り、手を差し伸べた。
今日は雨に濡れた琴葉の体を知り、奏太が手を回された。
決定的な違いはあるものの、似たシチュエーションとかなり再現度の高い情景は、琴葉同様、奏太も懐かしさを感じた。
「琴葉も、今も比べると変わったよな」
「仕方ないですよ。だって何も知らなかったんですから、」
また子供扱いされたと思ったのか、肩に顔を乗せた琴葉はぷくりと頬を膨らませた。実際はそんな事はなく、奏太が琴葉に向けていたのは、慈悲の情だった。
あの時の琴葉が知っていたのは、世の中は世知辛いという事と、人間の本質に心の切なさだけだ。聞いただけでも身の毛がよだつのに、それを1人の少女が体感したと考えれば、悲しくなる。
もしあの時に出会えていなければ、こうして奏太に抱きつきながら浴衣を握りしめる琴葉はいなかったのだ。
これまでの行動一つ違えば、今の琴葉はいない。考え方によっては恐ろしい話だが、それが現実だ。
反対に、行動一つ違えば、良い方に未来が変わっていたのかもしれない。だが、過ぎた事は変えられないし、琴葉の過去だってどうにも出来ない。
それらをひっくるめて、今明るく過ごせている琴葉は、あの日の公園からすれば大きく変わったと言えるだろう。
「……私も変わったと思いますけど、奏太くんも変わりましたね」
「俺が、か?」
露骨な話題チェンジに若干の戸惑いはあるものの、琴葉の話に耳を貸す。琴葉は幸せそうな顔をして、未だに肩に頭を乗せていた。
「もちろん、不器用ながらに優しい一面は変わらないですよ?」
「それなら俺は何が変わったんだ?」
奏太には変化が分からなかった。本当は分かっているのかもしれないが、琴葉の変貌ぶりが凄すぎるので、自分の事は埋もれていた。
奏太が尋ねれば、琴葉ひこれまで抱きついていた体を起こした。ベンチに体制を直せば、一度目を合わせた後に奏太の手を掴んだ。
「心配や同情だったものが、愛情に変わりました」
「愛情って……」
「事実ですよ?だって奏太くん、最初は友達から始めようとしてましたし」
「そうだとしても、いきなり付き合ってって言うのもおかしいだろ」
琴葉の言った事が思っていた以上に的確だったので、自分でも考えのまとまっていない返答をしてしまう。
自分が愛を教えるなんて無責任な事は言えないから、まずは友達から始めようとしていた事、それがすでに琴葉にはバレていた。
「………あの時から好意を抱いてくれていたんですか?」
「あのな、そうじゃなくて」
「えへへ、冗談ですよ!奏太くんの言いたい事も、言いたかった事も分かってます」
変わらず冷たい手をしているのに、顔には温かな笑みが浮かんでいる。こんな冗談を言うくらいには、琴葉の心の傷も癒されてきていた。
割れたガラスは元に戻せないが、あとから修復する事は出来る。下手をすれば、元のものよりも豪勢に変える事だって出来るのだ。
「出会いは最悪でも好きになれば問題ない、つまりこういう事ですよね?」
「俺達のためにあるような言葉だな」
「たまにはそんな言葉もあっていいと思います」
「そうだな」
そう話しながら、2人公園に笑い声を響かせる。反響なんてあるわけもないし、聞こえてくるのは虫の鳴き声だけだ。
笑っている時ですら冷たい琴葉の手は、本格的に風邪をひきそうで怖くなってくる。
「お二人さん、帰りまっせ」
心配な心が強すぎて再び琴葉を抱きしめていれば、ライトを照らしながらベンチの横まで来た、拓哉達の姿があった。
-----あとがき-----
・次回、旅館最終日。
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