第87話 怪我と琴葉

「痛っ……」



気を取り直して展望台までの道を歩いていると、横からそんな声が聞こえてきた。



 普段よりワントーンくらい高い声は、奏太の耳に響く。



 

「琴葉どうかしたのか?」



 声を上げた琴葉は、奏太が顔を振り向かせた時には地面にしゃがみこんでいた。



 足のくるぶしから上を、手で押さえながら。




「その怪我どうしたんだ?」

「……ちょっとそこの木の出っ張りで引っ掻いたみたいです」



 琴葉の指差す場所を見てみる。



 人が通れる道とはいえ、割と山の中。浴衣を着たままだと歩きにくいからか、普通に歩いていれば引っかからないであろう場所に、木の尖った先端が剥き出しになっていた。




「あ、でも大した事はないので平気ですよ」

「平気だとしても、下手したら化膿しちまうぞ」



 琴葉の雪のように白い足を化膿させるわけにはいかない。今すぐ戻って雑菌するべきなのだが、これを逃したらもう星は見れない。



 彼女の怪我か、星を眺めるか、奏太がどちらを優先するかは考えるまでもなく決まっていた。




「琴葉、旅館に戻ろう」

「え?」

「星を見るのも大切だけど、今は琴葉の怪我の方を手当てしたい」



 星を見る機会はいくらでもある。怪我を無理して星を眺めるよりも、いち早く戻って手当てした方が、皆んなにも余計な心配をかけなくても良い。




「………や、です。嫌です」



 しかし、何故か琴葉は奏太の提案を受け入れてくれなかった。いつもなら『分かりました』と返事を返すはずなのだが、この日は拒絶して見せた。



 どうやらそこまでして星を見たかったらしい。正確に言うと、奏太や七瀬、拓哉の4人で見てみたかったのだろう。



 前とは違って恵まれた環境に、美しい星空。それを見たいという気持ちは痛いほどに分かる。




「でも怪我は……」

「私はそんな怪我気にしません」

「琴葉は気にしなくても俺が気にする」



 今ここで琴葉の願いを優先して星を見にいけたら、きっと楽しいし良い思い出になるのだろう。



 だからと言って、琴葉の怪我を無視するわけにもいかない。




「お願いです。奏太くん、私は星見たいです」

「だけどな……」



こんな状況が悪い時に、琴葉が我を通そうとする。



 ここまで自分の発する琴葉は初めてなので、琴葉の言う通りに星を見に行こうと思ってしまうが、やはり怪我の事が頭から離れない。



 これが原因で体に菌が入ってしまっては、奏太は絶対に後悔する。




「2人、どうした?」

「なんかあったのー?」



 坂道の途中でしゃがみこむ奏太と琴葉を不審に思ったのか、前にいる拓哉達が声をかけてくれた。




「もしかして怪我とかした?」

「じゃあ降りなきゃだよ!」



 拓哉は奏太達の雰囲気から見て察したのか、こちらを心配してくれた。




「奏太くん、降りなきゃ駄目ですか?」



 若干涙目になった琴葉の瞳は、目のハイライトを輝かせながら奏太を見つめる。




(そりゃ反則だろ……)



そんな瞳を向けられては、断るものも断れない。




「………ちょっと綺麗な花見つけてさ、もう少し見てたいから先行っててくれ」

「そうかー、ここ真っ直ぐ行くだけだから、俺ら先行っとくわ」

「琴達も早く来てねー!」

「はい、すぐ行きます」



 辺りが薄暗いからか、こちらの詳しい様子までは見えていなかったらしく、拓哉達は疑う事なく先に進んで行った。




「奏太くん、ありがとうございます」



 琴葉は奏太に礼を述べれば、そのまま立ちあがろうとした。




「………琴葉、そこに座って、怪我した方の足を俺のに伸ばして」

「足をですか?」



 奏太の発言に首を傾げながらも、比較的平地な所に腰を下ろして、足をこちらに伸ばした。



 次の瞬間、伸びた足を支えるようにして受け取った奏太は、受け取った足の角度を上げて、琴葉の傷口に口をつけた。




「奏太くん?何を……」

「最低限の応急処置。見に行くんだったら止血くらいはしなきゃ駄目だ」



 琴葉がどうしても星を見に行きたいらしいので、だったら奏太もそれに答えるしかない。



 まずは止血をしないといけないので、琴葉の傷口から流れる血を吸って、外に出す。



 止血できるものも何もないので、これしか方法がなかった。




「んぅ……\\、そんなところ、、、汚いですし」

「なら旅館に戻るか?」

「それは……」

「嫌なら我慢してくれ」



 琴葉は着ている浴衣を右手で握り、ぐっと我慢する。左手で口を押さえてながらも『ん、フッ……』と甘い声を漏らす。



 浴衣を掴んだ右手は服を下に引っ張り、口を押さえていた左手は、声が漏れないように唇に挟んでいた。



 そんなこんなで奏太による止血は数回行われ、ようやく傷口の止血が終わった。




「琴葉、とりあえず軽い止血は終わったからな」



 それを告げて、琴葉の足を見ていた目線を上に上げた。




「あの、今こっち見たら駄目です……」



 先程よりもずっと涙目になった瞳は、今にも雫をこぼしそうだった。頬は薄暗い山の中でも分かるほどに赤くなっていて、耳まで熱が行き渡っている。



 左手は未だに噛んだままで、体をビクッと振るわせた。



 右手で浴衣を引っ張っていたからか、胸元は緩くなって谷を奏太に見せつける。もちろん片足を奏太の方に伸ばしていたので、足元もはだけている。



 全体的に色香を出していた。




「………行く時は俺が背負うから、行っても良い時に声をかけてくれ」

「は、はい……」



こんな事なら一度旅館に戻って軽く処置を行った後に、急いで戻ってきた方が早かったのかもしれないと思うが、もう遅かった。



 琴葉のほとぼりが冷めるのには、しばらく時間がかかった。









-----あとがき-----


・琴葉ちゃんが涙目になりながら顔を紅潮しているシーン、ぜひこの目で見てみたい……。

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