第58話 大丈夫
「何でここに……」
「どうかしたのか?」
エントランスに立つ女性を見た琴葉は、肩を震わせ、あの日の公園以来見せていなかった悲しそうな目をしていた。
今日のつい数分前まで明るかった琴葉をそんな風に変える人物なんて、奏太には1人しか浮かばなかった。
「あれが琴葉の母さんか、」
「そ、そうです」
パッと見た感じでは、琴葉と雰囲気の似た清楚で端正な顔立ち。女性にしてはスラッと伸びた身長は、背の低めの琴葉とは違っていた。
女性用スーツをキッチリと着こなしていて、経営者や権力者という名に相応しい風格を持っていた。
「今更琴葉に何の用があるんだ?」
「………分かりません」
これまで家にも帰ってこず、琴葉の身の回りの世話を他人に任せる程に放置していた人が、娘の一人暮らし先へ用もなく来るはずがない。
本当にあれが琴葉の母であるなら、ここに来たのには何かしらの理由があるはずだ。
「俺がバシッと一言言ってきてやる」
奏太はすでに、バカ親!と一言言わないと気が済まないくらいに苛立ちを覚えている。
琴葉に一番声を掛けないといけない時にかけないで、その事をようやく振り切れそうなこのタイミングで話しかけようとするなんて、目の前で毒を渡されるようなものだ。
そんな危ない取引を琴葉に背負わせるわけにはいかない。奏太も一緒に話を聞くべきだ。
「奏太くん、私1人で話してきてもいいですか?」
奏太の決意は数秒後に揺らいだ。そう言いながらも未だに震えている肩は、ただ震えているだけでなく、自分自身に勇気も与えているようだった。
「何で……」
「奏太くん、こればかりは守ってもらうだけでなく、私自身が乗り越えないといけない問題なんです」
「そうかもしれないけど、俺は心配なんだ。その、、、彼氏だし……」
「その彼氏さんが心配してくれるだけで、私は勇気を貰えます」
自ら乗り越えようと微笑む琴葉に、奏太がそれを否定するのは違う気がした。守るというのは、琴葉の意志を尊重する時にも使わないといけない。
それを奏太自身が止めるなんて出来るはずもなかった。
「……では、いってきます」
「危なそうだったら、俺は突っ込むからな」
「はい。ありがとうございます」
奏太を見たからか、過去に立ち向かうという事を覚えたらしき琴葉は、エントランス前に立つ女性の元へと静かに向かっていった。
突然悪くなってきた雲行きに、似た情景を思い出す。
「………こんばんわ」
心細いそんな一言を発した琴葉は、自身の母親と対面した。奏太は気づかれない程度に近づいて話を聞くが、とても親子とは思えないよそよそしさに、客観的に見ているだけなのに、居心地が悪かった。
「………あなた、帰ってくるの遅いんじゃない?」
「え?」
琴葉が思わずに聞き返したのは、まさか母が心配してくれるのでは?と疑っているからだ。だが、そんな考えも次の瞬間に消え去った。
「お陰で数10分は無駄にしたわ」
「………え?」
「あなたのせいで時間を無駄にした、って言ってるのよ」
近くに隠れていた奏太は今すぐにでも飛び出しそうになった。しかし、それを抑制できたのは、琴葉がまだ頑張ろうとした顔つきをしていたからだ。
ここまで辛い言葉を投げられて、それでも耐え抜こうとする琴葉の覚悟を無駄にしないためにも、ぐっと堪えた。
「………でしたら、何のためにいらしたんですか?」
「何のためって?」
「理由があるのでしょう?ここに来た理由が、、!」
あの日の公園でもう諦めたと述べた琴葉だったが、その魂胆にはまだ見てくれるかもと可能性を捨てきれていなかった。
これに関しては簡単に諦めろという方が無理な話なのだが。人一倍愛を欲した琴葉だからこそ、中々諦めれなかった。
そして、その答えは次の返答によって決まる。
「
「それだけ……?」
「それだけって何かしら?私にとって、勝手に名前を使われるのはこの上なく困るのよ」
「………そ、、うですか、」
母からの悲しい一言で大ダメージを受けた琴葉は、また色の消えた瞳を浮かべていた。
「それと、あなたがこんな時間まで何をしているのか知らないし何をしようと別にどうでもいいけど、警察沙汰になるような事だけはやめてちょうだいね」
「………一人暮らしをする娘に心配とかはないんですか?」
最後の望みにかけて、残る気力全てを使って放った質問に対して、琴葉の母はまるで鼻で笑うかのように即答した。
「心配なんてないわよ。お金は必要以上に渡しているし、その身なりと顔色を見るに元気そうなんでしょ?なのに一々心配なんてする必要なんてどこにあるのよ」
「………そうですか、」
「せめてもう少し愛嬌でもあればまだ良かったのだけど、どちらかというとあの男に似てるから嫌になるわ」
思った事全てをぶつけた琴葉の母は、ここに来た時から顔色一つ変えず、琴葉の方を何とも思ってなさそうな目で見つめた。
「結局、あの男と良かったのも最初だけだったのよ。貴方が早く大人になればすぐにでも別れられるのだけど」
すなわち、家族の縁すら断つ予定のこの両親に、琴葉は一切の期待すらしない。死んだ魚の目をして表情をピクリとも動かさなかった。
「とにかく、面倒ごとだけはやめてよね。責任を取れるのならご自由にやってくれてもいいけど」
「……………、、」
「わざわざここまで来たのよ?返事くらいしなさいよ!」
見事な逆ギレを見せた後、それを隠す事なく琴葉の前から姿を消す。そのまま迷う事なくタクシーに乗って、行方をくらませた。
母が去ってからもエントランス前に立ち尽くす琴葉の前に近づくと、ぼーっと突っ立ったまま、眉をぴくりとも動かさない琴葉の姿が目に映る。
「………大丈夫か?」
今の琴葉に、その言葉は無責任すぎたかもしれない。そう聞いても帰ってくる言葉は限られている。
「はい。大丈夫です。元々分かっていた事でしたし……」
「琴葉……」
あんな目にあったにも関わらず、こちらに気を使うような返答と表情を作る。そんな琴葉を見て、奏太は黙っていられなかった。
今の自分の思いと琴葉のこれからのためにも、自分の思っている事を嘘で包む事なく、真っ直ぐと伝える。
「琴葉、ごめん。俺にだけは本当の琴葉を見せてくれ、俺もその分しっかりと見るから、自分に殻を作らないでさ、、」
この願いは奏太のただの我儘だ。これ以上、自分1人で色々と抱え込むのはやめてほしい、悲しい思いをする琴葉を見たくない。
泣きたい時には泣く、笑いたい時に笑う。誰にも縛られない自由な琴葉になるのが奏太の望みだった。
「だからさ、その………泣きたい時には泣いていいんだ。苦しい時には吐き出してもいいんだ」
「………奏太くん」
平然を装いながら、マンションの中へと入ろうとしていた琴葉は、表情を崩しながら奏太の元へとゆっくりと歩く。
足元をふらつかせながら、ただひたすらにゆっくりと。
「琴葉の大丈夫にならせてくれないか?」
奏太の胸元に飛び込んだ琴葉は、涙しながら口を開いた。
「ここ、お借りしますね」
「あぁ…」
溜まっていたダメージを全て奏太にぶつけるかのように、殻一つ被ることのない琴葉が抱きついてくれた。
-----あとがき-----
・Twitterで小話あげてるので、良ければぜひ!
次話もお待ちを!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます