第19話 母
「……毎日?」
「そうよ、毎日。どうせ毎日持っていく予定だったんでしょ?」
「毎日かは分からないけど、多分持って行ってたと思う」
家中を見回って、俺から話を聞いた母は、ソファに深く座り込んだ。夜ご飯の件に関しては毎日持っていくかは分からないが、持っていくつもりではあった。
そうしないと琴葉の食生活は良くならないし、あのままでは良くない。だから持って行っていったはずだ。
夜ご飯だけを持って行っても劇的に変化があるわけではないが、それでも何もしないよりはマシである。
「この家で、か……」
母の言う通りにこの家で食べるとすると、タッパーに詰める手間も必要ないし、食生活を側で見守る事が出来る。何より、琴葉も俺も一人寂しくご飯を食べなくて済む。
他にもメリットやデメリットがありそうだが、あくまでそういう手もあるというだけで、それを実行するかしないかはまた別の話だ。
そもそも母は、思春期の男女が一つ屋根の下にいる事になるのに何一つ警戒していない。すでに一度そういう事をした仲ではあるが、今の琴葉はむしろ、純情という言葉が似合っている。
出会った頃からその美貌は感じていたが、今ではその数倍感じる。自分の前だけで見せる姿とその特別感がより魅力を引き立てているのだ。
なので、そういう気持ちにもならないし、そういう事をしたいとも思わない。逆に変に心配される方が毒かもしれない。
「今後をどうするかは二人で決めるとして、とりあえず今日はここの家で食べたら?」
「そうした方が琴葉のためにもいいのかな……」
恐らく琴葉は人と温かいご飯を食べた事はないだろう。中学校とかの給食や高校の弁当などを除き、家庭内ではずっと一人で食べていたはずだ。
クラスメイトと食べるご飯と、家族で食べるご飯はまた違う安心感があり、ほとんどの人がそれを感じている。
他所の家庭ではあるが、その中に入って言葉を交わすだけでかなり違ってくると思う。母はそれを俺に提案してきていた。
正直その提案は、奏太達にとって良い物でしかないが、その反面に両親にさらに迷惑をかける事になる。
「私達に迷惑をかけるかも、とか思ってる?」
「思ってなくもない」
「私からの提案なのに」
「それでもだな……」
両親には様々な部分でも迷惑をかけてしまう。息子の友達とはいえども、会った事もない人に、 そこまでする義理は親達にとっては全くない。
全くないのにも関わらず、相手の事を深く気遣っている。今日この家で食べれば?と提案しているのも琴葉の事情に気遣っての事だろう。
人の心を動かすほど、琴葉の過去は常人からすると心配になるし、変わりに与えたくなるのだ。
「いいのよ、たくさん迷惑かけて」
「え?」
「迷惑かけてもいいのよ」
今一番気にしていた、両親に迷惑をかけるかもしれない。その悩みを吹き飛ばす発言だった。俺が琴葉に言った言葉を母から言われた。
あの時の琴葉もこんな気持ちだったのかな、そんな事を思いながら、母との話に戻る。
「母さんはいいかもしれないけど、父さんは分からない」
「父さんもきっとそう言うと思うわ」
「何で?」
一つ間を開けた。当たり前でしょ?そう言いたげな表情を浮かべた後、母はその答えを知っているかのように口を開いた。
「親だからよ」
「………そう」
俺が、ここに残って一人暮らしをすると言った時にも言われたセリフだった。そのセリフは、息子からすると反論不可な最強ワードで、良くも悪くも言われると助かる。
親だから我が子の為に出来る事ならなんでも応援する。そんな都合の良い話をされては迷惑かけてしまいたくなる。
まだ幼い弟もいるので、俺ばかりが迷惑をかけるのはやはり良くない。
「……たくさん時間と迷惑をかけていいのよ、それが親にできる唯一の事なんだから」
「……うん」
両親には敵わないな、心からそう思った。
「でも、やりたい事が出来たのはいい事じゃない」
「やりたい事じゃなくて、やらないといけないの方が合ってる」
「話を聞く限りではそうかもしれないわね」
琴葉の食生活の面倒を見るのは、やりたいというよりも、やらなければならないという義務感の方が強い。
感想をもらえたり、美味しいと喜ぶ顔が見たいという意味では、俺のやりたい事となる。
「まぁ、俺今の話を連絡してくる」
「急ぎじゃなくてもいいし、無理にしなくてもいいのよ。私のは提案だからね?」
「その提案を受けるよ」
ポケットからスマホを取り出し、琴葉に着信をかけた。電話を選んだのは、この事を説明するには手で文章を打つのが面倒くさいし、口で説明した方が早いからだ。
女子に電話を掛けるなんて経験がないので、落ち着くためにも一度深呼吸をした。
「プルルルルルル……」
呼び出し音が鳴り響く。それはすぐに鳴り止んだ。
「もしもし?」
「はい、おはようございます」
「おはよう」
電話越しの琴葉の声が聞こえる。
「ついさっき琴葉の家に持って行くって話したんだけどさ、」
「はい」
「今日は俺の家で食べない?俺の母さんもいるけど……」
単刀直入にそう話した。変に会話を長引かせるつもりもないし、そもそもそんなコミュ力は持ち合わせていない。
微かなノイズ音が聞こえてくる。いきなりこんな誘いを受けたからか、無言になって考え込んでいた。しかし、その答えはすぐに帰ってきた。
「お母様も良いのでしたら、そのお誘いを受けさせていただきたいです」
「おう、ごめんな。急な変更にして」
必要な連絡をしたので、通話を切ろうとした時だった。
「……あの、一つお聞きしたいのですが」
「どうした?」
照れたような言い方だった。何を聞かれるかは分からないが、こちらから誘った以上、質問ならきちんと聞かないといけない。
「そのお誘いは、奏太くんの案でしょうか、それともお母様の案でしょうか、」
「考案したのは母さんだけど……」
案を聞かれただけなのに、無償にドキドキした。
「そうでしたか、ではお誘いありがとうございますとお伝えください」
「あっ、そういえば俺も言わないといけない事が……」
電話はそこで途切れた。琴葉が俺に何を聞きたくて何を伝えたかったのかが、よく分からなかった。俺も琴葉に伝え忘れていた事があったので、それはメッセージとして送った。
「かくかくしかじかで、母さんに過去の話しちゃった」
「全然構いませんよ。結果オーライというやつです」
「結果オーライ?何がだ?」
「私が奏太くんの家に着くまでに考えてみてはどうですか?」
jineもそれを最後に終わった。家に着くまでとあるが、琴葉は俺の家を知らないので迎えに行かないといけない。時間は朝の約束と同じ、7時くらいで良いのだろう。
その詳細の連絡は後回しにした。
「ふぅ……」
たった数分の通話だったがどこか疲れた。母が家に来てから、眠気はすっかり覚めていた。
「ねぇ奏太、本当に付き合ってないのよね?」
「……付き合ってないけど」
何を根拠にしたのか、スマホを握った手の当たりをジロジロと見ていた。
「あ、母さん。お誘いありがとうだってさ」
「あら、お礼を言われるなんてね」
誰であっても、礼を言われると喜ぶ。遠い所からわざわざ来てくれた母に、このような機会を設けてくれた事に感謝をした。
この家に毎日食べに来るか来ないかの話は、今日の夜に琴葉が来た時に母を交えて話をする。
「材料とか買いに行くけど、母さんも行く?」
「流石に疲れたから家で休んでるわ」
「昼過ぎくらいになったら買いに行くから、行きたくなったら言って」
二人分だったはずの食材も三人分に増え、タッパーに詰まるはずだったご飯も一緒に食べる事になった。
今週の土日は、今までで一番記憶に残るものとなりそうだ。
「昼も奏太が作ってね」
「昼と夜も作らせる気なの?」
「言ったでしょ?折角の休日なのよ」
「え、面倒くさい」
「作らないなら、この家の一人暮らしにも終わりが訪れる事になるわよ」
やはり両親には、さっきとは別の意味で敵わない。一人暮らしの権利を脅されては歯向かう事も許されない。面倒ではあるがいつもやっている事なので、仕方なく了承した。
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