第023話 ダークエルフがすんすん
8月3日。
僕らは異世界〝スノリエッダ〟に来ている。
昨日は壮絶な出来事があったのだが、その後なんとか僕は数学の課題プリントを終わらすことができた。
夏休みの宿題自体はまだ残っているが、とりあえずひとつは片付けたということで、晴れて今日は異世界にやって来ている。
「おぉー、見事な押入れじゃのー」
感嘆の声を上げているのはダクタ。
僕とダクタがいるのは、ダクタの家から少し離れたところ。見晴らしがよく、検証実験するには都合が良い場所だ。
そう、僕らは今、検証している。
僕が使えるようになった、押入れ召喚についてだ。
「おぉー、今度は消えたのー――おぉ、また出たのぉー、あ、また消えた」
僕は押入れの出し入れを繰り返している。
ダクタ曰く、この手の単純な具現化魔法には特別なリスクがない場合が多く、僕の身体を魔法的な観測で調べていても、特に変化は起きていないとのことだった。
「僕の身体、おかしくなってない?」
「うむ、問題ないぞ。ちゃんと
そう言うダクタの赤い右目は、僅かに光を帯びている。
ダクタは左右で色が違うオッドアイだが、ただ色が違うだけではなく、魔法的な力も備わっているらしい。
赤い右目は〝
青い左目は〝
それぞれダクタの祖母と祖父から受け継がれたというか、隔世遺伝的にダクタにのみ発現したものらしい。いったい、どんなおばあちゃんとおじいちゃんなんだ。
ダクタらしからぬ、格好いい名前が付いているのも、それが理由だ。
ダクタは『魔法の右目、魔法の左目で良くないかの?』とか言っていたが、僕がそれは断固拒否した。
そんなダクタが常に僕の状態を観測した結果が、〝押入れの魔法は安全〟という結論だった。なので、気兼ねなく連発している。
「ちょっと、どれくらい遠くまで出せるか試してみたい」
王城ではその広さ故に50メートルが限界だったが、ここならその心配はない。
「では、あっちの方に出してみるかの」
ダクタが指差す先には平原があった。なだらかな丘を越えた先の平原。さらに奥には森が見えるのだが、そこまで500メートルくらいはありそうだ。
「わかった」
僕はなるべく遠くへ押入れを出現させるイメージを強く持って、念じた。
その結果、
「……あれ」
押入れは森の遙か手前に出現した。距離にして150メートルくらいだろうか。
「思ったより遠くに出せなかった」
ちょっとしょんぼり。
「うむ。うむ」
一方でダクタはなにやら思案し、
「次はこれでやってみるんじゃ」
パチンと指を鳴らした。すると、
「……お? おお? おおお?」
視界が一気にクリアになった。というか、めちゃくちゃよく見える。
魔法で僕の視力を強化したんだろうか、これはすごい。
「視力2.0どころじゃないな、これ」
なにせ遙か先にあった森の木々、その枝まで細かく見えるのだ。かと言って、手元が見えづらくなるわけでもない。
「その状態で押入れを出してみるんじゃ。うんと、遠くにな」
僕は指示に従い、押入れをできるだけ遠くへ召喚してみた。
「……出た」
150メートルが限界だった先とは違い、今回は森の手前、つまり500メートル先に押入れを出せた。その後も何度か出し入れしてみるが、いずれも成功した。
「……つまり、召喚場所をちゃんと目視できているか、が重要?」
「じゃな」
なるほど。そういうことか。ダクタが視力強化の魔法を解くと、また有効距離が150メートル程度に戻ったことからも、間違いなさそうだ。
「〝発動主が認識できている〟というのは魔法において重要なんじゃ。この場合は〝視覚的〟にじゃな。逆に言えば、正常なロジックで発動している以上、おぬしの魔法もまた、〝正常に発動している〟と言える」
「なるほど」
「ちゃんとおぬしは使いこなしておるよ」
だから安心するんじゃ、とダクタは言った。
その後も僕らは、押入れ召喚の検証を続けた。
「……ふぅ」
気づけば僕はけっこうな汗を掻いていた。
スノリエッダはからっとした空気とはいえ、気温はある。普通にしていれば過ごしやすいのだが、外で動いていれば汗も掻く。
「ちょっと休憩しようかな」
学ランの上着を脱ぎ、僕は転がっていた手頃な岩に腰掛ける。
「疲れたか?」
ダクタが隣に座る。
「わりと」
「この後はどうする? まだやるかの?」
「やりたい」
「ふふ、わかった」
微笑んだ後、ダクタはおもむろに指を鳴らした。すると、僕らの数メートル先に青白い光が現れた。それはどんどん大きくなり、あっという間に直径5メートルほどまでに成長した。
そして光が弾け、
「……おぉ?」
巨大なスライムが出現した。スライム……いや、たぶんスライムだ。青く透き通っていて、見るからに弾力がありそうな感じ。ぼよんぼよんしている。
「〝魔法の粘液〟じゃ!」
……うん。
「このスライム……生きてるの?」
「命はないぞ。余が動かしているんじゃ」
ダクタの言葉に合わせて巨大スライムがぷるぷる震えたり、縦や横に伸びたりしている。
「……それで、これがなに?」
僕に見せたかったということなんだろうか。たしかに面白いが。
「ふっふっふっ、実はな、こいつには洗浄機能があるんじゃよ!」
誇らしげに胸を張るダクタ。
「洗浄……洗濯でもしてくれるの?」
「じゃ!」
肯定ということか。
「でも、どうやって?」
「ほれ、さっき脱いだやつ、あれを貸してみ」
「上着?」
僕は学ランの上着を手渡した。ダクタはそれを受け取ると立ち上がり、スライムの元まで行った。
「やり方は至極簡単じゃ。こうして綺麗にしたい物を……」
そこでダクタが止まった。目線は手に持つ僕の上着に。
「…………」
じっと上着を見て、
「…………」
かと思えば、いきなりそれの臭いを嗅ぎ出した。顔に押し当て、すんすんと嗅いでいる。ダクタ?
「……ふへへ」
そして漏れる、謎の声。
「すーはーすーはー……えへへ」
「……ダクタさん?」
「――はっ!?」
そこでダクタは我に返ったように、上着を顔から引き離した。
「こ、これはじゃな、こ、これは……そう、確認じゃ! 確認!!」
「…………」
「ち、違う! べ、別におぬしの香りを嗅ぎたかったとか、おぬしの香りを嗅ぐと安心するとか、あれやこれをいろいろ思い出すとか、そういうのではない! 断じてない! ちょっと確認じゃ! 確認!」
ダクタは顔を真っ赤にしている。
僕はなにも言っていないのだが。
「じゃから、むしろこれは洗わずに余が持って帰りたいとか、余も着てみたいとか、これ着てるりゅうのすけは格好ええとか、やっぱり大好きじゃとか、そういうのではないんじゃ! ただの確認なんじゃ!」
だから僕は、なにも言っていないのだが。
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