4.

「帰るって……」


「俺がただ仲良くおしゃべりするためだけに、わざわざ東京から何時間もかけて、こんな千葉の端まで来たなんて。思ってないよな? あの番組で言ってたことは本当なんだろう、親父は行方不明のままだって。

 なんだよ、あのじいさん。聞いてた話と違うじゃねえか。親父がいないなら、これ以上ここにいても意味ないだろう」


「帰るぞ」と、ただ一言。萩はもう一度繰り返す。


 だけど――。


「……嫌」


「はあ……?」


「だって、だって……。私まだ、問題のお父さんに会えてない……。

 確かにいなかったけど、でも、やっとつかんだ手がかりだもん。もしかしたら、その内ふらっと現れるかもしれない。

 だから……、だから、お父さんをぶん殴るまでは、絶対にここを離れる訳にはいかないの!」


 激しく肩を上下に動かし、私は荒い呼吸を繰り返す。


 そんな私を、萩は憐みのこもった瞳で見つめてくる。


「お前の復讐って、そんなに大切なことか? ぶん殴るだけで、本当に気は晴れるのか? 全てを捨ててまでしないといけないことなのか?

 ……もういいだろう。母さんだって亡くなったんだ。それに、第一、あの人はお前と違って恨んでなんかいなかった。

 それともなんだ。お前と同じ境遇の、そこにいる異母兄弟同士、仲良く慰め合って暮らしていくつもりなのか?」


 傍らに控えている兄さん達を見渡しながら、萩は落ち着き払った声で言う。


 その声の調子に合わせ、室内の隅々まで緊迫の糸が張り巡らされていき、沈黙とした空気ばかりが流れ続ける。


 いつまでもゆがんでいるだろう表情をそのままに下唇ばかりを噛み続けている私に、萩はもう一振りとばかり。


 ゆっくりと刃に似た唇を開かせていくけど、その矢先――。


「ただいま」

「あの、お邪魔します」

と二つの高低差のある声により、ガチャンッとガラスが粉々に砕け散るみたいに。緊張状態は打ち壊され、その場はしんと静まり返った。


 その異様な雰囲気に、リビングに入るなり菊がぽつりと口を開く。


「……なに、この騒ぎは」


「えーと、牡丹の弟さんが訊ねて来たんだよ」


「弟?」


 藤助兄さんに促されるよう、ちらりと菊が私達を見る。一方の私達も、菊の方に視線を向ける。


 その視線を受けたまま、菊の後ろに控えていた紅葉ちゃんは、

「あの、私、今日は帰った方が……」

 いいですよねと遠慮がちに、くるりと体を反転させようとしたけど、その手前。黒い塊が紅葉ちゃんへと差し迫り――。


「そんなことありませんっ!」半ば叫ぶように、萩はがしりと紅葉ちゃんの手をつかみ取った。


「へっ!? そうですか?」


「はい、ちっとも構いません。

 ……あの、付かぬことをお聞きしますが、あなたのお名前は……」


「名前ですか? 私は甲斐紅葉といいます」


「紅葉さんですか。素敵な名前ですね。

 あの、紅葉さんとこの家とのご関係は? まさか、牡丹と姉妹とか!? ……いや、それにしては苗字が違うな」


「私は牡丹ちゃんと菊ちゃんの友達です。部活帰りに菊ちゃんからCDを借りようと立ち寄っただけです」


「そうでしたか。でも、そうですよね。あなたのような方が、まさか牡丹と一滴でも血が繋がってるなんて。そんな最悪なことがある訳ないですよね。本当に良かったです」


「はあ。えっと、そんなことはないと思いますが……」


「ちょっと、萩。いきなりどうしたの? おまけに人のこと、散々言ってくれるじゃないっ……!」


 私が怒ると、萩はやっとこちらを向き直る。


 萩は、ごほんとわざとらしく咳払いすると、体裁を整え直した。


「時間も時間だから今日はこれで帰るが、このまま引き下がると思うなよ。お前なら分かってるだろう」


 萩はおまけとばかり、本日一番の鋭さを携えた瞳で私を一瞥すると、静かにリビングから出て行った。その場から嵐は立ち去ったけど、でも余韻だけはいつまでも残り続ける。


 誰もが口を堅く閉ざしている中、私はのど奥をどうにか震わせ、

「すみません。私、今日はもう部屋で休みます」

 それだけ絞り出すと、一人その場から抜け出して。一段ずつ、のろのろと階段を上がって行った。

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