6.

 コンコンと扉を軽くノックすると、中から、はいと短い返事があった。部屋の中に入ると、ベッドの中の藤助兄さんが上半身起こし上げていた。


「ごめんね、牡丹。俺、寝ちゃってたみたいで。お腹空いたよね。ご飯作るから」


「いえ、夕食ならもう済んだので大丈夫です」


「えっ……。そうなの?」


「はい。私が……というか、みんなと作って」


「そっか。ごめんね、牡丹」


「いえ」


 どうして謝るんだろう。兄さん、何も悪くないのに。


 その疑問をぶつける代わりに、私は持っていたお盆をずいと兄さんの前に出して、

「ご飯食べられますか?」そう訊ねた。


「え……。もしかして、これ、牡丹が作ってくれたの?」


「はい。卵粥です」


 私の具合が悪くなると、お母さんがいつも作ってくれた、大塚家特製の卵粥だ。ふわふわ卵と鳥ササミ、三つ葉とネギに、それから刻みのりを散らした具沢山のお粥で。最後にちょこっとゴマ油をかけて……、そう、これが味の決め手なの。ゴマ油の香ばしい匂いで食欲もそそらえる、栄養価満点のお粥なんだから。


 特に大好きな卵料理は、得意中の得意なんだから。


 私はレンゲで一口分すくうと軽く息を吹きかけ、少し冷ましてから、

「はい、口を開けてください」

 兄さんの口元に運ぶと、兄さんは、ぱくんと食べてくれた。


 もぐもぐと口を動かして、

「とってもおいしい……!」

 兄さんはまた一口、食べてくれる。


 良かった、兄さんの口に合って。だって兄さんの方が私より料理が上手だもんね。本当は、ちょっと自信なかったんだ。


「ご飯を作ってもらったのなんて何年ぶりだろう。ありがとう、牡丹」


 そう兄さんはお礼を言ってくれるけど、

「……ごめんなさい、兄さん。あの、手伝います」


「えっ。手伝うって?」


「だから家のことです。今更だとは思うんですけど、でも、やっぱり兄さんばかりが家事をするのはどうなのかなって」


 私、兄さんに甘えてた。


 私が毎日元気に生活できるのも、好きな剣道に打ち込めるのも、専念して勉強できるのも、全部兄さんのおかげだ。兄さんが支えてくれているから。


 だけど兄さんはいつも家族八人分……、天羽さんを入れたら九人分の家事を一人でしてくれているんだもん。


「だから」と、もう一度。私は繰り返すけど、上手く続きが出てこない。歯痒いばかりだ。


 けれど、その先を汲み取ってくれたのだろう兄さんは穏やかな表情を浮かばせ、

「牡丹、ありがとう。でも、その気持ちだけで十分だよ」


「でも……」


「家事は俺が好きでやっていることだから。それに、」


 兄さんは一瞬目を伏せたけど顔を上げて、

「それに、代償みたいなものかな」


「代償……?」


「ううん、そんな大それたものでもないな。俺にできる、唯一の――……。

 だから牡丹は気にしなくていいから」


「だけど……」


「本当に大丈夫だから、ね」


 にこりと柔和な笑みを差し向ける兄さん。 


「牡丹は優しいね」


 兄さんはそう言ってくれるけど、それは違う。兄さんが優しいから。だから私もその優しさを兄さんに返したいって、そう思うんだもん。


 多分私が納得してないという顔をしてたんだと思う。兄さんは一つ小さな息を吐き出すと、真っ直ぐに私を見つめた。


「天羽さんは、命の恩人だから」


「え……?」


「俺が今生きているのは、天羽さんのおかげだから――」

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