4.

 どうして私までこんな目に……。だけど、ご立腹顔の穂北先輩を前に、口に出す勇気なんかない。私達は言われるがまま、ぴしりと背筋を伸ばして姿勢を正した。


 穂北先輩は短い前髪のせいで露わになっている太い眉をぴんととがらせ、鋭い目付きで主に駒重さんを見つめて言う。


「君が天正を追いかけ回したせいで、今日は全然稽古ができなかったではないか。大体、君は他校の生徒だろう。ちゃんと入構許可は取ったのか? なにっ、取っていないだと? まさか無断で入ったのか!? その上、あのように騒ぎ立てて……」


「はい、本当に済みませんでした」


「全く、何を考えているんだ。だが、この件はウチの天正にも大いに原因はある。

 しかし、なぜに君はあのような男にそこまで好意を寄せているんだ。もう少し男を見る目を養った方が賢明だと思うぞ」


「そうですよ。梅吉兄さんは、やめた方がいいと思います」


 穂北先輩の言う通りだ。私も先輩に同意する。


「兄さん、言ってましたよ。彼女は作らない主義だって。それと、なんだっけ。この世の女の子はみんな俺のものだとかなんとか……」


「それなら俺も聞いたことがある。将来は総理大臣になって一夫一妻制を廃止し、ハーレムを築くとも言っていたな」


「知ってるわよ、そんなこと。なによ、二人して口をそろえて。確かに梅吉はそういう性格よ。けど……、それでもアタシなら梅吉を変えられるって、そう思ってて……」


「いや、無理だろう」


「はい、無理ですね」


「ちょっと、そんな簡単に決めつけないでよ!」


 駒重さんは顔を強張らせ、ばんばんと激しく床を叩いて訴える。


 なんて言われても……。


「そうは言っても、天正を更生させるという発想自体、俺にはバカげているように思えるが。猿に一日で芸を仕込めと言われた方が何百倍も現実的で望みがある。どちらか選べと言われたら、俺は迷わず猿を選ぶぞ」


「そうですね。私も猿を選びますね」


「ちょっと。なんでさっきから二人はそんなに意気投合してるのよ」


「投合もなにも天正を知ってる人間なら、百人中百人が同意見だと思うが」


「そうですよ。そもそも、どうしてそこまで兄さんに固執するんですか? 駒重さん、しっかりしているように見えますし、兄さんのことは騙されたと思って、きっぱりと忘れた方がいいですよ」


 私や穂北先輩だけじゃなく、周りの弓道部員達からも私達を支援する声が自然と上がる。


 けれど、駒重さんは頑固みたい。騒がしい外野に向け、「シャラップ!!」と叫び跳ね除けた。


「なによ。さっきから黙って聞いていれば、好き勝手言ってくれちゃって。そう簡単に諦められる訳ないじゃない。だって私と梅吉は、運命の赤い糸でがっしりと結ばれているのよ」


「運命の赤い糸だと?」


「ええ、そうよ。あれは忘れもしない昨年の、木枯らし荒ぶ秋も終わりかけの日のことだった……。

 その日、私は彼氏とちょっとしたことが発端で口論になって、そのまま引っ込みがつかなくなって。結局、ケンカ別れをしちゃったの。それで公園のベンチで泣いていたら、目の前に現れたのが梅吉だった……。

 梅吉は、恋に破れ傷付いていた私を優しく慰めてくれて。まさにあの瞬間、運命の出会いだと思ったわ……」


「成程。失恋した直後、ふらりと目の前に現れた男に都合の良い言葉をかけられ、単純にもころっと惚れてしまったということか。なんだ、よくある話ではないか」


「ちょっと。人の大切な思い出を、そんな貧相な言葉で片付けないでよ!」


「このでこっぱち!」と駒重さんは穂北先輩の額目がけ、怒り任せにでこぴんをした。


 それを真面に喰らってしまった先輩は声にならない悲鳴を上げ、ひどくもだえる。


「おい、いきなり何をする!? 痛いではないかっ! それと、でこっぱちと言うな!」


「なによ、うるさいわね。でこっぱちは、でこっぱちでしょう!」


「くっ……、だから、でこっぱちと言うなと言うに……!

 とにかく天正のことは一刻も早くあきらめた方が身のためだ。俺は中学の頃から六年、毎日アイツに堅実になれと言い続けてきたが、一日たりとも改心した日などなかったぞ」


「ふっ……、それがなによ。時間なんて関係ないわ。あきらめるなんて男らしくもない。根性なしのアンタは、猿回しでも目指せばいいんだわ。この、でこっぱち!」


「だから、でこっぱちと言うなと言ってるだろう! 俺を愚弄する気かーっ!!?」


「げっ、穂北がキレたっ!?」


「おい、穂北。相手は女だぞ、落ち着け!」


「ふんっ。部長だかなんだか知らないけど、一度も梅吉に勝てたことがない癖に!」


 刹那、穂北先輩は雷にでも撃たれたような衝撃を受け。口を閉ざすと背を丸め、とぼとぼと部屋の隅へ移動した。


 そして腰を下ろし、体育座りをした先輩の周りには、どよどよと負のオーラが発生した。


「あーあ、穂北が一番気にしてることを……。

 どうするんだよ、落ち込んじまったぞ」


「ああ見えて何気に繊細だからなあ」


「……あの。私、そろそろ帰ってもいいですか?」


 なんだかすっかり混沌とした空気の中、私は居た堪れなくなり。なかなか言い出せなかったその一言を、それでも私だってまだ部活中なんだもん。


 どうにか口に出すと、ひっそりと静かにその場を後にした。

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