8.

「にしても。どうして助けを呼ばなかったんだ。スマホ、持ってるだろう」


「それが、圏外で電波が通じなくて……」


「圏外だと? ……野郎。電波妨害装置でも使ってるな」


 兄さんも自分のスマホの画面を見て、苦虫を噛み潰したような顔をする。


 そっか。そんな装置が働いていたから、スマホの電波が通じなかったんだ。


 私が一人納得していると、兄さんはまた首を傾げさせ、

「牡丹、その手に持ってるのはなんだ?」

と私の手元を指差した。


「これは、そのう、用心棒に床の間に飾ってあったものを拝借して……」


「お前なあ……。なに考えてんだよ。それ、真剣だろう。危ないだろうが」


「えっ、真剣!? レプリカじゃないんですか?」


 道理でやけに重いと思った。私はなんだか急に怖くなる。


 私が手の中の物を持て余していると、道松兄さんはまた一つ乾いた息を吐き出した。


「大体、部屋から抜け出して。ったく、おとなしく待ってろよ。どんだけ探し回ったと思ってるんだ。そうやって自分だけでどうにかしようとすんの、お前の悪い癖だ」


 そんなこと言われたって……。だって、まさか兄さんが助けに来てくれるなんて思わなかったんだもん。


 そうだよ。


「よく分かりましたね、私がここに連れて来られたって」


「藤助のやつが見かけたんだよ。お前がウチの車に連れ込まれる所を。

 アイツ等は目的のためだったら手段を選ばない。そういうやつ等だ」


「そうだったんですか……。

 それにしても、大きなお屋敷ですよね。この部屋だって、とっても広いし」


「ここは、俺が昔、使っていた部屋だ」


「えっ。兄さんの部屋?」


 私はぐるりと部屋の中を見渡す。ウチのリビングよりも広い室内には、上等な品ではあるんだろうけど机と椅子、それからベッドに本棚くらいしかなくて殺風景で。子ども部屋だったなんて言われなかったら分からなかったと思う。


 お登勢さんが言ってたっけ。道松兄さんは一族の人だけでなく、お母さんからも隔離されるようにして育てられたと。


「あの。道松兄さん、その……」


 話したくないなら、それでもいいの。誰にだって知られたくないことはあるもんね。


 だけど。


 道松兄さんのこと、私、全然知らない、知らなかった。みんな、兄さん以外の人の口から聞いたことだ。


 どうしてだろう。その事実に私の胸は鈍い鉛みたいな痛みを覚える。


 兄さんはしばらくの間、黙り込んでいたけど、すっ……と部屋のとある一点を見つめ。


「アイツ等が欲しているのは、ただの血だ。液体だ。それ以上でもそれ以下でもない。アイツ等ときたら跡取りがいなくなった途端、掌を返しやがって。勝手過ぎるんだよ、都合良過ぎだ。

 本当、馬鹿げているよな。今はもう令和という時代なのに、時代錯誤も甚だしい。古い習慣に囚われ振り回されている、可哀想な連中だ」


 兄さんの口から吐き出された湿った息が、その場を支配する。兄さんはどこか遠くを見つめる。兄さんの瞳には、一体何が映っているんだろう。


 そんな兄さんに、だけど私は何も言えない。なんて言ったら良いのか分からない。


 何も言えずにいる私を、けれど兄さんは少しも気にかける様子もなく、外の世界に耳を傾ける。


「表の方が静かになったな。そろそろ行くか」


 兄さんは、帰るぞって。そう言うけど、簡単に帰れるかな?


 それでも私達は部屋を出て、身を潜めながら音を立てないよう忍び足で進んで行く。


 だけど。


「いたぞ、捕まえろ!」


 ……やっぱり無理だよね。だって、このお屋敷に使用人はたくさんいるんだもん。


 私達はあっという間に取り囲まれてしまう。目の前には人の壁が築かれていく。

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