5.

「道松様は、与松様のお孫様――、豊島家の本家の血を引かれた唯一の存在です」


「え……。道松兄さんが豊島家の……?」


「はい。そこで道松様には与松様の跡を継がれるよう、豊島家に復縁していただきたいのです。

 もし牡丹様が道松様を豊島家に復縁するよう説得できましたら、謝礼としてこちらを差し上げます」


 そう言ってテーブルの上に置かれたのは、アタックケースだ。ケースのフタが開くと、中には――……。


 なに、これ。本物のお札なの……?


 ケースの中には、お札の束がびっしりと詰められていた。本当に本物? 一番上の紙だけ本物で、下の方は全部新聞紙とかじゃないの?


 私の考えていることが秘書さんにも伝わったみたい。


「全て本物です」


 秘書さんはそう言って一束手に取ると、証拠とばかりパラパラと中身を見せてきた。


「これで足りなければ、もっとご用意させていただきます」

と驚きを隠し切れていない私に向かって、秘書さんは付け加える。


 もしこのお金が手に入れば、しばらくの生活は保障されると思う。


 だけど道松兄さんが豊島家とやらに復縁するよう説得するなんて。道松兄さんのこと、まだろくに知らない私にできる訳がない。


 でも、どうして道松兄さんは、天正家に引き取られたんだろう。こんな立派なお家があるのに。それも大企業のポストまで約束されているんだ。何か相当な事情があるに違いない。


 そんなことをうだうだと考えていると、おじいさんは気が短い性格みたい。いつまでも返事をしない私に痺れを切らして、無言で立ち上がると部屋から出て行ってしまった。秘書さんも、

「よくお考えになってください」

 そう言い残すと、おじいさんの後に付いて行った。


 一人きりになった私は鼻先のお札の束をじろじろと眺めながら、一つ大きな息を吐き出す。


 確かにこのお金は、とっても魅力的だ。もし手に入ったら、これから先、一人で生きていく私にとっては大きな支えになると思う。


 だけど、やっぱり私には、道松兄さんを説得させられない。それに道松兄さんの事情もよく知らないんだ。ラブレターの件でもそうだったけど、事情を知らない第三者の私が、一方的におじいさん達の肩を持つのは間違っていると思うもの。


 どうしたものかと思っていると、外側から襖が開いて、

「お茶のお代わりはいかがですか?」

 年齢の割にはぴんと背筋が伸びている、品の良さそうなおばあさんが入って来た。


「えっと、大丈夫です」


 私は並々にお茶が入ったままの湯飲みを見つめながら、せっかくの好意だけど丁寧に断る。すると、おばあさんは気にしていないのか、分かりましたと簡単に返した。


 けれど、おばあさんはすぐに部屋を出ようとはしないで、その上、

「道松坊っちゃまはお元気ですか?」

 そう訊ねてきた。


 兄さんのこと知ってるの? そう思っていると、おばあさんは、

「道松坊っちゃまのお世話係をしていました、お登勢とせと申します」

と私が問いかける前に自ら素性を明かし、深く頭を下げた。


「道松兄さんのお世話係?」


「はい。道松様がここ、豊島家にいらっしゃった時は、道松様のお母様である松音様に代わりまして、私が道松様のお世話をさせていただきました」


 お登勢さんが、兄さんのお母さん代わり? それじゃあ……。 


「兄さんのお母さんは……」


 お登勢さんは、すっ……と目を伏せ、

「道松様と松音様は……、一緒にいることは許されていませんでしたので」

 だから自分が兄さんの面倒を見ていたのだと、お登勢さんは教えてくれる。


「豊島家は由緒正しい家柄で、何よりも血筋を大切にしております。ですから、どこの誰かも分からぬ殿方――道松様のお父上のことですが、そのような殿方との間にできた道松様を当主にはできないと。それで道松様は、豊島家を勘当されたのでございます」


 お登勢さんは重たい口調で話を続ける。


 そんな事情で豊島家を追い出させた道松兄さんだったけど、三年ほど前、兄さんのお母さんが亡くなったことで状況が変わったみたい。兄さんが豊島家を出た後、兄さんのお母さんは無理矢理一族の人達が決めた相手と結婚させられたけど、子宝には恵まれなくて。それで跡継ぎ問題が浮上したんだとか。


「本家の血を途絶えさせるよりはと、お考えになられたのでしょう。旦那様方は道松様を豊島家に復縁なさることをお決めになられたのですが、一方の道松様は拒絶なされて。それで道松様は今も天正家で暮らしておられるのです」


 お登勢さんは語り終えると深々と頭を下げ、それから部屋を出て行った。

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