第17話 ep2 . 「訳有り令嬢と秘密の花園」 童貞卒業の通告

冷や汗が背中に流れていくのが自分でもわかった。


そんなんじゃないんだ。


そういうのじゃなくて、と言いかけた俺はふと思考を止める。


じゃあなんなんだろう?


花園リセ。


優雅な聖母のような貴婦人。


慈愛に満ちた微笑みを浮かべる御令嬢。


俺とは住む世界が違うっていうのは最初から知ってたしそのつもりだ。


これからもそうだ。


だけど。


俺は何かを伝えたかったんだ。


それはどんな言葉で表現していいのかわからない。


俺は馬鹿だから何もわからないし伝え方も知らない。


何か言いたいけど言葉が出てこないんだ。


そんな俺の胸中を見透かすように花園リセはクスクスと笑った。


「嘘。冗談ですわ」


佐藤さんがそういうおつもりで無いことくらい解ってますわ、と悪戯っぽく彼女は微笑む。


「俺のことからかったんかよ?酷いなぁ」


そう言いつつも俺はどこか安堵していた。


いつも俺とマサムネを気にかけてくれる存在である彼女は俺にとって聖母のような存在だった。


いつか終わりが来るかもしれない。


それは重々承知の上で、しかしこんな楽しい日々が永遠に続けばいいと俺は心の何処かで願っていたのだろう。


10月の風が優しく吹き、俺と彼女だけの庭園を駆け抜ける。


ゆっくりとした時間が流れているように思えた。


俺はふと今から取り掛かる作業について花園リセに確認する。


「なあ、梨のジャムってどれくらいの量が出来るんだ?」


そうですわね、これだけの量ですからなかなか沢山出来ますわね、と彼女は答える。


今から作る梨のジャム。


瓶詰めにすればどれくらいの期間保存できるのだろう。


よくオシャレな雑誌なんかで食卓にいい感じの食器や調味料と並んでジャムの瓶が配置されている写真を見かける気がする。


秋だと常温保存できるのだろうか。


それとも冬季でも冷蔵庫に入れたほうがいいのだろうか。


「じゃあさ、梨のジャムって冷蔵庫に入れた方がいいものなのか?」


折角のジャムだ、大切に保存したいじゃないか。


花園リセが微笑みながら答える。


しかし、唇の動きは見えるのに声が聞こえてこない。


え?常温保存?冷蔵庫?


なんて言ったんだ?


周囲は暗くなり、目の前は暗闇に包まれている。


暗闇。


俺の意識は遠のいて行く。


身体は金縛りに遭ったように全く動かない。


ぼんやりとした思考の中で子どもの声…複数の子どもの声が聴こえて来る。


最初はボソボソとしか聴こえなかったその声がだんだんと近付いて来る。


なんだ……?なんて言ってる?


それは何かの歌のようでもあった。


童謡?わらべ唄?


聞いたことのある曲だが思い出せない。


耳鳴りがする。


歌声はだんだんとはっきり強く、近くなってくる。


わからない。


どこから聴こえて来るんだ?


四方八方から子どもの声が聴こえる。


あちこちに子供は散らばっている。


なんだ?なんで子どもが沢山ここに?


子どもの声は次第に大きくなってくる。


耳鳴りは強くなる。


いきなり至近距離、耳元で誰かが囁いた。





『 後 ろ の 正 面 だ あ れ ? 』






その瞬間。


パチンと誰かが手を叩いたような音がした。


俺は目を開けた。


俺が目にしたものは天井だった。


天井?


俺の家だった。


俺は自宅の布団の中で眠っていた。


いつの間に?


俺は家に帰ってきたっけ?


え?帰ってきた?


は?


ジャム作ったよな?


あれ?


作ったけ?


花園リセはどうしたっけ?


俺は彼女と一緒に居て……それから?


ジャムを作る約束をして……どうしたっけ?


記憶の糸を辿るが全く思い出せない。


俺は時計を見た。


午前四時。


目覚めるには早すぎる時間だ。


こんな時間になんで目が覚めたんだ?


俺は何も思い出せないままスマホを確認する。


”9月9日 4:04“


デジタルの表示が目に映る。


は?


9月?


は?10月だろ今は?


バグったのか?


故障か?


俺はスマホをもう一度凝視する。


メッセージが一件来ている。


小泉からだった。


『目が覚めたら神社に来い』


ただそれだけの連絡だったが妙な胸騒ぎがした。


すぐに飛び起き、制服に着替えると俺は小泉が巫女を務める神社に向かった。


小泉が臨時で間借りしているという境内エリア内にある離れのドアを叩く。


いつも夜更かししてゲーム三昧のはずの小泉はもう起きていた。


オールでもしたのか?


俺はいつもと違う空気になんとなく嫌な予感がしていた。


『ちょっと待て』という声と共に巫女の着物姿の小泉が出てきた。


こんな時間に?


なんでそんな格好してるんだ?


巫女のバイトは日曜だけのはずだった。


離れから社務所に通された俺は不安でいっぱいになった。


なんだこれは?


何をしてたんだ小泉は?


促されるまま俺は座卓の前に座る。


俺の前に正座した小泉が以前に持っていた和綴じの帳面を取り出す。


俺は座卓の上に置かれた帳面を凝視した。


なんだ?


意を決したように深呼吸した小泉は真っ直ぐに言い放った。






「佐藤。お前は童貞を捨てて戻ってきたようだな」

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