lost you

 記憶の中にいる母は

 ずっと「ここにいない誰か」を探していた


 自暴自棄になって始めた麻薬で、脳のあらゆる機能が壊れ

 もはや自分の名前すら思い出せないのに

 その名前だけは、何度も呟いていた


 私が知らない名前

 きっと母にとって大切な名前


 壊れたラジオのように繰り返して

 記憶のテープが焼き切れるのを待つ

 死を待つだけの廃人

 それが私の知る母だった


 ある朝、母はなんの前触れもなくベットから飛び起きると

 子供のように目を輝かせながら、こう言った


「そうか! 翼があれば会いにいけるんだ!」


 この人は一体なにを言いだすんだろうと思った

 人は狂うと、こうも変わってしまうのかと

 あまりの豹変ぶりが、怖かった

 

 しかし母は、決して冗談を言っているのではなかった

 その時はまだ製薬会社だった五芒星唱会ポエム・ペンタゴンに連絡を入れると

 本格的な研究の日々に、没頭していくことになる


 そして、本当に作ってしまった

 人間が、人間の限界を超えるための麻薬


 徹底的に破壊され尽くした廃人の脳回路シナプス

 神の奇跡か、はたまた悪魔のきまぐれか

 それは分からないが、とにかく繋がってしまった


 天才を超えた、禁忌の領域

 

 異能開花エヴォルヴァー試作品プロトタイプは、そうして生まれた


「もう少し、もう少しで会いにいける」


 母は自分の体を実験台にして

 異能開花エヴォルヴァーの改良を続けた


 自分の体が限界を迎えると、今度は私の身体を使った


 まだ幼い私は、母が間違っているなどと考えない


「ようやく、ようやく完成した」


 ある日、母は完成した異能開花エヴォルヴァーを首筋に打って

 ぽつん、と涙を零して

 とても幸せそうに笑った


「翼が、翼が……これで、ようやく会いにいけるよ……」


 それきり、何も言わなくなった

 翼など、どこにも生えていなかった


 きっと、薬物で傷ついた体は

 異能開花エヴォルヴァーのもたらす進化に付いていけなかったのだ


 やがて母は廃人収容所に運ばれて、脳死判定が下された


 なにも無くなった


 たった一人の家族も

 唯一のよすがだった異能開花エヴォルヴァー

 研修成果も、家も

 なにもかも五芒星唱会ポエム・ペンタゴンが持っていった


 たった一つ、残されたのは

 試作品のプロトタイプ異能開花エヴォルヴァーによって与えられた異能チカラだけ


 こんなものが欲しかったわけじゃないのに

 それ以外のなにもかもが無くなってしまった


 なんのためにいきているのか

 なんのためにいきていくのか、分からない


「ならいっそ、全部無かったことにしよう」


 私からすべてを奪っていったものを、この世から消し去さろう

 

 ここにいない誰かに会うための翼も

 母の願いすら叶えなかった禁断の力も


 きっと、最初から無かった方がよかったものだから


「なにもかもブッ壊して――全部、無かったことにしよう」


 そのためになら、きっと

 生きられるのだろうと、私は思った。


 








 


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