第15話
※聖也視点の回想です。虐め表現有。
ある日、兄と遊んでいる最中に呼ばれた俺は、家の前の公園に連れて行かれた。『智風ちゃんって言うんですって。聖也と同じ4歳って』メガネを掛けた少女は『…やかび、ちかじぇれす…』そう言いながら母親の後ろに隠れて、少し顔を出すと頬を桃色に染めてにっこりと笑った。笑顔がとても可愛いくて、日本人形のような髪。ワンピースから伸びる手足の色が白くて、印象的な子。
これが、智風とはじめて会った日。
俺が4歳になってすぐの事だった。公園で遊んでいた智風親子に声を掛けたら、同い年だとかで親同士は仲良くなったらしいが、兄が遊び相手だった俺は、女の子とどう遊んでいいか分からずに、母の手を握って2人の井戸端会議に付き合った。たまに智風が智風の母に話し掛けると、ニコニコと微笑みながら話に耳を傾け、どんなにゆっくり喋ろうが、焦らせる事無く気長に話を聞いてやる。そして、智風が抱っこをせ強請ると、両手を広げて抱きかかえて『甘えさんね』と頬擦りをしてやるのだ。
俺の2番目の兄が喘息もち。母は何かあるとすぐに2番目の兄に付きっきりで、3兄弟の末っ子の俺はあまり手を掛けられないでいた。まぁ3番目ともなると、親も手抜きが上手くなるというか。だからか、智風の母親が彼女だけに目を向けている事が羨ましく、『ぼくも!』と抱っこを強請った。何時もなら嫌がる母も“仕方ないか”と抱っこをしてくれ、嬉しくて智風と目が合う度に笑いあった。智風のお蔭で抱っこして貰え、“また来てくれたらいいのに”と思っていたが、それ以来、智風親子は公園に現れなかった。
5歳になる年の4月。兄の喘息も落ち着いたという事で母はパートに出ると言い出し、俺は近所の幼稚園に放り込まれると、そこには大き目なメガネをかけた智風がいた。初めて会ったあの日から、1ケ月後にここの園に通うようになったという。“何かの縁”と親同士はたまに井戸端会議をしていたようだった。親とは反対に、不安で先生のエプロンを1日中掴んで離さない智風。始めは俺も行きたくなくてわんわん泣いていたが、2〜3日で園生活に慣れ、友達と遊ぶ方が楽しい事を覚えた。それでも智風は相変わらず、先生のエプロンを握りしめていた。『早くお友達つくりましょうね』と困った顔をされていたのを覚えている。
通い出して1年。年長になり、子どもながらに智風が他の子と何となく違うと感じ始めた。色白で、控えめ。背中まで伸びる黒髪は本当に日本人形の様で、綺麗で、騒がしい他の園児とは違い大人びて見えていたが、相変わらず喋るのがゆっくりで、この頃は智風と話すのが苦手だった。ゆっくり過ぎて結論まで到達するのに時間が掛かってしまう。親同士が仲がいいから仲良くしないといけないと思っていたけど、じれったくて、あまり声を掛けなくなっていったのだ。元々、口下手で外遊びが好きではない子だった為、俺同様、段々とクラスメイトも智風と距離を置くようになり、彼女はひとりで教室に残る事が多くなった。先生も園庭で遊ぶように声掛けをしていたみたいだが、それも数回で終わった。怪我をされなかったらひとりにしても良かったのかは知らないが。教室の中で何をしているかと言えば、お絵かき帳に数字や漢字を書いて時間を潰していたのだと。卒園前には在園児の苗字から漢字で書け、掛け算まで出来ていたそうだ。何と書いているかは分からなかったが、何度かのぞき見したその自由帳には漢字や沢山の数字で埋め尽くされていたのを覚えている。智風はほんの少し身長が高いのだが、運動が本当に苦手。縄跳びも鉄棒も出来なくて、何より苦手なのが、かけっこ。なので、運動会のリレーで同じグループになると文句を言われていた。『ちかぜちゃんがいるから、またまけちゃうね』『どうしてそんなに、はしるのおそいの?』『はしるれんしゅうしてよ』運動会シーズンになると言われていた
虐めが本格化したのは、小学校に行き出してから。智風の持ち物、図書袋や上靴入れ、体操服入れ。その上、ハンカチ・スカート・ワンピースもお母さんの愛情の籠った手作りだった。女の子の物なんてよく分からないが、母が『可愛い』とべた褒めだったのを覚えている。殆どの生徒が既製品を持っていたので、皆、羨ましかったのだろう。それに加え、智風の父親は注目の的だった。田舎町に似合わない程、身長も高く顔も良い。そして、若い。
二児・三児の多いクラスだったので親の平均年齢層も高く、尚更の事だ。俺も若くて格好の良い智風の父が羨ましい、と本気で思っていた。智風の父親は格好良いだけでは無く、学校の行事にも積極的に参加していた。あの頃、珍しい程の子煩悩な父親で、授業参観に地域の清掃活動。夏休みになれば、必ず2人でラジオ体操に参加。そして、休みの日は家族3人で何かをしている姿があった。
簡単に“羨ましい”という感情は、“妬み”という感情に変化するものだ。字が綺麗だとか、姿勢が良いとか、担任が智風を褒め千切っていたのも原因のひとつかもしれない。
ある女の子が智風の髪を引っ張っている処を多く目撃した。それは、幼稚園の時から一緒だった女の子。身長はさほど高くなく、何時も智風を睨み上げている。幼稚園に通っている時も、足を引っかけたり、お供を引き連れて智風を取り囲み色々言っていた。助けた方がいいのか、と思いながらもとばっちりを食いたくないのが、正直な処。見て見ぬ振りで、過ごしていた。
しかし、2年生の終わり頃、下校中に智風の後ろを歩いて帰る処をクラスメイトが目撃していたらしく、次の日、それを冷やかされた。帰り道が途中まで一緒だったので馬鹿正直にそう答えると、昼休み智風が髪を掴み上げられ、一番でかい男子に背中を殴られ泣いてる。思わず駆け寄りそいつを突き飛ばして、智風を助けてしまった。迸りを食うのは御免だったが、理不尽でならなかったからだ。しかし、手を出して始めて分かった。兄が2人いると案外鍛えられるもので、そこで始めて自分が意外に強いのだと。それに、今迄笑って見ていた周りの輩は、何も言えなくなって蜘蛛の子散らす如く逃げて行く。『イジメなんてカッコわりーんだよ!』クラス全員に向かって怒鳴ったら、それから智風に対する虐めも少なくなり安堵した。『ちかぜちゃん、意地悪な事されたら、おれに言えよ』涙を拭いてやると智風は困ったような顔でいたが、小さく頷いた。
月日は流れ3年生、1学期の半分を過ぎた頃。『聖也くん、智風をよろしくね』と智風の母親と久し振りに会った時に掛けられた。その時は意味は分からなかったが、ある夜、両親の話を立ち聞きして何となく理解した。智風が2年生に上がってから一緒に入っていたお風呂も入らなくなったり、学校の話しをしなくなったので、気には留めていたと。だが、背中に痣を作って帰って来たのを目撃し、先日、虐めは無いのかと事実確認をしに担任に問いただしに行った。が、担任は『そんな事実は無い』の一点張り。その上、鼻で笑いながら
『愛情不足だと親に構って欲しくってそんな嘘を吐くんですよね。子どもって。まったく、暇だから子どもの被害妄想に振り回されるんですよ。それよりも自分達の子育てのあり方を改める方が良いのでは無いですか?お父さんはやけに若くに父親になられたようですから』
と言われたのだと。その話を聞いて俺の両親も心を痛めていた。『どうにかならないものか』と。皆、虐めの首謀者は分かっていた。が、そいつの父親は役所のお偉いさんで、事を起こしても返り討ちに遭うのが目に見えていた。その上、下手すれば職を失う事にもなりかねない。小さな田舎町だと、権力の強い者を敵に回せないのだ。他人の子の為にそんな事をする必要はない、という事か。
それから、俺が見ている時に虐めになるような行為は無かった。本当に莫迦だと思う。目に見えない処で虐めがヒートアップしていたのを知るのは後日の事になる。
何日かして、虐めの主犯者である女の子に告白をされた。可愛い子ではあったが、『苛めをするような子は嫌い』と伝えると、泣きながら『私の何処が悪いの?
そのせいで智風は逆恨みされ、次の日、髪を切られたのだ。学校に両親が来た日以来、担任は智風を問題児扱いし、髪を切られているのに何事も無かったように授業を受けさせた、最低な
今迄の事を思えば、めげずに学校に来ていたので、今迄通り登校してくるものだと信じていた。が、段々と休みがちになったと思ったら、智風は何も言わないまま転校してしまった。
『転校した』と聞いた日、家に帰ってその事を母親に話すと『智風ちゃん、声がね出なくなってたんだって。ご両親も頻繁に病院連れて行ってたらしいんだけど、此処からだと何回も通えないから、病院の近くに引っ越しを決めたそうよ』と。そして、『ま、助かったのは、あんたが虐めに加担してなかった事ね』安堵を含んだ言葉を投げかけられた。加担はしていなかったが、苛めを見て見ぬ振りして、足掻いた時には手遅れ。その上、自分が吐いた言葉で智風に大きな傷を負わせてしまった。声が出なかった事も知らなかった。何を言っていいのか分からずにただ、俺は黙っていた。
智風が転校して数日後。『あ、このビデオ返しそびれちゃったわ…』と母が言っていた台所のカウンターに置いていたDVD、目を疑った。それは、智風の七五参のDVDで、着付けからお参りを済ませ帰宅するまでの記録。着物を選び、着つけて貰い、化粧をして貰うと大人顔負けの化粧映えに、『綺麗ね』と外野の声。参拝のシーンは、『本当に智風ちゃん?』と聞きたくなるほど凛とした彼女が映っていた。今迄見せた事の無いとびっきりの笑顔で、母親に手を引かれ歩いている。メガネを掛けていない智風を見るのは初めてだ。そして、こんなに綺麗な子だったんだ、とドキドキした。俺はそのDVDを暇があれば一人で見るのが楽しみになっていた。
智風が居なくなっても、何事も無かった様に毎日は過ぎて行く。
そして、あっという間に中学生に。中学は他の校区も一緒になり、大きな集団となる。上がった途端、智風を苛めていた女の子が反対に苛められるようになってきた。幼稚園からずっと変わらなかった傲慢的な態度が仇となり、上級生に『生意気な奴』と呼び出されるようになり“コイツの時代は終わった”と察したか、取り巻き達は離れていき、彼女はひとりになった。休む日が増え、勉強も遅れがちになり順位が落ちたのは言うまでもなく、2年生の夏休みまではどうにか学校に顔を出していたのは覚えているが、その後、姿を見た記憶が無い。母の話では、引籠もりになった彼女の事で両親は喧嘩が絶えず、その末離婚。彼女は県外の母親の実家に行ったと聞いた。正直、
智風に会いたい、と思いながらも、その願いは叶わず、高校の入学式を終えた。しかし、次の日。刑事になった1番上の兄から連絡があり、智風の両親が事故で亡くなった事を聞いた。珍しい苗字だったので覚えがあったのだと言う。
運命だと感じた。絶対に智風に会うべきなんだと。俺の手で幸せにするべきなのだ。
智風が有名進学校の制服を着ていた事を聞き、彼女に会いたい一心に死に物狂いで勉強した。2年生に上がる前、担任に智風が通う高校に編入試験を受けたい事を伝えた。驚かれたが真剣に考えた末の事だと理解して貰え、2年生の夏に試験を受ける事が叶った。親には大反対をされたが決心は変わらず、必死で頭を下げ続けた。本当に現金なモノで。あれだけ反対していたのに親は、合格通知が来ると態度が一変。親戚に自慢出来ると大喜びをしていた。そして無事、編入する事が出来た。
智風を見つけるのは容易い事だったが、髪の毛を切られたあの日と同じ髪型で、心が痛んだ。自分のせいで虐めに遭っていたのだ。どんな顔して声を掛ければいいのか。しかし、スタイルが良く、見惚れてしまったのも言うまでも無い。“智風に恋をしている”と自覚した。が、声を掛ける事よりも、ハイレベルな授業について行くのに必死で何時の間にか2学期は終了してしまっていた。
3学期にでも声を掛ければいいか、と思っていた矢先、休みが取れた母親と待ち合わせする為にショッピングモールを訪れていた。そこで年配の女性と歩いている綺麗な女性が目に入った。見間違うはずが無い。今でも暇を見つけては見ている七五参のDVD。あの頃の面影を残した智風が目の前を過ぎて行き、俺は慌てて後を追った。不意に眩暈を起こしたふらついた智風。慌ててその腕を掴んでいた。名前を告げて拒否反応を示されたどうしたらいいか、それに、顔色の悪い智風を追い込む事になったらどうしよう、と考えていると、智風が見上げているのに気付いた。その綺麗な瞳に思わず息を飲んだ。見れば、智風が持っていたメモが落ちている。其処には若い子に人気のブランド名。ひとりで行かせるのに不安を覚え、一緒に行かないかと、誘うと少し考えた智風は『お願いしてもいいですか…?』と。相変わらず下を向いて歩く癖は直ってなかった。ショップに着くとお揃いの手袋を探している事を知り、友達が出来たのだと安堵した。藍色の手袋は多分、友達の彼氏用だろう。友達の代わりに買いに来てあげる優しい子なんだと、頬が緩む。そこで目に入ったピンク色のストラップ。残念な事にこの色しか在庫が無く、男がこの色を付けるのは変かもしれないが、智風とお揃いの物が欲しかった。慌てて店員を呼び購入。箱に入れて持って来たひとつに『今日は一緒に手袋を探せて楽しかったです。もっと話がしたいので今度、食事にでも』と携帯番号を添えたメモを入れて、店員に智風の袋にこっそり入れて欲しい、と頼んだ。
幸い、手際のいい店員のお蔭で入れる事に成功した。最後まで俺だと気付いてくれなかったが、手応えはあった。…はず。店を出ると深々と頭を下げる智風の胸の谷間は刺激的過ぎて、軽く手を上げてその場を後にした。というより、鼻血を噴きそうで逃げ出した、と言った方が正しい。後は、智風から電話が掛かって来るのを待てばいい、とご機嫌でへ母親との待ち合わせ場所へ向かった。
しかし、一向に電話が掛かって来る事は無く…。3学期になって声を掛けようと待ち伏せをするが、不発に終わってしまうのだった。
※編入試験は住民票の移動や授業のカリキュラム等が一緒じゃないと受けられない・高校受験より編入試験の方が難しい等ありますが物語として捉えて頂けると幸いです。
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