2−2

 高校を選んだとき、思いつかなかったのは朝のラッシュだ。こんなにぎゅうぎゅうでみんな、学校なり仕事へ向かう人たちは大丈夫だろうか。やる気は起きるのか? 悪いけどわたしはまったくだ。一時間目なんてほぼくたびれ果てている。一限が理数系科目だったりしたら地獄だ。かといって文系の科目だったらいいのかといったらそれはまた別の話なんだけれど。

 学校のある駅に着いて、みんながぞろぞろと改札へ向かっていく。流れに逆らってそばにあるベンチに座った。

「大丈夫?」

 しばらくして西村がやってきた。

「……に見える?」

 わたしは嫌々答えた。

 同じ電車に乗っていても、西村は声をかけない。電車に乗り込むとき近寄ると、不機嫌になると思っているのだ。

 同じ車両に乗るが、べつのドアから西村は入る。

「なんだかルーティーン化してるね、莉央ちゃんがベンチに座るの。むちゃくちゃ思い入れがあるみたいに見えちゃうよ」

 西村が言った。

 すぐにホームは人が少なくなった。

「誰か、あんたを待ち構えているんじゃない?」

 わたしは言った。

「ああ、でも勝手に待ってる人にサービスする必要はないでしょ」

「冷たいね」

 昨日ノートに途中まで書いたことを思い出した。深夜2時ごろまで集中していたので、寝足りない。

「電車通学はやっぱりしんどいもんですよ」

「だったら近所の高校に行けばよかったじゃない」

「そうしたら、莉央ちゃんと会えないし」

 西村は平然と言った。

 西村の成績ならば、自転車で通える近所のわりと難易度高めの高校に入学できたのだ。西村はわたしの志望校を母から聞き、同じ学校を受験した。それまでは、別の学校に行く、と嘘までついて。事前に知ったら莉央ちゃんが怒るから、と。その言い方じゃまるでわたしがなんでもかんでも当たり散らす面倒なやつ、みたいではないか。

「あのね、クラスだってわたしたち被ったことないでしょ」

 わたしたちは三年連続で一緒のクラスにならなかった。それは別に構わない。いやむしろ歓迎する。

 入学した途端、女子の注目を浴びた西村は、一年生のときにむやみやたらにわたしのクラスにやってきた。仲のいいおな中の男友達に会いにきたていで。クラスメート(主に女子)に西村のことを聞かれた。男友達のほうは自慢げに吹聴、アンドわたしと西村が幼馴染だと暴露された。

 そうなると、いつも不貞腐れていたわたしに、クラスの女子がやってくる。むげに断ったりしていたら、悪評が立ちだす。「西村と仲がいいからって調子に乗ってる」とか謎理論をかます。

 あげく西村に訴えるやつまで出てくる始末。西村は笑顔でうんうんとそんな被害者ぶった女の話を聞いてやり、最後には、「莉央ちゃんはぼくの大事な幼馴染なんだ。ほんとうはすごくいいコだから」なーんてぬかす。

 こうしていじめられるわけでもなく(まあそんなことされたらぶん殴るけど)、腫れ物扱いされるわけでもなく、なんとなく距離を置いて眺められる存在になってしまった。ついでに西村の好感度は爆上がり。

 いまではわたしたちの関係は学校中に広まっている。

「昨日、家に帰って気づいたんだけどさ、泉水ちゃんて、笹岡ちゃんに似てない?」

「誰、泉水って」

「昨日、莉央ちゃんに友達になろうって言ってきた健気な演技が上手いコ」

「さりげなく毒吐くんじゃないよ。笹岡って、保育園にいた」

 なにを「ちゃんづけ」してるんだ、こいつは。

「そう、みんな大好き笹岡ちゃん」

「わたしは嫌われていたから」

 正確には、わたしを憎んでいるんだろう。

「ああ、あの人、ぼくのこと溺愛してたからね」

 まるでいま納得したみたいに、うんうんと頷く西村を見て、わたしはぞっとした。

「溺愛って、あれ犯罪だったじゃない」

「まあ、ゆきすぎた愛、ってやつでしょ。学んだよ」

「五歳で学ぶもんでもないでしょ」

 とくに気にもしないふうで答えたけれど、胸がざわついた。

 笹岡奈緒美のことをひさしぶりに思い出した。

 わたしたちはこんなふうに、かつて西村に被害を及ぼした女の話をすることがある。まるでなんでもなかったみたいに。

 でも、わたしは女たちの名前を口にしただけで、なんだか砂を噛んでしまったような気持ちになる。

 口をゆすぎたくなる。

 わたしは西村を見た。

「なに?」

 西村が気づいて微笑みかける。いつもの、完璧で、なにも悪いことなど世の中にはない、自分のまわりで起こるはずがない、そんな普通の人間が浮かべようものなら不愉快極まりない表情を、平気でする。

 普通の人間なら。

 普通でない出来事を超えてきた西村がすると、それはどこか、諦めているみたいに見えてくる。

 そんなふうに感じるのは、わたしだけなのだろうか?

 西村は孤独なのかもしれない、と思うときがある。

 そしてそれを感じ取るわたしもまた、そうなのかもしれない、とか。

 でも、思春期の小娘特有の、『集団に埋没しているとふと孤独に感じる』みたいな安いセンチメンタルと同じ、凡庸なものなのかもしれない。

 わたしはもう、よくわからなかった。

「ううん。だったら、そのコ」

「泉水ちゃん」

「そう、そのコ、危ないかな」

 ここしばらくは、大きな問題は起きなかった。わたしの知る限りでは。

「べつに、大丈夫じゃないかな。彼女は周囲の目をやたら気にするでしょう。ぼくに告ってきたときもだし、莉央ちゃんに擦り寄ってきたときも、どうせ仲間を従えてきたんでしょ。うまく行こうが行かなかろうが、とにかくギャラリーを用意するタイプは、なにかしでかしたとしても、自己正当化するのに誰かの承認が必要だよ。ぼくが似てるって言ったのは、顔のかんじ。たぬき顔っていうか、まあ男受けする愛らしい感じ? 自分の顔をある程度好もしく思っているっていうか。笑顔が張り付いてたまにピキピキしてるタイプ」

「ほんとに、あんたはひどいよ」

「友達と認めないくらいに浅ましい女になんで同情するんだ? だったらぼくのことをもう少し気にかけてよ」

 西村が言った。

 あんたのおかげでいろいろとめちゃくちゃなんだっつうの、と何億回言ったかわからない言葉を口にしようとして、やめた。

 何を言ったって、こいつには響かないのだ。

 わたしばかりはダメージを負っているみたいで、むかつく。

「ま、学校遅れちゃうし、行こうか」

 西村が立ち上がった。

「先に行ってよ」

 一緒に並んで登校しようものなら、大惨事だ。

「べつに、うちもそばだし、そのくらい誰もなんとも思わないよ」

「わたしが嫌だから」

 切り捨てる言い方をしたな、と思った。いつもだったらもっと、腹を立てながら言った。

 笹岡奈緒美のことを考えたら、なんだか、暗くなった。

 違う。身体の奥から奇妙に、冷えた。

 初夏の生暖かい朝の空気のなかで、汗を掻いた。

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