1−4

 家に帰ると台所のほうから弾んだ声が聞こえてきた。

 最悪。

「おそいよ莉央ちゃん」

 台所のテーブルで、西村がアップルパイを頬張っていた。

「お待ちかねだったのよ」

 母はカップを手にしていて、ご満悦そうに笑った。

「いや、待ってるとか知らんし」

 わたしが言うと、

「ラインしたんだけどなあ」

 と西村が言った。

「きてるのは見たけど、中身読んでない」

「読んでよ、いつまでも既読がつかなかったから、心配してたんだよ」

 どう見ても心配から程遠い、のんきな雰囲気だった。部屋に甘ったるい匂いがこもっている。母はお菓子作りが趣味なのだ。

「なにを心配してんだよ」

「莉央、言葉遣い」 

 母がたしなめた。

「莉央ちゃんに友達ができたかなあって」

 西村が母に言った。

「あら、よかったわねえ」

「よかない」

 わたしが打ち消すと、

「あんたねえ、友達って大事よ。ただでさえあんた男の子にも恐れられて、仲がいいのは九亮くんしかいないんだから」

 そう言う母の言葉を受けてか、西村が妙にニヤニヤしだした。

「莉央ちゃんの魅力はぼくが一番よくわかってるから」

「ありがたいわねえ。でもあんた、九亮くんは大人気なんだから、あんたの相手なんていつまでもしてっられないのよ」

「そんなことないですよ、ぼくと莉央ちゃんはズッ友ですよ。なんなら莉央ちゃんとは結婚してもいいくらいです」

「そんなこと言うからこの子、調子に乗るのよお」

「乗ってねーから」

 二人のやりとりに呆れ果て、わたしは台所から退散した。

 うちの家族は西村にめろめろなのだ。ひ弱なお寺の跡取りが、すくすくと高身長で見栄えが良くなり人気者となっていくのをはたで見て、実の娘のほうは、親の期待通りにはいまいち育たない、残念な結果になったから。

 しかもそのダメな我が子を慕ってくれている(ように見える)のならば、そりゃもう大歓待もするだろう。

 制服を脱いで、部屋着がわりのTシャツとジャージ姿になってベッドに寝転んだ。そういえば、とかばんから借りた文庫本を出して、ぱらぱらと仰向けのままめくっていると、ノックの音がした。

 わたしは無視した。

「莉央ちゃん?」

 ドアのほうから西村の声がした。無視していると、

「十数えたら、入りまーす」

 と言って、ゆっくり嫌味ったらしく、いーち、にー、と唱え始めた。

「入れば」

 ムカムカしながらわたしは言った。

「お邪魔します」

 ドアが開き、西村が入ってきた。

「何読んでるの?」

 西村がわたしに近寄ってきた。「三島由紀夫。あのスカした図書館司書にオルグされてない?」

「べつに」

 わたしは字面が頭に入ってこなかったけれど、そのまま読んでいるふりをした。

「心配だなあ、あの人、どこか信用ならないし、悪影響を与えているんじゃないかと」

「あんた図書館なんか行かないでしょ」

「行かなくたって、わかるよ」

「……シリウスが言ったの?」

 わたしは一瞬、その名前を口にするべきか躊躇した。

「いや、シリウスくんはまったく。そもそもしばらくなんのメッセージもこない」

「そう」

 わたしはその話をするたびに、騙されたような、信じていいのかと疑う気持ちを胸に留めたまま話す。

 十年前からわたしたちは、たびたびその話をする。

「三島由紀夫もいいけれど、なにかぼくも本を貸してあげようかな」

「あんたの部屋に本なんてあったっけ?」

「莉央ちゃんが最後にぼくの部屋にきたのって、小学校の頃だろう。たまにはおいでよ、なにか気になるものもあるかもしれない」

「やだよめんどくさい」

 むやみに押し付ける気はないらしい。

「だって、情報は莉央ちゃんがほんとうに求めていないと手に入らないでしょ」

 西村が言った。

「もしかして、わたしの頭を読んだの」

 わたしは西村を睨みつけた。

「いや、もうそんな力もないよ。いつのまにかなくなったって、前にも話したでしょ」

「そう」

 目の前にいる幼馴染をわたしはじっと見た。

 人当たりのいい笑顔を浮かべている。もう昔の面影はない。あのときから、西村は変わってしまったのだ。

 でも、わたしはどこかで、あの、鈍臭くて泣き虫だった西村の面影を探す。

「なに?」

「べつに。どんな本読んでるの」

 休み時間は人に囲まれ、楽しく過ごしているのだ。そもそもそういう輩が活字を読むなんてするわけがない。

「ぼくだって本くらい読むよ。なにせうちの家はゲーム禁止だし、スマホをいじっているのが見つかったらブチ切れられて庭に投げ捨てられかねないし」

 いや、はぐらかすなよ、と西村の話を聞いて思った。

「そんなことするわけないじゃない」

 あの人のいい住職が。

「なーんにも見えてないってことだね。厳しいんだ、親父は」

「たしかに、なんにも見えちゃいないかもね。学校のみんなだって、あんたがわけのわかんないやつだって、知らないし。バレたとしても新手のジョークくらいに思うだろうしね」

 わたしは本を閉じ、起き上がってベッドの上であぐらをかいた。

「まあね。イメージ戦略は万全だからね」

 西村もベッドの端に座った。距離が近いっつーの。

「で、どうだった泉水ちゃんは」

「誰、それ」

「今日、莉央ちゃんに話しかけてきたコ」

「そういう名前だったんだ」

「名前も名乗らなかったの? 泉水ちゃん。他人に頼りがちなタイプだし、集団で追い込もうとしかちだから、やっぱダメだったか」

「あのさ、付き合ってほしいって言ってくる女の子に、わたしと友達になれたら、とか無理難題ふっかけるのやめたら。おかげでわたし、陰で『門番』だとか『弁慶』とか言われてるんだけど」

「弁慶って! じゃあぼくは牛若丸かあ」

「しみじみ言うなよ」

「莉央ちゃんにも友達が必要かなって思うんだ」

「大きなお世話」

「それに、付き合うってことは、ぼくらの仲間になるってことだよ」

「なにそれ」

「だってそうじゃない? ぼくと莉央ちゃんは、一蓮托生でしょう」

 西村が顔を近づけた。

「距離詰めんな」

「やっぱり、ぼくは莉央ちゃんだけなんだよね。だから、莉央ちゃんが認めた人でないと、付き合うことなんで考えられないんだなあ」

「自分の気持ちはないのか、あんたは」

「お互い様でしょう」 

 西村は立ち上がった。「なにはともあれ、残念な結果だね。まあいずれ、ぼくらのことを洗いざらい話すことができる人が現れるだろう」

 急に生真面目な顔になった。わたしは西村がわからなくなる。

「だったら、沢口さんに」

 わたしはベッドに放った文庫を見た。

「やだね。僕が気に食わない。ぼくら二人ともが認めた相手じゃないと」

「だったら、今日の泉水ちゃんってのは、あんたは認めたの」

「莉央ちゃんが認めたなら、ぼくは受け入れますよ」

「だったら」

「今日は帰るね」

 西村は部屋から出ていった。


 わたしは夕食を終えるとランニングをするのが習慣だった。大袈裟なものではない。近所にあるわりと大きめの公園まで向かい、一キロのランニングコースを気の向くまま走って戻る。

 幼いころからのルーティーンだった。

 なんでそんなことをするようになったのか。もう意味はないのかもしれないと思ってもやめることができなかった。

 守るために力をつけようとしたのか、それとも、追いつくために、追い越すためにしたいのか。

 夜空を見上げても、地上のあかりのおかげで、月とそばに小さな星があるだけだった。

 UFOは見えない。

 帰って風呂に入り、あとは寝るだけというとき、わたしはバッグからバインダーノートを出した。

 横掛のノートをしばらく見て、そして、決意した。

 いままでなあなあにしてきたけれど、わたしと西村のこれまでを整理する必要があるのだ、と。

 自分で文字を書いて、確認しながら。

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