第8話 灰色の中で

 太陽、太陽――


 誰かが名前を呼んでいる。

 聞こえるはずのない耳が音を聞き取ったかと思うと、真っ暗な視界にぼんやりと光が差した。

 ピントの合わない視界の中に辛うじて人影を認め、太陽は相手の顔を見ようと瞬きを繰り返す。

 すると溶け合っていた光が徐々に輪郭を取り戻し、五秒後には逆光でシルエットだけになった人影が顔を覗き込んでいる様子が見えた。


「よかった。目が覚めたんだね」

「あ……あなた、は?」

「糸川勝広。君の前世だね」

「え?」


 名乗った瞬間、カメラの絞りを調節したように逆光になっていた顔に色が現れる。

 太陽は男の顔を見て目を見開いた。年は二十代半ばといった感じだが、顔立ちは太陽と瓜二つだった。

 勝広は照れくさそうにはにかみながら、太陽に手を差し出した。


「立てる?」

「はい……」


 差し伸べられた手を取ると、勝広が引っ張って立ち上がらせてくれた。

 見回すとそこは何もない空間だった。

 壁も立っているはずの床もなく、ただ灰色一色に染まった世界。その中で淡い紫色のシャツを着た勝広の姿が異物のように際立っていた。


「ここは?」

「太陽の心の中だよ」

「心の中? 夢みたいなものってことですか? 僕はどうなったんですか?」

「君は石化させられたんだ。思考も止められて今は眠ってるよ」

「そんな……やっぱり負けたんだ……」

「えっと……そんな顔しないでほしい、かな。ほら、こうして俺達話せたわけだし」

「……そうですね」


 勝広は罰が悪そうに頬を掻く。見れば見るほど自分とそっくりだ。まるで鏡でも見ている気分で、太陽は薄気味悪さを覚えずにいられなかった。


「記憶の保持は失敗したのかと思ってたけど、最後の最後でようやく君と話が出来た。本当によかったよ。あんなに痛い思いをしたのに完全に失敗なんて割に合わないから」

「そうですね。あの記憶は僕も本当に痛かったです」

「ごめんね。君の人生に俺の事情を持ち越しちゃって。でもどうしても聡里を止めたかったんだ。聡里を止められなかったのは俺の落ち度だから」

「鳥海……聡里さんの計画、あなたは知っていたんですか?」

「完全に知ってたわけじゃない。でも嫌な予感がしたんだ。ここで止めないと大変なことになるって胸騒ぎがして、なんとかしようと思ったんだけど、俺にはどうにも出来なかった。俺には俺を自殺に追いやった人達を痛い目に遭わせやる勇気なんてなかったし、聡里のことも止められなかった。俺は弱かったんだ。どこからどう見ても弱者だったってわけだ」


 勝広のぼんやりとした表情を見て太陽は既視感を覚えた。

 これは過去の自分だ。アザミと出会う前の、自殺したことで自己満足していたしょうもない自分。或いは酷い目に遭っても戦うことを選ばなかった敗北者かもしれない。

 兎に角そこにいるのは強者とは真逆の存在なのだと理解出来た。太陽の気づきを見透かすように、勝広は肩をすくめた。


「君が俺のようにならなくてよかったよ。俺は危機を知らせるために俺の記憶を持ち越そうと思ってたけど、大半が抜け落ちて正解だったのかもしれないな。太陽が太陽として生まれて人生を歩んでくれたお陰で、君は俺のような弱者にならずに済んだ」

「弱者ですよ、結局……。聡里さんと戦って痛感しました。あの人は強いです。影咲さんの策も駄目で、死神を殺す唯一の方法も効かなくて、逆に僕達には全部有効で、勝ち目なんて最初からどこにもなかったんですよ」

「本当にそうかな。太陽は一番肝心なことを忘れているんじゃないか?」

「一番肝心なこと?」


 勝広は活を入れるように太陽の胸に拳を押し当てる。


「太陽、君は俺とは違う。アザミの力を借りる形だったけど、君は何度も復讐を成功させてきた。アザミが行ってきた復讐の要は全部君にあったはずなんだ。君には復讐を果たす資格がある。真の強者になれる可能性があるんだ」

「そんなこと言ったって、僕一人で出来ることなんか……」

「どうしてそんな風に考えるんだ? 不可能を可能にしてきた君が何をためらう? 君はアザミが秋人に追い詰められた時に言ったじゃないか。運命だったら、変えてしまえばいいって」

「それは……だってあの時の僕には運命を変える力が本当にあったから。でも今はもう強磁性体を外してしまったんですよ。もう僕にはあの力が……」

「どうしてないと言えるんだ? あるじゃないか。君にあってアザミやうさぎにはなかったもの。可能性という無限大にも値する力が」


 勝広は太陽の両肩に手を置き、同じ視線の高さで太陽を真っ直ぐと見据えた。


「落ち着いてもう一度よく考えてくれ。君はもう少しで勝ち筋に手が届くんだ。諦めないでこれまでのことを考えてくれ。君が強者だった理由を」

「強者だった理由……」


 手に重さを感じて視線を落とすと、いつの間にか両手は大鎌を握っていた。太陽は大鎌をよく見ようと顔に引き寄せる。


 力、機能、それらを超えて強者のイメージが投影される大鎌。


 アザミはただゲームに勝つことのみに拘り、なりふり構わずターゲットを処刑してきた。世間的に見れば死んだ時点で負けたアザミは死神になる道を選んだことでゲームの盤上に立ち続けた。

 うさぎは大切な人を救済するために罪を裁いた。秋人は戦う力こそなくても相手を調教することで上に立った。


 処刑者、断罪者、調教者。

 それぞれの抱く強者のイメージが死神に力を与える。


 では太陽はどうだろうか? 因縁の相手である石田を死に追いやった復讐者はどのような強者の姿を思い描いたのか。


「強者の形……僕は、運命を変えてきた。嫌な運命を吹っ飛ばして、都合のいい運命を掴み取ってきた」

 過去を振り返り、そう呟く。勝広は背中を押すように微笑んで、頷いた。

「そうだ。君はいつも願っていた。それじゃあ太陽に尋ねるよ。君はこれからどうしたい?」

「僕は……負けたくない。わけもわからないうちに消滅させられるのなんてごめんだ! 正しいことじゃなくたっていい。勝手だと誰かに恨まれるかもしれない、それでも! 僕は、僕だけの勝利に繋がる運命をこの手で勝ち取りたいんだ!」


 決意とともに太陽の大鎌が銀色の光を輝き始める。

 眩しい光に思わず目を背けると勝広は安堵したように相好を崩し、太陽の肩から手を下ろした。


「ようやく答えが出たみたいだな。よかった、これで俺も安心して送り出せる」


 勝広が太陽に手をかざすと、背中から大きな翼が広がった。

 灰色の翼は大鎌と同じように銀色に輝いており、日の光を受けた鏡のようにギラギラと燃えるような光を乱反射させていた。


「戦っておいで。そして必ず勝つんだ。君ならば出来るよ。何しろ君はこの銀河の中心となる輝かしい焔の名前を戴いたんだからね」


 翼が勝手にはためき、太陽を高い場所へと運んでいく。

 勝広から遠のくにつれて翼の放つ光が太陽をも包み込み、体の輪郭を塗り潰していく。


「勝広さん!」

「全てが終わったら転浄の川に記憶を渡して、今度こそ純粋に次の俺達を生きような」


 勝広が見送るように大きく手を振る。その姿もまもなく眩しい光が塗り潰し、何も見えなくなる。

 それから耳がおかしくなりそうな雷に似た轟音が体に叩きつけられる。

 痺れるような衝撃を感じながら、太陽は交わるはずのない二人を繋いでいた灰色の空間が崩れ去っていくのを肌で理解した。


「さようなら……さようなら!」


 轟音にかき消されまいと叫んでも返ってくる声は聞こえない。

 一抹の寂しさを覚えて大鎌を体に引き寄せると、光の中で大鎌の刃が脈打つように形を変えている様子が微かに見えた。


  ◇


「ふぅ、よかった。留め金が外れてただけで、中は大丈夫そうね」


 制御室でディスプレイを睨みつけながら、聡里は疲れ切った声で言った。

 振り返れば、隣の部屋に無造作に転がった三つの石像がある。聡里はつかつかと歩み寄ると、腰に手を当て、汚い物でも見るような目でアザミを見下ろした。


「いつの間にかアンテナのセキュリティが切られているし、私の注意を引きつけている間にアンテナを壊そうって魂胆だったわけね。本当にわざわざこんな所まで追いかけてきて、残念だったね!」


 吐き捨てるように言ってアザミの体を蹴っ飛ばす。


 太陽達三人を石化させた後、聡里は三人を回収して制御室に戻り、作業を再開した。しかしいざ現世へ電波を飛ばそうとするもエラーメッセージが表示され、原因究明に追われることになった。

 そしてアンテナに装着した『境界』の強磁性体が外れていることに気づき、装着し直して制御室に戻ってきたところだった。


「余計な手間を取らせて。今すぐ砕いてやりたいところだけど、精密機器に影響するかもしれないから後にしておいてあげるわ」


 腹立たしそうに鼻を鳴らし、聡里はもう一度ディスプレイに向き直る。遠隔操作されたシステムは全ての工程をクリアし、『準備完了R e a d y』の文字が表示された。

 ようやく現世へ電波を飛ばせると、聡里はタブレットに表示させた画面にコマンドを入力しながら唇で弧を描いた。


「ここから始まるの……私が頂点に君臨する、新世界が!」


 実行ボタンを押そうとしたその時、阻止するようにタブレットに銀色の光が差し込んだ。

 何の光だと石像がある方へ顔を向けると、転がった三体のうち一体が眩い光を放っており、雛がかえるように石になった体に亀裂が走っていた。


「何、これ? きゃあ!」


 光が強さを増し、聡里の視界を焼き尽くす。狼狽えた拍子に手からタブレットが滑り落ち、床にぶつかる直前で青白い光になって消えた。

 目をこすり、手で光を遮りながら聡里は状況を確認しようとする。


 光を放っている石像からメッキが剥がれるように石の表皮が落ちていく。動けないはずの体がむくりと起き、両方の脚でしっかりと立ち上がった。

 背中から鳥のような大きな翼が広がり、体を覆う光が粒子となって翼へ流れていく。

 体の光が引いていくと、短い黒髪の少年がゆっくりと茶色い目を開いた。


「なんで? どうして石化が!?」

「わかったんです。僕がなるべき強者の姿が」


 太陽は自分の両手を見下ろし、続いて傍に横たわる二人の仲間に視線を移す。

 出会ってから苦楽をともにしてきた二人は太陽が目覚めたことも知らず、絶望の表情を浮かべたまま固まっている。


「ずっと、僕がしているのは影咲さんの復讐なんだと思っていました。影咲さんが死ななきゃいけない理由だったインビジブルを崩壊させるために、僕は手伝っていただけだったんだって」


 でも、と言葉を切り、太陽は宿敵である聡里を真っ直ぐ見据えてはっきりと言った。


「あれは、僕の復讐だったんです。僕が弱者と呼ばれる人達を見て、強者とおごる人達を目の当たりにして、怒って、悲しんで、共感して、突き放して、心が大きく動いたから運命を変えたいと願ってきたんです。僕とあなたの因縁を知る前からずっと、僕がしてきたのは僕が望んでやった復讐でした」


 心臓はないはずなのに、胸が高鳴り、カーッと熱くなる。興奮から全身の肌がゾクゾクして、呼吸も荒い。

 死んだはずなのに、太陽は猛烈に生を感じていた。

 いいや、これは本当に生きているのかもしれない。肉体は朽ち、実体のない死神となっても、魂は生きている。

 でなければこんなにも感覚が鮮明になったり、胸が張り裂けそうなほど叫びたい衝動に駆られたりしない。


「僕は最初から復讐者で、ここに来たのだって復讐者だからです。そして僕がなるべき強者の姿は!」


 体の熱を集約させるように両手を前に突き出して集中すると、いつものように大鎌が現れた。聡里は心底呆れた様子で冷めた目で大鎌を見た。

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