3

 ふとん太鼓が身動きの取れなくなったのをいいことに、討伐隊は、エアガンを集中的に浴びせている。このままでは、ふとん太鼓は彼らに成敗されてしまう。

 縄を風の力で引き千切ってやろうかと思ったとき、私よりも早く、その歌が響いた。


「刺す竹の 舎人男とねりおとこへ 刺す竹や げに卑しきかな とくらぶれば」


 地面から竹槍がにょきにょきと生えてくる。その竹槍は討伐隊のほうへと向かい、彼らを押しやったあと、その周りをぐるりと取り囲んだ。竹槍は、まるで牢屋の柵のように、討伐隊を閉じこめた。

 ふとん太鼓は緩んだ縄を振りほどき、天高く飛翔する。


「ああ! ふとん太鼓が!」

「このっ! 天ノ川桐詠め!」

「ふふん。そのうち解いてあげるわよ」桐詠は尊大に笑んだ。「私が、ふとん太鼓を成敗し終えたあとでね!」


 悪者みたいだけど、私もどちらかと言えば桐詠側なので、討伐隊はざまあみろだった。


「ざまあみろ!」

「すず、はしたないよ」


 しかし、討伐隊も負けてはいない。桐詠の竹の檻にかからなかった残党たちが、私と桐詠に向かって、エアガンを構えだしたのだ。

 えっ。


ーっ!」


 私も桐詠も、さっと物陰に隠れてやりすごす。

 エアガンは、さほど殺傷能力が高いわけでもないのだが、あれだけの人数の大人にその銃口を突きつけられると、やはり恐ろしいものだった。至近距離だとかなり痛いだろうし、なにより、目や鼻を狙われれば、たとえエアガンでも危険ではある。まさかそこまではしないだろうけど、あの盛んな血気を見たあとでは、そのまさかもありえる。

 私についてきた此の面は、「おやまあ」と口を開けていた。


「討伐隊も必死だね。今年の有望株を潰すのを先決としたようだ」

「ざ、ざまあみろなんて言ってごめんなさい……」

「ははっ。時すでに遅しじゃないかな」あっ、と彼は区切る。「時すでにだ!」


 上手くない!

 そのとき――まるで羽虫を狙う燕のように、獰猛な勢いでふとん太鼓が襲いかかってきた。誰もふとん太鼓を相手にしてなかったから、その動向を掴めなかったのだ。だから野放しになっていた。私たちが戦うべきは、ふとん太鼓だったのに。

 此の面は、硬直した私を庇うように、前へと躍り出る。

 突撃してきたふとん太鼓の巨体を、その腕で受け止めた。


「此の面!」


 しばらくは勢いに押されていたけれど、此の面も負けてはいない。ふとん太鼓の勢いを殺し、その場にとどめさせる。浴衣の袖からあらわになった腕は筋肉で筋張っていた。ぎしぎしと迫りくるふとん太鼓を大きな掌で受け止め、なんとか鷲掴み、押し退けようとしている。

 すごい。これが此の面の才の力なのか。まるで相撲のような力比べだ。狐面の才で増強された彼の身体能力は、ふとん太鼓と並び立つほどのものだった。

 しかし、ふとん太鼓はまだまだだとでも言いたげに、此の面を押していった。とんでもない馬力だった。此の面は、ふとん太鼓の力に、次第に屈していく。踏んばっていた分厚い下駄は地面の土を掻く。

 そして、ぷつんと糸でも切れたかのような力の飛散――ふとん太鼓は、此の面を押しのけるように引き剥がした。此の面は、タタッと後方へよろける、そこへふとん太鼓はもう一度突撃し、此の面を吹っ飛ばした。


「あっ!」


 本当に、その体が、吹っ飛んでいく。見たこともないくらい暴虐的なシーンだった。身の毛もよだつような、車にでも轢かれたかのような、あんまりな衝撃。

 咄嗟に手を伸ばしたけれど、彼の体が容易く飛ばされた後で、それはもう呆気ない出来事だった。

 そんな……どうしよう。ていうか、最後の言葉が「時すでにおすしだ!」だなんて……あっ、いや、彼のことだから死んではいないだろうけど。でも、だけど、あのふとん太鼓に突撃されれば傷くらいは負うはずだ。どうしよう。ふとん太鼓は彼ごと遠くへ飛んでいったから、もうここが襲われる心配はないけれど。そうじゃなくて、此の面が。


「いたな! 風使い!」


 驚愕と不安で両頬を撫でる私に、討伐隊はエアガンを向ける。


「ちょ、ちょっと待って!」


 討伐隊はどういうつもりなのだろう。本来向ける相手であるはずのふとん太鼓も追わず、成敗上のライバルである人間に向けてくるなんて。


「あ、あの!」勇気をもって、尋ねてみた。「なんで私まで狙うんですか!」

「お前は敵だ!」

「敵はふとん太鼓でしょう!?」

「なんの、我ら討伐隊以外は、全て敵である!」


 あんまりだ。みんな目が血走っている。大切な一線を越えてしまっているようにも見えた。何人もの隊員がいるのに、〝おい、やめてやれよ、相手は子供だぞ〟みたいな声が一つだって聞こえてこないのだ。恐ろしくて身も竦む。


「せ、せめて話し合いましょうよ」

「御託はいらん!」

「ひっ!」


 私は咄嗟に風を起こし、そのエアガンの弾を吹き飛ばす。なるべく誰にも危害が及ばないように気をつけて。

 それでも連続射撃をしてくる討伐隊に――さすがにキレてしまった。


「えいやっ!」


 突風でエアガンを奪う。いくつものエアガンが宙を舞った。シュールで幻想的な光景に、ギャラリーは拍手を贈ってくれた。私は、吹き飛んで舞い上がったエアガンのうちの一つを、自分の手元へと落っことす。

 実は――一度でいいから、エアガンを撃ってみたかったのだ。


「食らえっ!」


 私はその引き金を引き、ついでに、飛び出した弾にも風の力を付与させる。通常のエアガン以上のスピードに乗った弾は、討伐隊の素肌に当たる。


「わあ! やめろ!」

「耳はだめ、耳はだめ」


 あっ、すごい、なんか、快感。

 悪魔にでもなった気分。

 討伐隊は一目散に逃げだしていく。痕になっていたら申し訳ないけど、ちょっと、当然な報いな気がする。ごめんね。もう乱暴しちゃだめだよ。そう満足した私は、エアガンを放り投げたあと、物陰から身を脱する。

 そのとき――まだ残っていたのか――討伐隊の三人が、待ってましたと言わんばかりのタイミングで、エアガンの銃口を向けてきた。


「ひえっ!」


 これはさすがに避けきれない! 死んだ!

 そう、目を瞑ったとき、「ぐあっ」という悲鳴とエアガンらしきものの落ちる音が聞こえた。なんだと驚いて目を見開いたとき、真っ赤な衣装を着たひとたちが、彼らを取り押さえていた。


「……えっ」


 チャイナ服のような詰襟で、涼しげなキャップスリーブ。男女共に似たようなズボンで、なんというか、すごくかっこよかった。白黒の模様が入ったマスクをつけていて、それが赤べこを思わせる。もしかして。


「と、特攻赤べこ隊、ですか?」


 私の問いかけに、先頭にいた女性がしっかりと頷く。

 かっこいい!

 特攻赤べこ隊は、私に襲いかかってきた討伐隊の残党を取り押さえ、赤いロープで街路樹に縛りつけていた。討伐隊は「この! 魔牛の使いめが!」と喚いていたが、特攻赤べこ隊はなにも言い返すことなく、颯爽と無視していた。


「あ、ありがとうございます!」


 同じプレイヤーでも、討伐隊とは大違いである。

 彼女たちは、少し離れた二階建て座敷の休憩所へと戻っていった。そこには、特攻赤べこ隊の他の仲間が、わいわいと食事をしていた。どうやら、ふとん太鼓の成敗を一旦取りやめ、晩食にありついていたらしい。そこから、私がピンチに陥っているのを見つけ、わざわざ駆けつけてくれたようだ。かっこいい! ヒーローみたい!


「ありがとうございました、ありがとうございました」


 私は何度も何度も頭を下げた。

 特攻赤べこ隊のひとたちは、いえいえと言いたげに手を振って行った。

 しばらくその場でぼんやりしていると、プロジェクションマッピングにより、地面が矢絣やがすり模様に染まった。ハイスピードでスライドしていくため、地面が動いているような、そんな錯覚に襲われた。そして、それは不規則な動きを始める。別方向へと向かっているように感じられた。そちらへ目を向ける。その先にいたのは、桐詠だった。

 桐詠はまだ討伐隊からの攻撃を受けていた。集中攻撃されて、逃げ隠れるのに必死で、ご自慢の歌を詠めなくなっているのだ。

 討伐隊が放り投げたエアガンを、ちらりと見遣る。


「……できるかな」


 もしかしたらできるかもしれない。だってそのほうが面白い。そんな、らしくもない、頭の悪いパリピみたいな、クラスで人気のグループみたいな、前向きなことを考えてしまった。考えて、やってやろうと思った。

 私は目を瞑り、集中する。

 イメージは、そう、空気銃エアガン――風銃エアガンだ。

 私は右手で手拳銃を作り、その底を左手で押さえた。指の周りに風が集まり、収束されていくのがわかる。風は薄い膜の内側に、際限なく吹きこまれていくように、高濃度で圧縮されていった。気を練りつつ、目を見開く。

 ばんっ――イメージとしてはそういう音で、手首をくいっと持ち上げる。

 けれど、実際には、ぶわっ――だった。

 私のエアガンを食らった討伐隊は、透明の水牛にでも突っこまれたかのように、悉く吹っ飛ばされた。まるでボーリングのピンが倒されたかのような光景だった。束になって地面に転がり、ざわざわと騒ぎたてている。

 桐詠はハッとして、私のほうを見た。


「礼は言わないわよ!」

「別に、貴女のためじゃ、ないもの!」

「あっそう!」そのまま怒鳴り散らされてしまうのかとも思ったけれど、桐詠はその鋭い視線を討伐隊へとスライドさせる。「よっっっっくも! 私をこけにしてくれたわねえ!」


 攻撃がやみ、迎撃のチャンスを得た桐詠は、怒り心頭のまま、ピンク、水色、黄色の三枚の短冊に筆ペンを走らせる。全て綴り終えると、その三枚の短冊は吹き巻かれた。


「ちはやぶる 神の祭りと 言いしかど あらぶる人の 愚かさよ 星霜経ても あさましく 往ねと思ふは た易きも なめしく遣らふは めでたきも 人の命の 惜しくもあるかな」


 長歌だった。

 何事だろうか――詠み終わった途端、まるで透明の毒でも飲まされたかのように、重なって倒れていた討伐隊が、ぴくりとも動かなくなる。

 桐詠は「ふん」と鼻を鳴らしたあと、やはり満足したのか、颯爽と去っていった。

 前神化主を怒らせるとすごいんだなあ、としみじみ思った。

 だけど、なんか怖い……どうして討伐隊のひとたちは動かなくなってしまったんだろう。私はゆっくりと近づき、しゃがみこんで、その顔を覗きこむ――寝ている、いや、気絶している。よかった。怪我や体調の心配はいらなさそうだ。

 桐詠の詠んだ歌の意味はほとんどわからなかったけれど、最後の七七しちしちの部分は、百人一首で学んだこともあって、なんとなくわかった。あれは、言ってしまえば、右近の呪いだ。神罰で死んでしまう相手を惜しんでいる。もちろん、討伐隊のひとたちが死んだわけではないけれど。なんとなく、ぞっとする歌だなあ……。

 一つため息をついて、私は立ち上がった。

――とにかく、此の面を探そう。

 だけど、どうやって? この広い神宮を、たった一人で探すのには限界がある。私には此の面のような耳や目がないので、位置を割り出すことも難しい。加えて、引っ越してきたばかりの私には人脈さえない。頼れる相手も、友達と呼んでいい相手も、現在進行形で行方知れずの彼本人しかいなかった。手分けして探すこともできない。

 怪我をしているかもしれないし、早く見つけてあげたいのだけれど。教えてくれた手水舎レスキュー隊は、場所が特定できてこそ使える手段。此の面がどこにいるのかわからない以上、このカードは無効である。

 此の面がモバイルを持ってこなかったことが悔やまれる。連絡先の交換さえしていれば、位置の特定だってお茶の子さいさい。私のスマートフォンのアプリのマップには、此の面のアイコンが表示されていたはずだ。しかし実際は、此の面の居場所など不明。

 これってけっこうまずいのでは? 飛び去っていったふとん太鼓だって、まだ此の面のそばにいるかもしれないわけだし……。


「んっ!」


 悶々としているときに思い浮かんだのが、狛犬サポートセンターでインストールを推進している、あのアプリのことだった。

 あのアプリのマップには、自分の知り合いの位置情報が表示される。もちろん、此の面と連絡先の交換をしていない私には無駄な機能でしかないのだが、しかし、しかしだ。このマップの機能はそれだけではない。ふとん太鼓の成敗劇や避難運動を円滑に行うため、ふとん太鼓の位置情報だって、そのマップには表示されているのだ。私が期待したのはそこだった。もし、まだふとん太鼓のそばに、此の面がいるとしたら――

 そう考え、私はスマートフォンを起動させた。

 まずは実況画面を見て、ふとん太鼓の確認を行う。

 実況では、弧八田彼の面がふとん太鼓に飛びかかっていた。

 相変わらずの馬力、いや、もはや馬鹿力だ。あの少年らしい体のどこにそんな力が眠っているのか。その腕は岩をも砕き、その足は鉄をも貫く。神が与えた才は人間の域を超える。纏う青い狐火にしたってそうだ。


『いやあ、ふとん太鼓は劣勢ですね! やはり強いですよ……第五十九回神化主・弧八田彼の面は!』

『今年も彼が大本命! という声もありますしね。天ノ川桐詠ほどではありませんが、ファンも少なからずいるようですよ』

『道理です! このまま一気にふとん太鼓を成敗してしまうのでは……!?』


 え、それはやだ。

 私は両足で何度も地団駄を踏んだ。一瞬、此の面よりもこちらを優先させてしまおうかと、そう考えたくらいだ。しかし、ぶんぶんと頭を振って、その考えを破棄する。

 私は此の面を助けよう。

 此の面はあのとき、私を庇って、前へ出てくれたのだ。結果、ふとん太鼓に押し負け、吹っ飛ばされてしまった。あのとき吹っ飛んでいたのは、もしかしたら私かもしれなかったのだ。彼が助けてくれたから、私は無事でいる。だったら私も、彼を助けねばなるまい。

 もう一度画面に目を向けるも、周りに此の面らしき人影は見当たらなかった。

 彼とそっくりだという、弧八田彼の面のみ。

 その背景には、焼きぞば、スーパーボールすくい、りんごあめの書かれた暖簾。ちょっと離れたところには幣殿の屋根が見える。

 これだけ露店が多いのならば、実際に行ってみないとわからないだろう。視界が遮られているだけで、もしかしたらいるのかもしれないし。

 私はアプリのマップ画面に移り、此の面を吹っ飛ばし、そして現在、弧八田彼の面が相対している、あのふとん太鼓の位置を特定しようとした。このアプリが優秀なことはとっくに知っている。マップは正確だし、情報に間違いもない。最高のナビだ。

 だからこそ、戦慄したのだ。


「えっ?」


 画面に表示されている情報に、そんな声が漏れた。

 えっと、これは、なにかの間違いかな?

 ごしごしと目をこする。うん? うん?

 私は一度アプリを切り、再度開いた。

 ……どうしよう、間違いじゃない。

 思わず鳥肌が立った。性懲りもなく、いやいややはり間違いなのではと思ったけれど、神宮が推奨しているアプリなのだ、つまり、これは真実だろう。


「こんなことって、ありえるの……?」


 でも、だとしたらこれは最悪の事態なのではないのか。一体どれだけの人間がこのことに気づいているのだろう。

 中継の画面に戻る。

 まだ弧八田彼の面はふとん太鼓と対峙していたし、実況は続く。ギャラリーも戦いに夢中になっていた。誰もデバイスを見ていない。見ていたとしても、開いているのは実況の映像のみ。気づいているのは、私だけなのかもしれない。


「どうしよう」


 此の面がいなくなったとき以上に思う。

 これってけっこうまずいのでは?




▲▽




『な、なんということでしょう! 弧八田彼の面がふとん太鼓を破壊しました!』

『いやあ、見事な仕掛け技でしたね!』

『あの炎の攻撃は見事でした……やはり元神化主は強い! そして、彼はこれで連覇となります!』

『おや? 成敗完了の花火が上がりませんね……職人のミスでしょうか?』


 私は実況を流しながら、祭りを駆け抜ける。

 目標は、たった一人。ついさっき別れたばかりの相手だったから、此の面よりも望みはあった。だけど、正直言うと、消去法だ。私が知っている才を持つ者の中で、いま手が空いているであろう人間は、あの子しかいなかったのだ。

 でも、大丈夫かな。無視されたりしないかな。あの子なら、ありえる。でも、いまはこのことを、誰かに相談したかった。誰かの力を頼りたかった。できたらあの子がいいと、思ってしまった。

 ちらちらと視線を彷徨わせる。目が悪いわけではないが、特別いいわけでもない。大勢の中からたった一人を探すのは骨が折れる。だんだん眉間が痛くなってきたし、人ごみにも酔ってきた。元より、私はこれほどの人口密度には慣れていない。人の熱気と乱気流のような激しい活力に揉まれに揉まれた。

 いっそ飛んで上空から探したほうが早いかと、私が爪先に力を入れたそのとき、やっと見つけた――チョコバナナの前でどれを買おうかと悩んでいる、天ノ川桐詠の姿が。


「桐詠!」


 私は彼女の名前を呼んだ。

 いきなりのことにびっくりした彼女は肩を震わせて振り向いた。そして、私の姿を見て訝しそうな顔をする。

 いろんなことでハイになっていた私はそれを黙殺した。


「あの、いきなりだけど、でも、大変なの、ちょっと来て!」

「えっ、は? な……なんなの急に!」


 私は桐詠の手首を掴んで引っぱった。

 けれど、桐詠は頑なにその場から動こうとしない。


「いいから!」

「よくないわよ! もうお金は払ってあるんだから、あとはどれにしようかなって――」

「どれでも一緒だよっ」


 私は一番手前にあったチョコバナナをぶんどっていった。桐詠は「げっ、よりによって一番小さいやつを」と愚痴っていたが、さっきほどよりも意地は緩くなっていた。邪魔にならないようなところまで来たあと、私は桐詠にチョコバナナを返す。


「……ていうか……いいの? こんなところで、チョコバナナなんか買ってて」

「なによ。チョコバナナのなにが悪いのよ」


 よほどチョコバナナが好きなのかもしれない。桐詠は心外そうに言った。


「いや、そうじゃなくって……ふとん太鼓は、放っといていいのかなって」

「んなわけないでしょ。ちゃんと成敗するわよ」桐詠はステッキのようにチョコバナナをくるくると回した。「食べ終わってから」


 当たり前のことだけど、牽牛織女の娘、スタープリンセスともてはやされる彼女も、やはり人の子、私と同じ、普通の女の子なんだ。呆気にとられるでも、幻滅するでもなく、私は安心した。


「で、なに?」桐詠は片手を腰に当てた。「もういっぺん言っとくけど、礼は言わないわよ」

「だから、別にいいってば……」

「ていうか、貴女、さっきまで弧八田此の面と一緒にいたわよね? なんであいつと一緒じゃないの?」

「ぶっ飛んじゃって、どこにいるのかわかんない」

「え。なんで?」

「ふとん太鼓が突っこんできて」

「あー、なるほどね」


 桐詠はチョコバナナについていたスナック菓子を手で取って食べていた。それを口に放りこんで、もぐもぐと咀嚼する。手を口元に宛てながら「それで?」と続けた。


「いま、すっごく、大変なことが起きてるの。こんなこと言うの、おかしいって、思うかもしれないけど、助けて……」私は首を振った。「ううん、助けあお?」


 私の言葉に桐詠はあからさまに顔を顰めた。

 いきなりこんなことを言われて、驚いたのかもしれない。私だって、冷静になってみれば、自分が今どれだけ大胆なことを言っているのかと驚いただろう。しかし、私にもちゃんとした理由があって、この行動を正当なものだと、自信を持って言えた。自信なんて、私には縁遠い言葉だと思っていたけれど、そんなことにも気がつかないほど、私はこのことに関し、夢中になっていたのだ。

 私は話しかけているあいだ、じっと桐詠を見つめていた。


「なにそれ? まさか、私にあいつの捜索を手伝わせる気じゃないでしょうね」

「違うよ。そうじゃなくって」

「いきなり話しかけてきたと思ったら、なに、意味がわかんないんだけど」


 昨日までの私なら、ここまで言われてしまっては、二の句を告げなかったかもしれない。だけど、私は精いっぱいに、「あのね、驚かずに聞いてほしいんだけど、」と紡ぐのをやめなかった。


「だいたい助けあうってなに。私には必要ないわよ。貴女ね、なにを企んでるのか知らないけど、この天ノ川桐詠を見くびってもらっちゃあ――」

「ふとん太鼓は一台だけじゃないみたいなの!」


 お互いに自分の言葉をぶつけてばかりで、ただのドッジボールだった。

 けれど、このとき、少なくとも桐詠は、ようやっと私の話に関心が持てたのだと思う。

 怪訝そうに見開かれた眼差しに、私はもう一つ続投する。


「さっき中継ではね、弧八田彼の面がふとん太鼓を倒してたの。でも、成敗終了の花火は上がらないんだ。これってすごくおかしいよね?」


 私の言葉に、ショックそうに「うそ、ふとん太鼓成敗されたの?」と呟く桐詠に、「だから終わってないんだって」と私は返す。私も桐詠も混乱しているため、うまく会話が一本の筋にまとまらない。私はちょっと強引に、話を続けることにした。


「あっ、あのね、私、この祭りに来たの、初めてだからよくわからないんだけど、成敗が終わったのに花火が上がらなかったことって、いままでにあるの?」

「ないわ」桐詠は即答した。「阿鼻叫喚の成敗劇に見えるだろうけど、この神夏祭は正真正銘の神事よ。しめるところはきっちりしめる。終わり良ければ総て良し。なによりも纏代周枳尊がそれをわかってらっしゃるはず」

「だったら、花火が上がらないのはなんでだと思う……?」


 桐詠は自分が譲歩するに至った私の言葉を思い出して、目を見開かせる。


「あんた、さっきふとん太鼓が一台じゃないって言ったわよね? それって本当なの?」


 私は自分のスマートフォンを取りだして、アプリのマップを起動した。

 そのマップの示す情報に、桐詠は顔を歪ませる。


「嘘でしょ」美しい唇をわなわなと震えさせる桐詠。「友達の情報が一つもない!」

「そっち!?」私は憤慨した。「引っ越してきたばっかりなだけだもん! ……それより、ね、こっち見て」


 私はマップ図を縮小させ、神宮全体を画面で見渡せるようにした。

 ここでやっと、桐詠も事態の異常さに気づく。


「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう……六? ふとん太鼓が、六台?」

「そうなの」私は頷いた。「こんな感じで、ふとん太鼓のアイコンがいっぱいあるの。昨日までは一つしかなかったのに。ついさっき確認して私も驚いたんだけど……それでね、このふとん太鼓のアイコンにも種類があるみたいなの。ここにある、」私は指差して。「一番大きなアイコンと、それ以外の小さいアイコン。ちなみにさっきまで地図のここらへんにいたのは、弧八田彼の面が倒したやつ」


 そうしているうちに、また一つ、地図上から小さなアイコンが消えた。

 終宴の花火は轟かない。


「桐詠、どう思う?」


 桐詠は私の画面から視線を外し、自分のスマートフォンを取り出した。星座柄のケースに入ったスマートフォン。彼女にぴったりで、しかもお洒落だ。だけど、今はそれに感嘆している場合ではない。


「私のスマートフォンでも同じことが起きてる」桐詠は苦々しく言った。「たしかに、そうね。私たち、ふとん太鼓に攻撃されたときに同じ場所にいたから、同じ被害を背負ってるとも考えられる」

「バグの一種で、この情報は誤りってこと?」

「だけど、だとしたら……ふとん太鼓が成敗されたのに花火が上がらないのは変よ。このマップが示す情報が、正しいってことなのかな……」

「じゃあ、やっぱり」


 私の言葉に桐詠はこくんと頷いた。


「――今年のふとん太鼓はたくさんいる」


 私たちはブルッと体を震わせた。

 ふとん太鼓の猛威は既に目の当たりにしている。優美な彫り物に似合わない出鱈目な強さ。荒御魂あらみたまかとさえ思うほどの益荒男ますらおぶり。今年のふとん太鼓は気性が荒いと、もっぱらの評判だ。神々しい真紅のふとんなど、もやは返り血にまみれたようにも見える。ふとん太鼓の通った跡は更地同然。それに加え、私たちはそれぞれ、ふとん太鼓に押し負けた経験を持つ。あんなものが一つや二つどころでないとなると、当然、抱くのは恐怖だ。

 私はようやっと、本題を口にすることができた。


「そういうわけだから、ね、とりあえず同じ能力持ちって意味で、桐詠を頼ることにしたの。一人でも、一台でも精いっぱいだったのに、こんなの力を合わせなきゃ勝てっこないよ……ぺしゃんって潰されて、木っ端微塵にされて終わりだよ」


 そのとき、少しだけ遠くの彼方で、超特急で飛行する、ふとん太鼓が見えた。こちらへと突撃してくることこそなかったけれど、近隣の露店や木々を巻きこみ、大胆に吹っ飛ばし、去っていった。

 なんというタイミングでの光景だろう。


「それも……そうね……仕方ないわ」桐詠はきゅっと唇を引き縛った。「特別に成敗が終わるまでは友達でいてあげる! 勘違いしないでよね。私は一人でだって大丈夫なんだから! あんたのために、渋々付き合ってやってるんだから!」


 どう勘違いしてほしくないのかわかりにくい子だと思いながら、私は「ありがとう」と返事をした。さっきまで気が動転していたけど、仲間がいるというのはそれだけで心強い。

 事前知識がほとんどなくて、状況的に危険しか感じることができない私と違って、桐詠なら与えられた情報で的確な状況判断が出来ると踏んだのだが、これが大当たりだった。彼女は自分の端末をちょっといじって、一つの提案をくれる。


「だけど、このマップの情報だけだと、実際にふとん太鼓が多数いるとは言い難いわ。全部バグってことはないと思うけど、トラップや囮って可能性はあるもの」

「ちなみに、これまでマップに不具合が起きたことは?」

「ないわ。だから私も、いま起きていることが本当のことだと思うことにした」桐詠は続ける。「と言っても、たかだか十数年ぽっちの、氏子としての経験則の知識なんだけどね。ただ、ふとん太鼓のアイコン表示についてのバグが発生したことはないけど、それ以外だとなくもないの。友達のアイコンが表示されないとか、そういう不具合。あんた友達いなくてよかったね」

「……次言ったら頭上で台風起こすからね」


 ふんっと、桐詠は笑ってみせた。やれるもんならやってみろ、って感じかな。悔しいけど、ちょっと様になっててかっこよかった。


「まあ、だからね、このマップの情報は、タイミングよく多発した、最悪のエラーということも考えられる。一度称号してみたほうがいいんじゃないかな。境内を一望できる場所を探しましょ」

「オッケイ」私は桐詠の手を握った。「任せて」


 それにギョッとした桐詠が私に「ちょ、なに!?」と声を荒げる。

 私は足元に全神経を集中させる。

 思い描くのは曲線だ。そして、自分がどうなりたいのか、どう操りたいのかを考える。

 ふわふわと踝を掬うような風。

 ああ、大丈夫だ。できる。


「しっかり掴まってて」


 私は助走をつけるように走りだす。桐詠の甲高い抗議も無視して気を練った。そして、最も充実したと、今こそだと思えた瞬間に、トンと地を蹴った。


「きゃああああああああ!!」


 私たちは――飛んだ。

 強風に煽られ、重力に逆らうように。

 驚きのあまりに桐詠はチョコバナナを落としていた。随分と下でべちゃりと崩れる。きっとそのうち踏み潰されることだろう。申し訳ないことをした。


「ちょ、ちょっと、あんたね!」桐詠は絶対に離すまいと指を絡めるように手を握りなおす。「そういうことは先に言いなさいよ、心の準備ってものがあるでしょ!」

「え、うん、ごめんってば。でも、ほら、これで祭り全体が見渡せるよ」


 私たちは光り輝く祭りを見下ろした。

 宵影の濃紺に浮かび上がるネオン。行儀よく羅列する提灯の灯火に、極彩色の屋台。プロジェクションマッピングされた本殿や幣殿、バグにより発生した電子の金魚まで、一望して見える。そして、その全てを反射する神池。程よい月明かり。まさに絶景だった。


「綺麗だよね」

「……そうね」


 ばさばさと暴れる髪や浴衣の裾を押さえつけて私たちは見回す。

 あちこちで大きな騒ぎが起きていた。


「で。マップは?」


 桐詠の言葉に、私はスマートフォンの画面を見せる。

 マップ上ではたくさんのふとん太鼓が散り散りになっていた。

 私たちは境内を見渡しながら、照合を進めていく。


「地図のアイコンと実際の位置は酷似しているわ。やっぱり、ふとん太鼓は一台ではないみたいね。おそらくだけど、ふとん太鼓の仕業よ」

「これまでに、ふとん太鼓が分裂したことってあるの?」

「ないわ。だから、こんなケースは初めて……だったとしても! こんなことにも気づかないなんて、本部や実況はなにをしているの!」


 桐詠は本気で怒っているようだった。たおやかな柳眉をくっと顰めている。


「……弧八田彼の面が、いい具合に活躍してたから、察知が遅れてるんだと思う。実際、実況はずっと弧八田彼の面にくっついてたし……」

「ふとん太鼓が自分たちの近くにいたら、そりゃあ実況なんて見ないだろうし、何台もいるという事実に気づかない、か」桐詠はいやらしく笑った。「つまり全部あいつのせいなわけだ」

「それはさすがに言いすぎだと思うけど……」


 というか、絶対に言いすぎだ。今回のことは、運の問題でもあると思う。運が悪かっただけだ。ただの神様の気まぐれなのだ。


「ねえ……これからどうしたらいいの?」


 私の問いかけに、桐詠は返答する。


「私の見立てでは、画面上で大きく表示されてるアイコンが、正真正銘のふとん太鼓。そしておそらく、この分裂現象自体は、ふとん太鼓のバグの一種なんじゃないかしら。親玉の本体さえ倒せば、他のバグ同様、全てのふとん太鼓も消える……んじゃないのかな」

「えっ、多分ってこと?」

「仕方ないでしょ。こんなの初めてなのよ。念には念をってことで、片っ端からふとん太鼓を成敗していってもいいけど、そいつらが無尽蔵に増殖しないとも限らない」


 そんなの、考えただけでも悪夢だけれど、桐詠の意見は的を射ているような気がした。なんせふとん太鼓の数が一向に減らないのだ。さきほど弧八田彼の面が成敗した分も含め、新たに増えているような気がする。ひい、ふう、みい、とふとん太鼓のアイコンの数をもう一度数えていく。親玉合わせて全部で七台。七。増えてる……成敗するには途方もない数字のように思えた。


「これ、そのうち、お祭りの参加人数超えるぐらいにまで増えるんじゃないの?」


 なにその悪夢。

 私は拳をぎゅっと握り、「は、早くなんとかしないと」と己を奮いたたせる。

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