第11話 変な女

 玄関ホールの大蟻を始末すると、蔓で閉ざされていた正面の扉を開き、屋敷の探索は一時中断する事にした。

 セリアンとは一旦別れた。さっきはああ言ったが、セリアンも女だ。いつまでも生臭い大蟻の血肉塗れにしておくのは忍びない。まぁ、男だってそれは嫌だが。

 セリアンは風呂屋に行き、身体を清めた後に竜の尻尾亭で合流する予定だ。

 俺とジャッドは竜の尻尾亭を目指して歩きながら、今後の方針というか対策のような物を相談している。


「まさか魔物がいるとはな」


 俺が言う。ただの雑草掃除の筈が、とんだ大事になってしまった。


「理由はわからんが、あんなのがうろついてるんじゃ植木屋は呼べんな。そうなると、期日までに片付かなくなる」


 ジャッドの顔色は暗い。マダムの期待を裏切れば、エンデレロにいられなくなるかもしれないのだ。俺だってとばっちりを受けるかもしれない。


「魔物が湧いてる原因を突き止めて、そいつをどうにかしなきゃならねぇわけだ。こうなったら、意地を張るのは止めにして、素直にマーブルを頼った方が良さそうだな」


 ジャッドに言わせる前に、俺は自分から言った。


「いいのか?」

「背に腹はなんとやらだ。別に、あいつだってそんな事で俺を見損なったりはしねぇよ。俺が勝手にかっこつけようとしてただけだ」


 ジャッドが鼻で笑う。


「それはそうだが、自分で言うか?」

「……うるせーよ」


 そういうわけで、ジャッドと別れて、俺はマーブルのアパートに向かった。



「フーリオさんだ!」


 俺の顔を見ると、マーブルは飛び跳ねて喜んだ。

 一方俺は、力を貸して貰うのに、手土産の一つも用意してこなかった事に今更気づき、気まずい気分になっている。

 ……俺、本当にどうした?


「……ぉぅ」


 マジで、茶菓子くらい買ってくるんだった。

 寝た事というか、その事を忘れちまった事が相当堪えているらしい。

 そんな俺を、マーブルは不思議そうに見上げる。


「どうかしたんですか? 忘れ物とか?」

「……いや、そういうわけじゃないんだけどな。ちっと、マーブルの力を借りたくてよ」


 マーブルは特盛サイズの胸の前で手を合わせ、低く跳んだ。


「本当ですか! 私でお役に立てる事があるなら、なんでも言ってください!」

「お、おう」


 騙しているわけじゃないが、それに近いような心地がして申し訳ない。俺自身、何をこんなに気後れしているのか分からないが。

 立ち話もなんなのでと言われ、俺は部屋に招かれた。

 今朝はそそくさと出てきたが、よく見ると妙な部屋だった。マーブルらしいと言うべきか。本棚には高そうな本が並び、あちこちに鉢植えや虫籠が置いてある。マーブルの部屋は乳臭い女の匂いと土の香りが混ざったような匂いがした。


「それで、私はなにをしたらいいんでしょうか?」


 毒キノコみたいな丸テーブルに向かい合い、マーブルが言う。揃いの家具なのか、椅子も同じ模様だ。赤地に白い水玉が描かれている。


「あー……昨日の夜の事、憶えてるか?」


 俺の言葉に、マーブルは頬を赤くし、落ち着きなく肩を揺らして、大きな胸の前で指先を弄ってもじもじした。でへへへと、口元を歪ませて言う。


「そりゃ、憶えてますけど」

「……俺の言い方が悪かった。そっちじゃなくて、店での事だ。お前言ってだろ。考えなしに魔境の植物を採ってくるとその内大変な事になるって」


 勘違いに気づき、マーブルは真っ赤になって口をパクパクさせる。


「……もう! フーリオさんってば! あ、あはははは……」


 気まずい沈黙を数秒挟んで、恥ずかしそうにマーブルは言った。


「お、憶えてますけども……」


 なんだか、少し心の距離が開いた気がした。そういうつもりじゃなかったんだが。


「マーブルの言う通り、大変な事になっちまったんだ」


 恥を忍んで俺は言う。本当に情けない話だ。マーブルの忠告を聞きもせず――聞いてたとしても手遅れではあったんだが――いざ困ったら助けを求めて泣きつくとは。ダサすぎる。こんな甲斐性なしに抱かれたんじゃ、マーブルも可哀想だ。

 そう思っていたんだが。

 俺の説明を、マーブルは怒りもせず、呆れもせず、熱心に聞いていた。その様子は真剣そのもので、それでいて楽し気だ。


「……なるほど。それは面白いですね」


 大真面目な顔をしてマーブルが言う。


「面白い?」

「――っ!? い、いえ、大変の間違いです!」


 ハッとして言い直す。まぁ、学者肌のマーブルから見れば面白い状況なのかもしれないが。


「隠す必要はねぇよ。マーブルが面白いと思うんなら面白いんだろう。実際、他人事なら笑い話だ」


 肩をすくめる。

 流行りに乗っかって怪しい草を売りつけたら一晩の内にジャングルになって魔物まで現れ大騒ぎ。しかも期日までにどうにかしないと街を追い出されるかもしれないと来ている。冒険者の酒の肴にはもってこいだ。数日もすれば街中の冒険者に知れ渡るだろう。


「散々大口を叩いておいてこの様だ。おまけに俺はお前と寝ておいてその事をこれっぽっちも憶えてねぇ。どの面下げてって感じだが……いや、マジでそうだな。すまねぇ、やっぱこの話は忘れてくれ」


 改めて考えるまでもなく酷い奴だ。どんな物好きなのか知らないが、マーブルはこんな俺に好意を抱いている。そこにつけこんで助力を頼むのは、綺麗なやり方とは言えない。

 そんな俺をマーブルは口元を隠して笑った。


「何がおかしいんだよ」

「だって、フーリオさんが気にしすぎるから。別に私、フーリオさんが初めてってわけじゃないですから。そんな風に思いつめなくても大丈夫ですよ?」


 マーブルに諭され、俺は顔から火が出そうな程恥ずかしくなる。そんな事は分かっていたつもりだったんだが。勝手にマーブルをモテない奴だと決めつけていたのかもしれない。それはそれで酷い話だ。

 軽く手を挙げて降参のポーズを取る。


「仕切り直しだ。それで、なにか分かるか?」


 馬鹿みたいな質問だ。大雑把すぎるにも程がある。が、他に言いようがない。


「そうですね。とりあえず、大本の植物を枯らせば全部解決するんじゃないでしょうか」


 あっさりと言ってのける。


「そういうもんか?」

「実物を見ていないのでなんとも言えませんが、屋敷を覆っている蔓は例の苗から生えてるわけですから、そちらを枯らしてしまえば成長は止まります。干からびて枯れるか、場合によっては魔物みたいに塵になるかもしれません」


 確かにその通りだ。塵になってくれれば最高だが。


「魔物についてはどうだ?」

「そちらも苗が原因だと思います。フーリオさんは蟻が蔓を食べていたと言ってましたけど、この辺に生息している蟻は肉食なんです。草食の生き物が魔物化して肉食になる事はありますけど、これは獲物が宿す精気を得る為ですから、肉食が草食になる事はまずありません」

「けど、確かに大蟻は蔓を齧ってたぜ?」


 というか、何の話なのだろうかこれは。


「そこがポイントなんです。この辺の蟻は肉食ですけど、例外的に植物の樹液や花の蜜は食べるんです。その蟻は蔓を食べていたんじゃなくて、蔓に含まれる樹液を飲んでいたんじゃないでしょうか?」

「そう言われればそうかもしれんが、それが魔物の発生となにか関係あるのか?」

「大有りですよ! 大蟻だけに!」


 人差し指を立ててマーブルがドヤる。

 俺は反応に困って目を逸らした。


「あ、あれ? 面白くなかったですか?」


 困惑してマーブルが言う。


「五点だな」

「十点満点で?」

「百点満点でだ」

「しょんなぁ~!」


 マーブルががっくりする。

 お堅い奴だと思っていたが、どうやら猫を被っていたらしい。親しい奴の前では奇行を晒すタイプなのだろう。


「で、どう大有りなんだ?」


 話を戻す。


「えっとですね、依頼人のマダムさんが成長促進剤を大量に与えたって言ってたじゃないですか。アレの成分の大部分は濃い精気を含んだ魔晶液なんです。精気を帯びた生き物が巨大化するのと似たような理屈ですね。蔓の中には成長促進剤の成分が残っていますから、それを吸った虫が魔物になったんじゃないかなと」


 俺はひゅーと口笛を鳴らした。


「たまげたな。きっとそうぜ! お前、天才か?」


 それ以外に考えられない。見もしないで良く分かるもんだ。


「えへへへ、それ程でもないですけど。私なんか、人よりちょっと虫や草に詳しいだけで、天才だなんてそんな」


 にへらと顔を綻ばせ、溶けるようにしてマーブルが照れる。


「人より詳しいなら十分天才だろ。お前を頼ってよかったぜ! あの苗を始末すればどうにかなるなら一安心だ」


 花蛇と同じだ。強敵でも、弱点が分かれば倒す事が出来る。この場合は例の苗がそれだ。


「この分だと、苗と言うより成木になっていると思います。もしかしたら、魔物化しているかも」

「それならそれで、ぶった切ってやるだけだ。こっちにはマーブルがついてるんだ。どうって事ねぇよ!」


 流れ的にマーブルも手伝ってくれると思ったのだが、違ったらしい。

 へちゃむくれの天才はソーセージみたいな親指を噛んで考え込んでいる。


「マーブルがいてくれれば心強いと思ったんだが、嫌だったか?」


 植物好きのマーブルだ。人間のエゴで巨大化した植物を殺すのは嫌なのかもしれない。


「いえ、そういうわけではないんですが。私の術は植物の種を成長させて使うので、植物相手には相性が良くなくて、あまりお役には立てないんじゃないかと」

「そんな事ねぇよ。物知りのお前がいてくれるだけで百人力だ! 勿論、報酬は別で出すぜ!」


 助言の分とは別でという意味だ。


「手伝いたくないわけじゃないんです。ただ、フーリオさん達と一緒に屋敷に潜るより、もっとお役に立てる方法があるかもしれないので」

「なにか策があるのか?」


 そんな口ぶりに聞こえる。


「それはちょっと……上手くいくかわからないので……もしもの時の保険と言うわけじゃないですけど、別の方法を探してみます。報酬は、上手くいったらという事で」

「そうはいくか。護衛の仕事だって賊に襲われなくても報酬は出るんだ。なにをするつもりか知らねぇが、なにかしてくれるってんなら報酬は出すぜ」


 とは言え、なにをしてるのかわからない状況でマダムの報酬を頭割りにするわけにはいかないが。その時は、俺の財布から出すまでだ。

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