第5話 ナイフの使い方
次の日、この日は朝が早かった。
純美は昨晩に6時にレッスンスタジオに来るように言われていた。
重い足取りは早朝だからだけではない。
指定されたのは昨日に渡された練習着で来ることだった。
再びあの姿になるのかと思うと気が重い。
スタジオに着くと、葵たちが待っていた。
「キャップおはよ!」明るく声を掛けてきたサレンの呼び名に疑問を感じた。
「あの、キャップって?」純美は尋ねる。
「だって、純美ちゃんうちらのキャプテンなんでしょ?」葵は当たり前のように答えた。
「あのー、私たち藤沢さんから伺っていて、、、」夏希は弱弱しく説明する。
純美はそんなことあったなぁと思いつつ否定するのも煩わしいので話を進める。
「こんな時間からレッスンって何するんですか?」
「これからヨガのレッスンが入ります。スタイル維持には欠かせないので平日は毎朝やるんです」夏希が説明を進める。
納得した純美はもう一つ不可解な点に気付く。
「あれ、可憐ちゃんは?」そう尋ねると、答えはすぐにスタジオに入ってきた。
藤沢は連れて来られた可憐は純美たちと同じく昨日渡された練習着で部屋に入ってきた。
「江橋さんは遅刻すると思ったので、今日は私が朝連れてきました」藤沢はスタジオにいるタレントたちに説明した。
「いやー、助かったわ」可憐は安堵の表情で藤沢に感謝する。
「ウチのセンターこんなんで大丈夫かい」サレンは可憐をおちょくる。
和気あいあいの中、ジャージ姿の藤沢が講師を務めるヨガ教室が開催された。
藤沢のヨガは胸を中心とするメニューが殆どだった。
上体を逸らしたり、両手を胸の前で合掌したりといったものであった。
レッスンを終えると、1時間ほど休憩を挟み朝食が始まる。
食事は専属の調理師が作ったメニュー。寮食は朝、昼、晩の3色を平日のみだが用意されている。
献立は日に日に変わるが、キャベツ、大豆類、魚か鶏肉といった物がメインであった。理由としてはバストアップに良いとされる食材を多く摂るためだという。
朝食後はミーティング、本日のスケジュールの確認だった。
今日から、純美、可憐は他メンバーと同じメニューをこなすことになる。
ミーティング後は食器洗いや食堂の後片付けを行う。
午前中はウエイトトレーニングを行う。
ハードなメニューでは無かったが専門家のトレーナーが付く本格的なものであった。
昼食の後には、ダンス、歌、ポージングのレッスンが続き16時に1日の日課が終わる。
まるで、学生の合宿のような日課であった。
成れない生活を強いられてから4日間が経過した。
純美、可憐は疲労感を残しながらも日課を他のメンバーと同等な程にこなしていった。
しかし、二人にはまだ慣れない場面がある。
それは朝のミーティング後の声出しだ。
各スタッフが担当の報告を終えると
「じゃあ、キャプテン!」進行役のスタッフはその都度変わるが、この後の声出しはどのスタッフもキャプテンである純美に振る。
「はい」と元気の声を一度は出す純美。
「元気に明るく声を出すんだよ!」周りの男性スタッフが野次を飛ばす。
「いきます!『OπTAI(おーぱいたい)』理念!」
『OπTAI』とは純美たちが所属するグループ名である。
「ひとーつ!良質なおっぱいは一日足らず!」純美が大きな声で食堂に掲げられた掛け軸を読み上げる。
『ひとーつ!良質なおっぱいは一日足らず!』他のメンバーも純美に続く。
「ふたーつ!おっぱいを見られたらありがとう!」
『ふたーつ!おっぱいを見られたらありがとう!』
「みーつ!私たちは痴女である!」
『みーつ!私たちは痴女である!』
「よーつ!恥じることのない肉体を!」
『よーつ!恥じることのない肉体を!』
「いつーつ!おっぱいを褒められたらありがとう!」
『いつーつ!おっぱいを褒められたらありがとう!』
「むーつ!ファンのためにおっぱいを!」
『むーつ!ファンのためにおっぱいを!』
「ななーつ!おっぱいを見てくれてる方々は神様だ!」
『ななーつ!おっぱいを見てくれてる方々は神様だ!』
「やーつ!おっぱいを求められたら全力で!」
『やーつ!おっぱいを求められたら全力で!』
純美はいつものようにメンバーの方を向き
「今日も頑張っていきましょう」と締める。
この社訓に嫌悪感を抱いていない女性はいないのだろうか?
明らかにセクハラで訴えたら勝てる自信が純美にはあった。
しかし、葵を始めとした他メンバーは純美のように恥じることは無く、強豪運動部のような堂々とした態度で毎回いる。
純美は長い生活の中で彼女たちのように慣れていくであろう自分が怖かった。
なぜこのような古臭い習わしをしなければならないのか松本や、葵たち他メンバーに尋ねたが
「こういう事は声に出さないと叶わないでしょ?」と皆が返した。
誰もこの文面がおかしいという議論にすらならなく、純美は引いた。
可憐は純美と同意見であったが
「まぁ、こういう決まりなら仕方ないんじゃない?」と返すだけで、浮かないように他のメンバーと合わせるように努めていた。
純美はやっつけた気持ちで毎朝スローガンを読み上げる。
そんなある日。
普段の日課が終わり、純美はNONAMEから呼び出しがあり、松本と共に事務所に呼ばれた。
「あのスローガン?純美ちゃんは気に入ってないんだって?」
NONAMEは唐突に純美に質問した。
誰が、密告したのだろうと純美は疑心暗鬼になったがNONAMEに反抗した。
「あんなスローガンおかしいです。まるであたしたちが変態だって言ってるもんじゃないですか!」純美は込み上げてきた感情をぶつけた。
「だってそうじゃん」
「痴女でもなければ変態でもないです!」
「痴女でもあり、変態でもあるだろう!てか、それがコンセプトなんだから」
薄っすら笑いながら説明した。
自身のここ数日の行いを悔やんだ。
契約書にサインしてしまった日のことを公開した。
「変態や痴女で何が悪いの?」むすっとした顔の純美にNONAMEが問い詰めた。
「俺たちの仕事は応援してくれるファンやメディアを通して、メッセージだったり元気を配るのが仕事だ」真剣な顔つきに変わりNONAMEは語る。
「時に届ける光景や音はナイフのように人を傷つける」悲しそうな顔でNONAMEは話す。
「でも、ナイフも正しい使い方をすれば生きる為の道具になる。感じなのは『何か』では無く、『どうするか』だと俺は思ってる」普段と違うNONAMEを見て純美は自身のこれまで抱いていた考えに疑問を変えた。
正直、純美はNONAMEの話の意図はあまり理解できていなかった。
しかし、少しずつであるが憤った感情は無風の海のように穏やかになっていった。
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