5章 荒廃していく国
第33話 ロレンス王の失踪
アデルとアーシャの中に芽生えた小さな幸福とヴェイユ王国の平和は、そう長くは続かなかった。それから間もなくして、大陸に戦乱が訪れ、ヴェイユ王国は建国史上最も存続が危うい状態となったのだ。
国が大きく揺れ始めたのは、アデルが王国兵団に入ってから半年が経った頃だった。
ミュンゼル王国を滅ぼしたゲルアード帝国は、国名を『ゾール教国』へと改名し、アンゼルム大陸西部への侵略を進めたのである。
海洋国家・バルムス王国は〝海賊王〟と亡国ミュンゼルの王子・クルス=アッカードの強力なタッグによって守りを固め、ゾール教国軍をイブライネ砂漠から先へは進ませなかったのもあるだろう。ゾール教国軍は、まずは大陸の諸国を制覇しにかかったのである。自由都市アイゼン、ダリア公国は死をも恐れぬゾール教兵の前に散って行った。
危機が目前まで迫ってきたライトリー王国は、ヴェイユ王国に使者を出し、同盟を望んだ。ヴェイユ王国とて、東ではいつバルムス王国が陥落するかわからない状況で、万が一西のライトリー王国までもゾール教国の手に堕ちれば、もはや逃げ場も味方もいなくなる。ロレンス王も同盟を承諾し、ロレンス王を盟主とした西部同盟が締結された。
それから間もなく、ゾール教国はライトリー王国へと侵攻を進め、早速西部同盟軍の出番が訪れた。ヴェイユ王国としても、ライトリー王国は大陸西部国家の最後の要。落とされるわけにはいかなかったのである。
この西部同盟軍とゾール教国軍の戦いは、『ヘブリニッジ戦役』と呼ばれた。ロレンス王は西部同盟を指揮する為に、ヴェイユ王国の殆どの主力軍を率いて出陣して、そのヘブリニッジ戦役に挑んだ。
しかし、ヘブリニッジ戦役でもゾール教国の勢いは留まる事を知らず、同盟軍は敗北。ロレンス王はそのまま行方不明となってしまった。そして、ヘブリニッジ戦役で多くの軍を失ったライトリー王国は降伏し、ゾール教国の占領下となったのである。
ヴェイユ王国は優れた為政者を失い、一気に内政面でも綻びを見せて行った。それは、ロレンス王の不在を任された宰相に原因があったからだ。その宰相が、私利私欲に走り出したのである。
ロレンス王の不在を任されたのは、宰相グスタフ。グスタフの家系は建国当初から宰相としてヴェイユ王国に貢献してきた、優秀な家系である。実際に、グスタフ自身もヴェイユ王国にこれまでも尽くしてきて、忠誠心が高く、優れた宰相として評価されていた。
しかし──ロレンス王の行方不明の報を聞くや否や、グスタフは態度を一変させた。国王の留守を良い事に、王国をわが物にしようと画策をし始めたのだ。
グスタフ宰相は自らに逆らう者は処刑し始め、これまで平和だったヴェイユ王国は見る影も失くした。恐怖政治の始まりである。
本来であれば、王妃であり大陸六英雄のリーン王妃がグスタフ宰相を一掃して終わるだろう。しかし、リーン王妃は亡国ダリアの家系の者で、ヴェイユ島内で権力があるわけではない。個人の武勇はあれど、多勢に無勢では反抗もできず、王室に軟禁されていた。
そして、グスタフは王妃を軟禁しているのを良い事に、自分の言葉は王妃の言葉と思え、と通達を出して、更に自らの発言権を強めた。実質、ヴェイユ王国はグスタフの独裁国家となっていたのだ。
アーシャに限っては、まだ成人したばかりだからか、軟禁まではされていなかった。ここで国の宝である〝ヴェイユの聖女〟アーシャにまで手を出そうものなら、諸侯が黙っていないと踏んだのだろう。アーシャも実質的に母親を人質に囚われている様なものでもあるので、彼女としても何もできなかった。アーシャはただ、これまで通り座学を勤しみ、民を勇気付ける為にたまに街に顔を出す程度の事しかできなかったのである。
それでもアーシャは笑顔を絶やさず、王宮の者達に勇気と力を与えた。父の行方不明など物ともしていない様子で、その元気な姿を民の前に見せて、皆を勇気付けていたのである。
ここで自分まで落ち込めば国民はもっと不安になってしまう──アーシャはそう考えたようだ。彼女は微力ながらも、王家として、そして王女としての役割を必死に果たそうとしていたのである。
しかし、彼女はまだ十五を過ぎたばかりの少女だ。父親は行方不明で、母親は軟禁状態。辛くないはずがない。彼女はいつも部屋でひとり、泣いて過ごしていた。
この状況下では、アデルの力など無に等しかった。何の権力も持たぬただの王宮兵士では、何も変えられないのである。
しかも、変な動きをすれば即座に捕らえられ、牢獄に放り込まれる。悪質な反逆と見なされれば、最悪は処刑されてしまう可能性すらあった。そうしてグスタフの言葉に逆らった兵士達は、皆彼の私兵によって殺されて行っていたのである。
アデルとて、一度暴れてやろうと思った事はある。だが、彼にはアーシャとの約束があった。もし自分の身に何かあれば、アーシャのもしもに備えられる者が誰もいなくなるのだ。
アデルには耐える事しかできなかった。民の血税を自らの快楽と贅沢の為に使う宰相の圧政を、ただ見る事しかできなかったのだ。時には、彼がグスタフに逆らった者を取り押さえた事もあった。それは彼にとっても辛い事だった。
だが、グスタフに楯突いた者は、だれ一人として日の目を見なくなる。アデルは表向きだけでも、グスタフ宰相に従うしかなかったのだ。
そうこうしているうちに、ヴェイユ王国はどんどん衰退していった。ヘブリニッジ戦役から半年経過した時には、国の治安は悪くなっていき、豊かさも消えていていた。為政者が変わるだけでこうも国は落ちぶれていくのか、とアデルも驚いた程だった。
あれほど山賊達の自由を許さなかった治安部隊も今では殆どが機能せず、小さな村々を襲う賊が後を絶えない。治安部隊に予算が下りない事もあるが、主力兵士の大半をヘブリニッジ戦役で失ってしまい、治安部隊の数が戦役前に比べて圧倒的に少ないのである。
アデル達王宮兵団も王都近郊であれば山賊討伐に打って出るが、あまりに人手が足りず、少し距離がある小さな村々での被害は、目を瞑るしかなかった。
こうして、建国以来治安がよく、新興国でありながら大国で平和の象徴だったヴェイユ王国は、今や見る影もなくなっていたのである。
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