第18話 出発前

 ルグミアン川へ出発するまで、アデルは出陣の準備をしているカロン達を待っていた。

 基本的にアデルは動きを重視するので、武器防具は自前の大剣と鎖帷子だけで十分だ。というより、大剣を存分に振るうには、動きの制限が加わる鎧等を着ていられない、というのが正直なところだった。

 その旨を説明すると、鎧はつけずとも王宮兵団とわかる腕章をつけていれば問題ない、と特例を認められた。これも、現実的に戦場を経験しているロレンス王の判断だ。形式にこだわって失敗されるよりも、戦いやすい服装で確実に勝つ事の方が重要だとの事だ。

 しかし、カロンとルーカスはそういうわけにもいかない。彼らは今、自分に合う武器や防具を武器庫から選ばせてもらっているのだと言う。

 ちなみに、カロンとルーカスは人生で初めての対人戦なのだという。本当にいきなりの実戦で大丈夫なのか、心配でならないアデルであった。

 カロン達の準備中、アデルは馬車の積み荷に数日分の食糧と、自らの大剣を積んだ。

 ルグミアン川までは往復で三日か四日程かかる。その間、王都には帰ってこれないので、最低限の備蓄は必要だった。


「ア~デルっ」


 ふう、と一息ついたところで、後ろから陽気な声が掛けられて、驚いて振り向く。


「――アーシャ王女⁉」


 そこにはヴェイユ王国王女にして〝ヴェイユの聖女〟ことアーシャ=ヴェイユその人の姿があった。

 アーシャは嬉しそうにアデルに手を振った。

 周囲に人がいないからか、今は凛とした王女の風格はなく、アデルの知っている素の状態らしい。


「早速山賊退治だなんて……ツイてないですね、アデルも」

「そうなのか?」

「はい。ヴェイユにはそれほど多く賊がいるわけではありませんから。それに、いつもはもっと多くの兵を差し出すのに、新人の三人だけだなんて」


 不安です、とアーシャは心配そうにアデルを見上げた。


「まあ、それを言うなら俺のツイてなさは今に始まった事じゃないさ。ここに来るまでの間に、その滅多に遭遇しない山賊とやらとも一戦交えてるしな。その実績もあるんじゃないか?」


 アデルは首を竦めて言ってみせる。

 あの後知った事なのだが、アデルが殲滅した山賊団はドナシモン山賊団と言い、ヴェイユ島ではそこそこ大きな山賊団の一つだったのだと言う。おそらくアデルが真っ先に首を落とした頭目らしき男がドナシモンだったのだろう。

 名のある山賊団を一人で殲滅したのだから、実力的には問題ないと思ってくれているはずだ。


「陛下の真意はわからないけど、これは俺への試験も兼ねられてるんじゃないかな」

「試験、ですか? その実績があるのでしたら、既に試験は必要ないと思うのですが……」


 アデルの意図を理解できず、アーシャは首を傾げた。


「多分、俺というよりって事なんだと思うよ」


 アデルはアーシャに考え得る国王の狙いを説明した。

 この山賊退治では、アデルの実力を見定める事も目的としている、と彼は考えていた。それは単独で戦う事ではなく、の試験である。

 カロンとルーカスは新人で実戦経験がない。その二人を使って──或いは使わずに──どの様にして山賊を倒すのか、アデルに力を見せてみろ、と国王は言っているのである。

 ちなみに、アーシャ王女に対して敬語でないのは、敢えてだ。昨日にアーシャが『王宮兵団に入っても、他に人がいないところではこれまで通り普通に話して欲しい』という王女直々の命令があったのだ。以降、周囲に人がおらず、彼女が普通に接してくる時はアデルも自然に接するようにしている。


「そんな狙いがあったんですね……お父様も、意地が悪いです」


 そんな事よりも安全が第一じゃないですか、とアーシャは憤然とした。

 父がアデルに課した試練に、王女は若干不服の様だ。


「気をつけて下さいね……使命も任務も、命あってのものですから」


 アーシャは相変わらず心配そうだ。初対面が死にかけているところだったので、尚更心配なのかもしれない。


「大丈夫さ。腐っても銀等級の冒険者としてやってきたんだ。山賊程度には負けないよ」


 不意打ちで死にかけていた俺が言うのも何だけどな、とアデルが冗談っぽく付け足すと、白銀髪の王女は困った様に笑うのだった。


「あ、言うのを忘れていました。アデルに、一つだけ忠告があります」


 気まずくなってしまった空気を換える為だろうか。アーシャは悪戯げな表情を作ると、少し首を傾げた。


「忠告?」

「はい。お父様のお話は、もう少しちゃんと聞いた方が良いと思いますよ?」

「うっ」


 王女の鋭い指摘に、思わずアデルは息を詰まらせた。

 案の定、彼女はアデルが先程国王の話を全く聞いていなかった事を見抜いていたらしい。


「もしかして、絨毯の皺の数を数えていたんですか?」

「何でわかるんだよ⁉ 心の中を読む神聖魔法でもあるのか⁉」


 アーシャが内心を読み取ったかの様に言い当てたものだから、思わず声を荒げてしまった。


「えっと……冗談で言ってみただけだったんですが、まさか本当に数えてたとは思いませんでした」


 一方のアーシャは微苦笑を浮かべて頬を掻いていた。どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。


(それにしても、全然雰囲気が違うな)


 王女として振舞っている時のアーシャと、こうして素のままでいる時のアーシャで差があり過ぎて、全くアデルはついていけないのだった。

 それに、こうして素を出している時は、周囲の人にも気を付けなければならない。王女と友達口調で話すなど、不敬罪に当たってもおかしくはないのである。


「……アデルはいつもその大きな剣で戦ってるんですよね?」


 積み荷の中にある、布で包まれた大剣をちらりと見てアーシャが言った。


「ああ、そうだな」

「前も思ったんですけど、重くないんですか?」


 アデルの使う武器は身幅四寸・長さ五尺の、刀身が真っ黒な大剣だ。一般人が持つ武器よりかなり大きく、彼以外では武器になるどころか荷物になりかねない大きさである。


「見掛け程は重くないよ。魔法が込められていて、軽量化されているんだ」


 アデルは大剣を抜いて見せて、その刀身を見せた。刀身は黒く、ぼんやりと魔法の光を放っている。

 魔法が込められて軽くなっているとは言っても、通常の武器と大差ない程には重い。しかし、それと引き換えに余りある破壊力がこの大剣にはある。この大剣であれば、ドラゴンの鱗をも容易に貫けるのだ。

 この魔剣は、ひと昔前には〝竜喰いドラゴンイーター〟と呼ばれていた。その由縁は、実際にドラゴンの鱗を貫き仕留めた過去があるからだ。


「あのドラゴンを仕留めた剣だなんて……凄いです」

「俺が仕留めたわけじゃないさ。俺はただ、譲って貰っただけだよ」


 アデルは何だか恥ずかしくなって、自嘲的な笑みを作った。


「誰に譲って頂いたんですか?」

「譲ったっていうか……持ち主がいなくなったからさ。それで、どうせなら俺が使おうかなって。そんな気持ちで使い始めたんだ」

「どういう事でしょう?」


 アーシャは不思議そうに首を傾げた。


「これ、父親が若い頃に〝竜殺しドラゴンスレイヤー〟になった時に使ってた剣らしくてさ。父親は随分昔に死んでしまったから、それで、な」

「あっ……」


 その言葉を聞いて、アーシャ王女は申し訳なさそうに眉を顰めた。

 両親が元パーティーメンバーに裏切られて殺された事に関して、彼女は既知である。無駄に傷を掘り返したのではないかと心配になったのだろう。


「親の形見だなんて柄じゃないけど、剣を教わってた御蔭で今こうして生活できてるわけだし。それで何となく使ってる」

「アデル……」


 王女は俯いて、小さくアデルの名を呟いた。

 アデルの父・ヨシュアは冒険者として金等級であったと言われており、〝剣匠〟という異名を持っていたそうだ。魔物の討伐を専門としていた冒険者だった事から、こうして扱う武器も大きかったのだという。

 アーシャはアデルの話を「そうなんですね……」と悲痛そうな表情で聞いていた。なるべく深刻そうに見せまいとして笑みを浮かべようとしていたが、それには失敗した様だ。

 自分の話をこうして真剣に聞いてくれる人がいる事が、ただただアデルとしては嬉しかった。仲間と恋人を失った直後だからかもしれないが、心の底では何処かで孤独に飢えていて、誰かと話したいと思っていたのかもしれない。

 彼女といると、そんな弱い自分とも向き合える気がした。


「まあ、そんなかっこいい事言ってるんだけど、ほんと言うと何回も使うのやめようって思ったんだけどな」


 これ以上王女を暗い気持ちにするわけにもいかない、とアデルはおどけて見せた。

 アデルの気持ちを察したのだろう。アーシャもくすっと笑って、「どうしてですか?」と訊いてきた。


「俺は魔物討伐が専門じゃなかったからな。本当のところ、こんなに破壊力は要らないんだ」


 だが、不思議とこの剣の柄を持った時のしっくりさが他の剣にはなくて、何となくこの剣を使うようになっていた。そうしているうちに、いつの間にか〝漆黒の魔剣士〟などという通り名で呼ばれていたのである。


「ふふっ……アデルの話は私の全く知らない事ばかりなので、いつも新鮮です」

「そうか? こんな話でよければ、いつでも聞かせるさ」

「ほんとですか? じゃあ、また帰ってきた時に聞かせて下さいね」


 アーシャは笑顔でそう言いつつ懐中時計を取り出すと、時刻を見た。


「あっ……私はそろそろ座学の時間なので、部屋に戻らないと」


 お話の途中なのにすみません、とアーシャは頭を下げた。

 そろそろアデル達の出発の時間も近付いている頃合いなので、丁度良いタイミングでもあった。


「そうか、勉強頑張ってきてくれ」

「はい。アデル達が国の為に戦ってくれているのに、なんだか申し訳ないです」

「いや、王女にとっての勉強が、俺にとっては治安維持の為に働くって事なのさ」


 役割とはそんなものだ。

 アデルが勉強したところで民は救えないが、アーシャが勉強をすれば、それだけ救える民が増える。王族と兵士の差だった。


「わかりました。では、一生懸命勉強してきます」

「ああ、俺も一生懸命をそこらにぶちまけてる連中を仕留めてくるさ」

「はい! 帰ってきたら、ちゃんと手は洗って下さいね?」

「王宮に入る前にしっかりと洗うよ」


 そんなやり取りをして互いに少しだけ笑い合ってから、アーシャは彼の名を呼んだ。

 彼が彼女を見ると、


「……アデルに大地母神フーラのご加護を」


 と言って、フーラの祈りをアデルに捧げた。そして片目を瞑って見せてから、王宮内へと戻って行く。


「大地母神の加護よりも、アーシャ王女の加護の方が俺にとっては効果があるよ」


 アデルは不遜にそう呟きつつも、上がってしまいそうになる口角を必死に抑えたのだった。

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