第86話 黄泉平坂
「なるほど。それでわざわざ東京から青森まで来たわけか」
俺たちから事情を聞いた久次さんは、小さく溜息をついてミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを口に含んだ。それから視線を宙へ向け、何度か頷いて見せる。
「うん…………それはわかってるよ。だけど僕としては大人としてここはしっかりと…………いや、それはそうなんだけどさ。…………うん、……うん」
どうやら福留さんと相談しているようだが、ダンジョンの外ではその姿を見ることができない。事情を知らなければ完全に久次さんの一人喋りで、喫茶店に居た他のお客さんからの奇異の視線が俺たちのテーブルに集中する。
じゃっかんの居づらさを感じつつ……、俺たちは久次さんの返事を待った。
「……うん、そうしようか。本来なら大人として君たちを説得して追い返すのが正しいんだろうけどね……。わざわざ東京からこっちまで来て、説得した程度で大人しく帰ってくれるとも思えない。それなら一緒にダンジョンに入った方がマシかな」
「ありがとうございます、久次さん。無理を言って済みません……」
「構わないよ。ただし、条件がある」
「条件ですか……?」
「君たちが恐山ダンジョンのレベルについて行けないと僕が判断した時点で引き返す。言っておくけど抵抗は無駄だ。力づくで君たちを連れ帰らせてもらうからね」
「……っ」
久次さんの全力……。レベルを上げてそこそこ強くなった俺達でも、まだ久次さんの領域には片足を踏み入れられているかどうかだ。おそらく新野と二人で挑んでも勝つことはできないだろう。
だが、
「わかりました。その時は宜しくお願いします」
この程度でビビッて引き下がるわけにもいかない。久次さんを納得させられるだけの強さを示せなければ、どのみち恐山ダンジョン攻略なんて不可能だ。今はとにかく、前に進むしかない。
「それじゃ、さっそくダンジョンへ向かおうか。君たちの話を聞いた限りじゃ、急いだ方が良さそうだからね」
コーヒーを飲みほした久次さんが席を立ち、俺たちも後に続いて喫茶店を出る。準備を整えて向かった先は恐山の麓にある大きなお寺で、恐山ダンジョンの正規の入り口はお寺の地下にあるのだという。
「協会の目を盗んでダンジョンに入ったのだとしたら山のどこかにある洞窟から入ったんだと思うけど、僕らはそこを通るわけには行かないからね」
久次さんと俺たちはお寺の中にある冒険者協会の恐山支部で正規の手続きを済ませ、洞窟のような形のダンジョンの中に侵入する。
恐山ダンジョンに一歩足を踏み入れた瞬間、体感温度が急激に低下したのを感じた。
「な、なによ、ここ……!」
「これが恐山ダンジョン……!」
体の芯から冷えていくような奇妙な感覚に陥る。体ではなく心が凍えていくような……これは、恐怖から来る錯覚なのか……?
「恐山ダンジョンは、最も霊界に近いダンジョンだと言われて居るんだ。だからこのダンジョンをこう呼ぶ人も居る。
「よもつひらさか……」
生と死の境界。日本神話に登場する有名な、現世と死者の住む世界の境目の名前だ。
「もちろん、この場所が本当にそうだと言うわけじゃないよ。実際に黄泉平坂だと言われている場所は出雲にあるからね。……ただ、このダンジョンが霊と密接に関係しているのは確かなんだ」
「霊とですか……?」
「そ、それって……!」
新野が顔を青くして俺の服の裾をちょっぴり摘まむ。
その直後だった。
『うーらーめーしーやーっ!』
「きゃぁあああああああああああああっ!?」
突如として俺たちの目の前に現れた福留さんに、新野が大きな悲鳴を上げて俺に抱き着いてきた! び、ビックリした。新野の悲鳴で心臓が飛び出るかと思ったぞ……。
「リイル、シャレになってないよ」
『あははー、ごめんごめん。まさかこんなにも驚かれるとは思わなかったよ……あれっ!? こっちの子にもわたし見えてる!?』
そう言って驚きに目を丸くする福留さん。一方の驚かされた新野は俺に抱き着いたまま動けずにいた。
「お、おい。新野? 大丈夫か……?」
女の子特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。柔らかな弾力に俺がドギマギしていると、新野は小さく声を出した。
「これは違うの」
「な、何が違うんだ……?」
「あ、あたしは別に幽霊が怖いとかビックリして腰が抜けたとかそういうわけじゃないの。ただちょっと不意打ちだったから条件反射で抱き着いちゃっただけで全然怖くないしビックリしてないし腰も抜けてないし全然平気だから」
「そ、そうか。じゃあそろそろ放してくれても」
「それは無理っ!」
どうやら腰が抜けてしまったらしく、新野は俺に抱き着いたまましばらくプルプルと震えていた。
『この二人やっぱり付き合ってるのかな?』
「そうなんじゃないの? それより、今の悲鳴で呼び寄せちゃったみたいだよ」
『あちゃー』
久次さんと福留さんが視線を向けた先。進行方向から地を這うような低い唸り声が聞こえてくる。やがて俺たちの前に現れたのは、人の姿かたちをしながら半透明で宙に浮かぶモンスターの群れだ。
「
霊と密接に関係しているダンジョン。ここが黄泉平坂と呼ばれている理由に納得が行った。
「それじゃ、さっそくだけど君たちのお手並みを拝見させてもらおうか」
『がんばれ、土ノ日くん、新野ちゃん!』
久次さんと福留さんは道を開けるように脇に逸れ、俺たちに戦いを促す。
「行けるか、新野?」
「……ええ、やってやるわよ。ぜ、全然怖くなんてないんだからっ!」
新野は自分を奮い立たせるようにそう叫び、右手をゴーストの群れに向ける。
俺も盾を構え、鞘からヒヒイロカネの剣を抜き放つ。
……もう二度と、負けは許されない。
脳裏に刻まれた伏見での苦い記憶を思い出し、強く剣を握りしめる。
「行くぞっ!」
新野が魔法を放つと同時、俺は亡霊の群れに向かって駆け出した。
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