エピローグ

終わりのその後の1

 女衆や子どもたちに指示を与えて、荷物を所定の倉庫へ運ばせていたウタカがイャノバの帰還に気がついたのは、もう日が暮れようとしていたときだった。イャノバは共に出た戦士たちと一緒に大きな獣の体の一片を担いでいる。向こう五日は肉が食えると分かった子どもたちははしゃいでイャノバたちの下へ走り出そうとしたが、ウタカがまずは自分の仕事を終わらせるよう叱咤した。

「おっかないなあ」

 ウタカは笑うイャノバを睨みつつも、室まで運ばれる肉についてとりあえずは炙るか塩をまぶすか考えていた。炙った表面を削って食べ、残りを塩につけようと決めた。ウタカが女たちを集めて、夕食を変えることを伝え、それまで女たちのやっていた仕事を今しがた帰ってきて明らかに疲労している男たちに投げて寄越した。

「さ、里長はよくあの人を娶ろうと思ったな……」

「や、美人だとは思うんだが……」

「昔はああじゃなかったんだがな、近頃は思い切りが良くておれも自分の仕事に専念できる。いい女だ」

「変わってるなあ!」

 男たちが一仕事を終える頃には、女たちは手早く料理を仕上げていた。異国から仕入れた調味料を使って味の整えられた肉は甘く、また辛く、酒も進んでそれまでの不満も消し飛んで夜更けまで騒いだ。

「パロボコロなんて、何年ぶりかしらね。奥の里でも食べなかった」

 大人衆の騒ぎが静かでゆったりと時が過ぎるのを楽しむようになった頃、ウタカは子どもたちを寝かしつけて、囲炉裏の前で皮紙を睨むイャノバへ言った。薬缶を火から取り上げ、ゆすりながら湯のみへ注いでいく。茶の香りにイャノバは顔を上げた。湯のみを受け取り、一息つく。

 イャノバとウタカは奥の里から浜の里へ戻ってきていた。元々浜の里にいたものや、奥の里からも二人についていくものがいた。八年の内に子供が増え、外から移り住む者もあった。海を見たことのない者は、浜の家から見る大海に心を奪われた。

「おれも驚いた。しかも見たか、あんなにでかい。話を聞いて、小さかったら逃がそうかと思ったが、年を食ってたし耄碌しているようにも見えた。家が襲われたらたまったもんじゃない。まあ、何人かが多少引っかかれただけで済んだのは儲けもんだ……ふふっ、浜の里に生命が戻りつつあるな」

 焼けて荒野と化した浜の里には、新たに植えた若木が成長しつつあった。鳥が戻ってきて巣を張り、虫が花から花へ種を運んでいる。まだまだ森と言うには程遠く、景色も寂しい。元のようになるまで百年はかかるだろうが、それは子どもたちが受け継ぎ成し遂げてくれるだろうと、イャノバは考えていた。自分はその偉業の礎となれればいいのだ。

「大きなことを成そうと思うのはいいけど、まずは家を増やさないとね。北西はどう? 北の家の横で西の家の上。六つ目が必要になったら同じ要領で北東に作るの」

「いいな、そうしよう。近い内、子供も何人か連れて森へ行って来よう。いい木がないか見ないとな。それと……」イャノバは再び皮紙を見た。「東の里のパブアの対価が上がっているな」

「収量が減ったからって言ってるけど、“向こうの人”には人気だって分かったのよ。これは他の男達には内緒だけど、甘くして飲むと本当に美味しいの。女たちの息抜きね」

「ふうん。別にいいんだがな、付け上がらせると後が怖い。あれもこれもと高くされては“向こう”も同じことをしてくるぞ……」

 口に手を当て考えるイャノバの湯のみに、ウタカはまた茶を注ごうとした。イャノバはハッとして、ウタカを止めた。

「水筒に入れてくれないか」

「あら、また?」

「まただ」

 ウタカが水筒に茶を入れると、イャノバは出かける用意をした。短槍を手に持ち、水筒を肩から掛ける。ウタカに自分の頭を頬にこすりつけられると、イャノバは引きつった顔をした。

「本気か? もう十人も産んでるのに」

「うふふ」

 イャノバは仕方ないとばかりに息を吐いて、ウタカを抱きしめた。外では、それまで静かに思えた男と女たちが“宴もたけなわ”と盛り上がりつつあるのが目に入った。

「お前たちもか」

「里長もいかがですかー」

 女の一人が誘うと、隣の女がその肩を叩いた。ここでイャノバの答えが変わったことは一度としてない。男たちも思わず笑い声を上げるのを背にして、イャノバは火も持たず野に出た。

 この夜はよく晴れていた。闇の中だが月があり、星もよく光っている。夜目がじゅうぶんに利いて足早に歩くことができた。

 イャノバに目的地はなかった。ただ勘に任せて歩くだけだ。

 ふと、闇の中に星が瞬いた。天の星より一層強い光に、イャノバは歩き出した。光もまた、闇の中にイャノバを見出したように近づいてくる。

 杖だった。杖の先から硝子の箱が吊るされ、その中で火が照っている。その傍らには黒く、背の高い男がいた。男は年老いていて、着るものはあらゆる文化の折衷でまるで統一感がないが、どうしてか共にあるものを心穏やかにさせる佇まいをしていた。

「久しぶりだな」

 火に照らされたイャノバを見て、男は闇に溶けるような低く、静かな声でいった。その声がイャノバの胸にも染み込んで、熱を持っていく。

「ああ、久しぶりだ」

 二人の顔には、頬の同じところに同じ形の傷が一つ入っていた。

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