第十一話の3
レッドカイザーはその“船”を見て確信した。この始まりの宇宙で始まりの炎は生まれたのだと。永遠にも思える時の中を継承されてきた炎の、最初の洗練を受けた宇宙。そうだ、始まり炎とは、この物質界で生まれたものなのだ。この船を生み出した、遥か彼方の時代の文明によって――。
イャノバはアキノバと意思の疎通ができなくなり、困っていた。
闇の中でひとり取り残された気持ちになり、このまま帰ることができないのではないかとも思い始めた折、目の前に白い物体が現れた。それは手を伸ばせば届くほど近いようにも見えるし、恐ろしく巨大なものが遠くにあるようにも見えた。巨人のアキノバの太陽が如き輝きに照らされて、ぼんやりと浮かび上がるそれを、イャノバは漠然と“船”だと理解することができていた。もちろんイャノバはそのような形の船など見たことがない。帆はないし船底もないのだから。
なめらかな表面を持つ白い船を見ていると、イャノバはだんだんと意識が引き込まれていく感覚に襲われた。
炎だ。あの船が巨大な熱の中にあった。世界の終末もかくやの地獄の只中だ。楕円形の完全な姿を持っている。
そして、気がつくと全く知らない場所にいた。どこか屋内で、光沢を放つ、箱の形をした道具が大量に並んでいた。炎の中にあった船の中だろうか。ガラスの壁がはめ込まれて、隣の部屋を見ることができた。巨大な空間のようだった。中央に透明の箱が浮いていて、なにかが収められている。イャノバの知らない宇宙の、知らない形をした生命だ。ただ、その姿は全てもやに包まれたように判然としない。そして見えるもの全てが白黒なのだ。
声があった。イャノバの知らない声、知らない意味。イャノバの意識がある部屋で、何かが箱の一つを操作した。隣の巨大な部屋に膨大な力が集まり始める。その力が、一つの生命に集約されていく。
人柱だ、生贄だ。
発生する力に底はなかった。底なしの力が“器”に集まり続けた。だが、ここにいる他の生命の目論見通りにはいかなかった。
純粋な力が溢れ出し、空間を穿った。どこかへ通じるその穴の中へ力は逃げるように滑り込みながら、暴走し、のたうち、破壊をもたらした。船は二つに割られ、瞬く巨大な光によって闇の果てまで追いやられる。
『なんだ、おれは、一体何を見せられているんだ……?』
旧い宇宙が駆逐され、新たな宇宙が誕生した。やがて宇宙に生命が芽生え、文明を産み出すものが現れる。そこへ上なる世界からの使者が現れ、力を授かった。それは力に溺れ、宇宙を破滅へ導き、再び火をつけた。
三番目の宇宙、やはり生命に力が与えられた。炎の力で愛するものを守ったが、ついにそれを失い、失意の中で炎に飲み込まれてしまった。
四番目、五番目と続いた。走馬灯のように駆け抜けながら、イャノバはたしかに彼ら一人ひとりと共にあった気がした。炎は力を与え、それをより渇望するためのしかけを用意するようになった。生命というものを学び、彼らが何を求めるのかを知っていった。
炎が誰かを選ぶのに理由はなかった。ただ、たまたまそこにいたものが選ばれるのみだった。
神獣が送られるようになった。
大切なものが神獣に奪われ、生命たちはより巨大な力を求める。
憎しみを燃やし、神獣の討滅こそが生きがいと変わる。
失うことを何より恐れ、さらなる高みを目指し始める。
その感情がイャノバの中に流れ込んだ。幾百、幾千、幾億もの憎しみがイャノバの心へ楔を打ち続けた。守るためには必要なのだ、力が! 闘うためになくてはならないのだ、力は!
イャノバは一人の少年を見た。赤い巨人へ変わり、愛するものと引き離され、失意の中で戦っていた。その宇宙が彼の手によって灼かれ、幼き日の自分がいた。英霊アキノバと手を取り合い、神獣を倒してきた。天上を飛び、壁を越え、今ここにいる自分に重なる。
『うぅっ!』
生身であれば口から戻していたかも知れなかった。歴代の炎の継承者、すべての記憶を辿ったのだ。その間イャノバは彼らひとりひとりであった。彼らの道程をそっくりそのまま歩んだ。彼らの愛と、絶望と、渇望が、一斉に自分の体に入ってきていた。
彼らの結末はその全てが悲劇的なもので、愛するものと引き裂かれる運命にある。イャノバは自分の未来を見た気がして、つまりウタカと二度と会えないのではないかと思ってしまった。そして、今持てる力ではウタカを守ることはできないのだとも、身を持って知った気になった。
イャノバの中で力への渇望がどんどん膨れ上がっていた。歴代炎の継承者たちの無念の意識が、イャノバをそう誘った。
ウタカに会いたい、一刻も早くウタカのもとへ戻らねば!
イャノバの身に宿った炎が勢いを得て燃え始めた。
レッドカイザーは自分の体の制御が不可能になっているの気づくと同時に、炎が今一度巨大に噴き出そうとしているのを感じた。自意識以外にこの体を動かすことのできるものなど一つしかない、イャノバだ。イャノバの意識は消失したように思われたが、やはり体のうちにあったのだ。
レッドカイザーは安心すると同時、焦燥を覚えた。
炎の化身として現界しながら、体の主導権がイャノバに奪われた、その意味。
ついに始まったのか? ようやく手がかりになりそうなものを見つけ、まだこれからだと言うのに!
イャノバが生み出した炎はどんどん威力を増し、一直線に船の残骸へと迫った。
『まっ、よせイャノバ!』
炎は船へと直撃し、それを粉々に砕き、塵も残さぬようにと原子に至るまで焼き払ってしまった。始まりの宇宙は真なる闇に閉ざされ、虚無が広がるのみの場所へと変わってしまった。悠久の時を越えてここにあったものが、今失われてしまったのだ。
『神獣! 神獣はどこだ! ウタカを守らなくては、う、うぅ……!』
『イャノバ? どうしたイャノバ!』
イャノバの様子が尋常ではなかった。
レッドカイザーは状況が飲み込めず、何度もイャノバの名前を呼び続けた。イャノバは虚空を彷徨い、なにもないところへ炎の波を放った。レッドカイザーはせめてもの抵抗をしてみると、まだエーテルの操作については自分に分があると分かった。これなら現界を解いて一度仕切り直すことができるが、ここでそれをやるわけにはいかない。
そんな時だった。
レッドカイザーとイャノバの思いに応えるように、遠い宇宙の一つの星に、神獣の現れた気配があった。
レッドカイザーはすかさず、意識を集中させイャノバと人形の質量ごとエーテル界へ戻り、神獣のいる座標へ再現界を果たした。できれば炎をエーテル界へ返し、普段どおり“器”のエーテルのみで現界したかったが、その手間をかける一時を惜しんだ。
レッドカイザーはとにかく神獣を倒し、現界を解き、イャノバの恐慌の原因を彼に問いただすことを優先事項とした。
白い巨人が再び物質界に発現すると、そこには無限に思われる暗黒の空間などではなく、崖のように切り立った峰を持つ山の裾野があった。神獣が一体先んじて居り、その背後には現界に要する質量を回収した名残が巨大な穴として残っている。
神獣は明らかに硬直した。なにせ、目の前に現れたのは炎の化身で、エーテル界の先王がその真なる力を発揮した姿であったからだ。それが虚空より出でて怒気と敵意を隠さず、自らと対峙しているのだから。
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