第3話:水槽の中で

 光太がここに来たのは初めてだ。

「いらっしゃい」

「あ、どうも……」

「お邪魔させられたわ。あなたどうして封印されてるの?」

「いろいろありまして」

「ねー。脱走しちゃうかと思ったんだけど」

 リフユ様がおっしゃるように力づくで水槽を破ることは可能だが、実は水槽の居心地が割といい。

「お茶も出せずすみません」

 家主ともあろうものがこんな体たらくで申し訳ないが、いまはなんとも。

「大丈夫よ、お父さん。私がお茶出すから」

 やってきたハノンが水槽をつついた。

「すみません、お願いします」

「はーい。……リフユ様は初めましてですね」

「うん。初めましてだよ、ハノンちゃん!」

「ふふ。こわいひと」

 たしかに怖い。

「みなさんテーブルにどうぞ。ミルクとお砂糖もお好きにね」

「ありがとー」

「ありがとうございます!」

「ありがと。……とりあえずバイクしまうわね」

 光太のバイクを、女神が自身の空間にしまいこむ。しまえるということはあのバイクなんなんだということになるが、光太に伝えるべきか迷う。

 テーブルに着いたところで、リフユ様が手を合わせて苦笑する。

「ごめんね、シェル。ニーズヘッグ様が侵入してたついでに侵入しちゃった」

「かまいません。アレには結界など無意味ですから」

「え、まじですか?」

 なぜ光太が驚いているのかはわからないが、ニズと出会ってジンガナ様と話しているのならば一応忠告しておこう。

「ニズは何をしなくとも魔法スペル系の神秘にとって災害です。何もかも薙ぎ倒す台風が近づけば結界は崩れますよ」

 すでに再構築はしてあるが、ニズが出る時の修復を思うと憂鬱だ。

「ニズさんってそんな感じなんですかー……優しい人だと思ってましたが、意外です」

「目を修理しろ」

「なぜ!?」

 あれのどこが優しいのかわからん。

「あら、光太ったらあだ名で呼んでるの。ジンガナ様経由で仲良くなったのかしら?」

「仲良くはなってませんけど、たまにお話しします」

「……。そうなの」

 ハノンは言葉を飲み込んでいる。

「まあでも、ジンガナさんがほろ酔いで惚気るんで、けっこうどんな人かは知ってるんですよ。ほっこりしたなあ」

「誠か? 我に誓って誠か?」

「うわあ近い!!」

 光太の目の前、テーブル上にニズが腰掛け肩を掴む。……俺の縄張りを平然と無視するのやめて欲しい。

「な、なんですか。嘘つく意味ありませんから誠ですよ?」

「嘘であれば首を刎ねるところだ」

「びっくりするほどの理不尽!」

 飛び降りるついでとばかりに、口をつけていなかった光太の紅茶をとっていく。

 光太が抗議しかけるのをシヅリが止めた。賢明だ。

 ハノンに目配せすると、娘は笑って新たな紅茶を光太に淹れた。

「どうぞ」

「……あざす」

「ジンガナ……」

 唯我独尊を地でいくニズだが、無二の愛を注ぐジンガナ様が惚気ていたと聞いて機嫌が良い。

 ぶっちゃけるともうこれ以上機嫌良くならないで欲しい。早く回収に来ていただけないだろうか。ジンガナ様かキュレア……だめだ、ニズのせいで気配が探れない。

「ふふ、お父さん大変そう」

 楽しそうなハノンが可愛くて癒される。

「そうか……我が妻が酔ったら、愛情表現をしてくれるのだな……」

「? え、あの、ジンガナさんって普通に旦那さん……っむぐ!」

「口出さないほうがいいわよ」

 光太の言いたいことはわかる。ジンガナ様はニズを愛しておられる上、それなりに愛情を伝えている。しかし、ニズは恐ろしく鈍い。奥方のお淑やかで控えめな愛情表現が伝わらないほどに、鈍い。

 あまりに面倒でどうしようか悩んでいたところ、リフユ様が水槽をつついた。

「? なんでしょう」

「あーちゃんって呼んでいい?」

「…………。……」

 返答が躊躇われる。

「呼ぶね。あーちゃん、出ないの?」

 封印をかけた彼女は俺を引き摺り出すこともできる。

 慎重に返答した。

「……まだ、出ません」

「そう。羽休めだね」

 心遣いがありがたい。

「……我のジンガナ……」

「何を恥ずかしいことを言っているのです、我が夫」

「! ジンガナ」

 話していた間に、迎えに来てくださったようだ。

「ジンガナ、ジンガナ」

「何度も呼ばなくとも聞こえておりますわ」

「会いたかった」

「んっ、……そ、そうでしたの」

 夫婦のやり取りに、光太とリフユ様が和んでいた。

「アリアに迷惑をかけていないで、早く帰りましょう」

「うむ。鬼っ子」

「はい」

「我は帰る」

「わかりました」

「イブキを置いていくから頼るがいい」

「嫌です」

 まともに話してもいないが頼るべきではないという予感がひしひしとする。

「生意気を赦そう。いまの我は気分が良い」

「いいから帰りますわよ。……キュレアを置いていくから、イブキの抑止になってくれるはずです。無理しないでね、アリア」

「……はい。ありがとうございます」

 彼女は何もかも見抜いていらっしゃる。

 ニズが消えて魔力探査は万全。

「頃合いじゃのう」

「何を根拠に言ってる?」

「あらすごい。見ないうちにお客さん増えてんじゃねえか」

 イブキ様の位置を捉えたところで、張本人と竜神たちがやってきた。

 ハノンがキュレアとイブキ様に光太を紹介すると、それぞれ頷かれる。

「私はキュレア。リフィンとミディンの妹で、ハーツの姉。シヅリがお世話になっているそうね」

「いえっ、俺の方がお世話になってます!」

「ふふ。……で、こっちは会ったことあるだろうがハーツな」

「久しぶり」

「お久しぶりです。今日のハーツさん格好いいっすね。似合ってます」

「……ど、うも」

 イブキ様は大笑しつつ名乗る。

「余は初代ユングィスが長じゃ。イブキと呼ぶが良いぞ!」

「あ、ユングィスさん……道理でものすごい……イブキさんですね」

「うむうむ、初めましてじゃな」

「初めましてなんですが、初めましてじゃないような気もするんです。不思議ですね」

「おお。末裔に宿りし余を感じ取るか」

「??」

 分離する以前のマヅル様と出会っていたようだ。

「まあ良かろ。して、ハーツはめかしこんでおるが、スペードと逢い引きか? 新婚祝いを贈らねば」

「結婚はしてない」

「何億年経てば結婚するんじゃあ!!」

「なんで逆ギレ」

「いい加減に子の五十はこしらえていると思っとったんじゃぞ! なぜにお付き合いに留まっておるんじゃお主は!?」

「無茶な単位で話すのやめろ……」

「はいはい、二人とも落ち着いてくださいな」

 神の諍いはキュレアに任せるとして、俺は光太に目を向ける。仮想的な視界であるため目でさえないが。

「なんすか、シェルさん」

「……」

 ハノンと話していて完全に背を向けていたはずなのに、なぜ。

「? あれ、なんか見てた気がしたんですが……すみません、勘違いっすね」

 忘れてください、と照れ笑いをする光太に、リフユ様が言った。

「いいえ。あーちゃんはあなたを観察してたよ。……光太に質問があるんだよね?」

「ありません」

「あるんだよね?」

「————:@@->1!!」

 飲み込んだ言葉と思考が逆流するが、水槽の中で行き場がなくて渦巻く。

 なぜリフユ様はこうにも力づくなんだろうか。俺との接点は、マヅル様に迷惑をおかけしたことくらい……

「……」

 ……………………わかった。

「ふふ、シュリちゃん似かと思ったら旦那さん似なのかな?」

 当たったのもわかった。

 しかし、先に対応すべきは光太へのことだ。これを避けたらリフユ様は俺への封印を本気でかけるだろう。

「光太」

「はっ、はい? なんでしょ」

「あなたはどうして俺と姉を見分けられないのですか?」

「え……えええええええとですね……」

「答えていいですよ」

 薄々わかってきたから、聞いても発狂まではしない。

「……お母さん呼んでくるわ」

「大丈夫ですよ、ハノン」

 娘の優しさに感謝する。

 光太は大いに逡巡していたものの、シヅリに背を押されて口を開いた。

「その。シェルさんは『姉とそっくりでありたい』って願ってるけど、シアさんが『弟と別個でありたい』って願うから、願望をキャッチする俺の神秘側が判別を放棄してるんじゃないかって……ことらしいです」

「……………………。そうですか」

 神秘に知覚能力を左右される光太が言うのだから、納得のいく話だ。

「ありがとう。あなたもどこかへ行く用があったのでしょう? 行き先を言ってくれれば送りますよ」

「……あ……えーと、大した用じゃ……それよりその、大丈夫ですか?」

「問題ありません。姉との共同生活にも、今後支障が出ることはないでしょう」

 すでに修理は済ませた。姉への殺意が噴き上がるのは仕方のないことだが、それを実行に移すこともストレスになることも最早ない。

「姉に謝りに行——っ〜〜〜〜〜……」

 光太のデフラグが殺到して、修理が消えてしまう。

 訳がわからない。俺の望みを叶えるのならば修理の結果を不可逆なものにすべきだ。

 嫌いだ。

 見るたび死にたくなる姉も、中途半端な期待を持たせるデフラグも。ままならない自分も。

「……う、おわ……」

「ちょっと、お母様! そんなに吸い出したら光太が死んじゃう!」

「ごめんね」

 感情は煮える。

 少し体を動かすだけで水槽にヒビが入る。

「あなたって、お人形でいたいの? それとも生きてたいの? どっちなの?」

「…………」

 その答えだけは即答する。

「生きていたい、です」

「そう。なら頑張ろうね」

「はい」

 オペレータとして命じられればまだしも、頑張るつもりなどなかった。

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