第1話:天使

 本日は自宅に客人を迎え、ガーベラがとてもはしゃいでいる。喜ばしいことだ。

「ハルかわいい……♡」

「……♡」

 ソファでガーベラに抱きしめられるハルネは恥じらいつつもまったりとして愛おしい。

「お兄ちゃんとお出かけしたのね。ケーキ美味しかった?」

「……」

「そう。幸せね。……ハルが元気だと私も嬉しい」

「♡」

 二人から離れた場所で、俺はもう一人の客人とテーブルを挟んで向かい合う。

「久しいな、ハイネ。息災か」

「ええ。そちらもお元気そうで良かった」

 ハルネとよく似た天使の青年は両親譲りの風格が滲み出ており、成長を感じて愛おしい。

「あの……その、さも『大きくなったなあ』と言いたげな目線をやめていただきたい……」

「? ……不快だったか」

「不快というか、気恥ずかしいので」

「善処しよう」

「……ぜったい善処されないやつだ……」

 失礼な。

 どう抗議したものかと考えていると、翼を広げたハルネがやってきてハイネの手を握る。控えめな仕草がいじらしい。

「ハルネ。……無理しなくていいよ。ベラさんと話したいだろ? 私はほかの部屋をお借りして、」

 ハイネの手首が逆に曲がる。

 頬擦りするハルネはあまりに健気。……胸が痛む。あとでたくさん甘やかしてあげたい。

「じゃあ、ハルネはベラさんと他の部屋に、」

 ハイネの手指が粉砕される。

「……。いる方がいい?」

「もー! 鈍いよハイネっ。ハルはお兄ちゃんに甘えたくて、そばにいてほしいんだよ」

 ガーベラが割り込み、ハイネをソファへ座らせる。そこへハルネを投入すれば完成だ。

 ハルネは声こそ出せないが、双子の兄に幸せそうに甘え始める。

「…………。ありがとう、ハルネ……」

「♡♡♡」

 昔の二人を思えば、いまこの光景は奇跡のように尊いものだ。

 よし。

 今日は二人ともたくさん甘やかそう。

 同じ気持ちであろう妻は衝動を抑えてハイネに追いかける。

「光太の神秘のこと聞いた? ハルの声のこと、なんとかできるかもしれないよ」

「その件について噂はあちこちから聞いている。なんでも、願いを拾って事態を良い方向に突き動かすのだとか」

「どう思う?」

「直に見るまでは半信半疑で留める」

 ハイネらしい堅実さ。

 その膝に乗るハルネがさらさらと文字を書き連ねる。

『アリスさんと京さんからそれぞれ聞いてましたが、ほんとうみたいですね。お二人は見ましたか?』

「見たよー。ていうか、知り合いの何人かは光太に運命突き動かされてるしね」

「具体的には?」

「封印監獄に突入して何人か連れ出してくれたよ」

 ガーベラの返答に、ハイネが眉をひそめた。

「……効果は疑いようもないらしい。だが、いくら女神との契約があるとはいえ、デメリットが軽微だ。その点についてはどうか?」

 その質問にはこちらから。

「俺も同感だ。いくら恐怖や危機感その他感情をつままれた虫食い状態の対価としても、あれは人間が扱う規模の効果ではない」

「そんな状態なの!?」

「本人はいたって普通に生活している」

「逆に怖いよ!!」

 ハイネは優しい子だな。

 実際に光太を見れば心配いらないとわかるのだが……紹介したときに納得してもらおう。

 ……おや。

『お邪魔します』

「うん、いらっしゃい」

 ハルネが俺の膝に移動する。隣のガーベラが髪を梳かして世話を焼くのが愛しい。

『対価あるんですよね?』

「息子曰く、負の宇宙と接続した女神との契約そのものが対価なのだとか」

 ともすれば光太ごと負の宇宙に吸い込まれて異次元異時空が発生する可能性があるとか、光太の精神が理から外れた異空の神と接続してしまう危険があるとか……ほかにもデメリットは多々。

 光太のデフラグを観測・分析する友人や我が子からの受け売りを伝えると、ハルネは楽しそうに笑った。

『やばいね』

「ふふ、そうだな。やばいかもしれない」

 今どきな言葉を使うハルネが可愛くて、ガーベラと二人で撫でる。目を細めるのも愛しい。

 妹へ優しい眼差しを注ぐハイネに、俺から一つ提案を。

「試そうか?」

「? 試す、とは」

「光太のデフラグをトレースしてある。長く持続させられない上に一度限りの効果だが、ハルネに——」

「ん!!」

 反転したハルネが俺に抱きつき、腕を引き寄せはじめた。おてんばは変わらないのだな。

「……異変を感じたらすぐに伝えておくれ」

 こくこく頷くハルネの額に指を当てる。

 揺らめく不可視の線が通り、ハルネは兄の方へと翼を打つ。

 そして口を開いた。

「お兄ちゃん」

「…………」

 ハイネの目から涙が溢れる。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん——」

「ハルネ……!」

 抱き合う双子。

 見守ってきた俺とガーベラにとって感動もひとしおだ。

「お兄ちゃん……好き。ずっと、言いたかった……」

「……ありがとう……私も大好きだ」

「嬉しい……一緒にお風呂入ろ?」

「風呂はダメだ」

 そこは冷静なのか。

「なんで!? ハルネとお風呂嫌なの!?」

「嫌とかじゃなくてだな」

「嫌じゃないなら入れるよね!」

 ガーベラに溺愛されてきたハルネは、風呂をともにすることが親睦の証という竜の文化に染まっている。

 それを知らないハイネは真面目に注意を始めた。

「本当に嫌なわけじゃないよ。だが、兄妹とはいえ、お互い大人になって風呂は問題がある」

「じゃあ子どもになる!」

 ハルネは迅速果断。天使の種族特性を大いに活用し、5歳児ほどの外見に変わる。可愛らしい。

「見守ってないで助けてくれ……!!」

「おもしろーい!」

「あれ、ベラさん!? 助けてくれないの!?」

 ガーベラが楽しそうで俺も嬉しい。

 そうこうしているうちにハルネが眠りに落ちる。体力も5歳児相当になるのだから当然だ。

 気付いたハイネは妹を抱え直し、ほっと息をつく。

「……ユニさん、どこかお部屋お借りしても?」

「もちろんだ。……着替えも用意した方がいいな」

 いきなり縮んだから服のサイズが合っていない。

「じゃあお洋服は私がやるわ。お布団はシュレミアにお願い」

「うむ。場所は和室にしよう」

 窓があって室温調整や換気がしやすく、リビングからも見えて動線が良い。

「わかったよ」



 ハイネは幼い姿の妹に世話を焼く。残暑で汗をかかないように、かといって風で体を冷やさないようにと優しい気配りだ。

「懐かしいね」

「そうだな」

 妻の言葉に同意する。

「二人の両親は何してるんだろ。引き摺り出してこようかな」

「やめておいた方がいい」

「ふふ、冗談だよ。……さっきの、いつトレースしてたの?」

「ひぞれとユヅリを分離させる時に」

 光太のデフラグは、彼自身が強く助けたいと思う人物に強力な効果を発揮する。ひぞれ相手ならば申し分ないだろうからオーダーで型を取っておいた。

「へー。使い心地どうだった?」

「漠然としていて捉えづらい。そもそも、型を取ったとてノイズが残っているから、威力の面では本家に劣る」

 女神のデフラグが雪崩れ込み、光太の精神に混ざって変質した奇妙なアーカイブ。あるのは指向性だけでそのほかの制御も絶望的だ。到底使いこなせるものではない。

 あれこれと考えてはいるが、再現性もかなり際どいのではなかろうか。……今回の感触も分析組に伝えてみよう。

「…………ふふふ」

「?」

「シュレミア、楽しそうだね」

 妻が微笑んでいる。

「……」

「どうしたの?」

「ああ、すまない。見惚れていた」

「んっ……んにゅう……」

 照れ顔も魅力的だ。俺の妻が美しくて困る。

 ……ん?

 …………ああ、これは。

「ユニさん、そろそろお暇……」

 心臓が暴れ始める。

 慣れた感覚だ。

「……ユニさん!?」

 音はハイネの叫びを最後に、遠ざかって消えた。

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