第3話:天使

 マヅル殿とリフユ殿が去ってすぐ、俺はまた眠った。

 再生能力が高いのは嘘ではない。たとえ心臓が弾けようが脳が焼き切れようが丸一日も寝込めば多少は回復する。

 目覚めたいまは天使三人に囲まれていた。

「ユニさん、あーん♡」

「……自分で食べられるから大丈夫」

 母と和解してご機嫌なハルネがスプーンを向けてくる。

 初日こそハイネに食事を流し込まれたが、いまはスプーンが持てないほどではない。

「ハイネに食べさせてあげなさい」

「それもそうだね!」

「そうだねじゃないしユニさんも勧めないで。しかもこれあんたの昼飯!」

「う……しかし……」

 熱を出した前後はどうしても食欲が落ちてしまう。水さえ飲みたくないほど。

「代わりに食べてくれるとありがたいんだが」

「お前が食べよ、ユニ」

「んぐ」

 ジュネにスプーンを突っ込まれた。

「きちんと咀嚼するのだぞ」

「…………」

 言われた通り、よく噛んでからリゾットを飲み込む。

「……ジュネ。お子さんたちと話してはどうかな。俺にかかずらうより有意義だろう」

「話を逸らすな。ガーベラがいれば世話を譲る。お前をひとりにしてはロクなことにならないから」

 心外だ。

「でもいまはいない。……それに、こうしてはしゃぐハルネを見るのも嬉しいので無問題だ」

 たしかにハルネが可愛い。

「ユニさんにあーんしたいなー。喉奥までスプーンを入れてあげたい」

「やめてくれ。たぶん普通に嘔吐する」

「え!? ユニさんの嘔吐見たい!」

「こら!」

 ハイネが妹を制止する。仲良し兄妹だな。

「……娘が申し訳ない」

「かまわない。天真爛漫でおてんばなところが愛くるしいと思う」

「目を診てやろうか」

「なぜ」

 俺はいつも現実を正確に視認しているのだが。

 ジュネは呆れの吐息をこぼした。

「まあいい。……ハルネ?」

「なあに、お母様?」

「なでなで」

「えへへ……うふふ……お母様すき」

 なんて可愛らしい。

 彼女は続いてハイネを撫でようとしたが、固辞されて落ち込む。それで撫でさせるハイネも優しい子だ。

 二人とも愛おしい。

 よし、元気になったらすごく甘やかそう。

「ユニさん変な事決意してない?」

「変なこととは失礼な」

 ハイネは鋭い子だ。愛でて甘やかしたい。

 それが伝わってしまったようで、ハイネは複雑そうな表情をする。

 ジュネがハイネを見やって言う。

「……ハルネを連れて散歩。頼めるか?」

「はい。ハルネ、行こう」

「うん!」

 あー可愛い。去り際に手を振る仕草が二人揃っているのも愛くるしい。

 二人が去れば、残るのはジュネだ。

 俺の手を取って解析を始める。

「随分と派手にやらかしたな。お前には珍しい」

「……いろいろとあったから」

「いつもなら体調を崩したお前から離れないガーベラが来ない理由に心当たりは?」

「黙秘」

「生意気」

 笑って撫でてくれるのは昔から変わらない。

 懐かしい。

「アリスが心配しているよ。きちんと水分を摂れ」

「……。点滴で十分では?」

「そんなわけない。ほら、飲め」

「…………」

 差し出されたグラスに口をつける。

 喉が拒絶しているのではないかとさえ思える不快感とともに、ぬるい水を飲んだ。

「ただの水をそんなに不味そうに飲めるのも才能だな」

「……吐きそうだ」

「お前の腹、水と胃液しか入ってない。何を吐く気だ? というかよくそれでマヅルにあれこれ言えるな」

「俺が相談にのっているのは彼の仕事面であって健康面ではない。たとえマヅル殿が六連続で徹夜しても止めはしないよ」

「きちんと止めろ」

 ジュネの手指が俺の頭を掴む。

「はい」

 離す。

 続いて、解析ついでに頭を撫でられる。

「……ハルネのこと、ありがとう」

「あなたには昔から世話になっている。ただの恩返しだ」

「そうか。……うむ、体温が上昇し始めたな。大人しく最初からそうしていろ」

「…………体の調整をどうしたものかと悩んでいるんだが、どう思う?」

「今ばかりは何も調整するな。私がお前の魔力を制御しきってやろう」

「……。お願いする」

 何もかもを見通すプロトタイプの天使を相手にどうこうしたとて無駄なこと。こうなったら穏やかな時間に身を任せてしまおう。

「王城時代、お前がこうしていたらガーベラが飛び込んできたな」

「ああ……護衛を振り切ってくるものだから怒られていた」

 ガーベラの兄は王家の近衛で、当時は軍の大隊長でもあった。妹が王の寝室に侵入したと知った彼の顔は実に見もの。いつもは凛として崩れない表情が百面相のようだった。

 俺としては女性であるガーベラによくない噂でも立てられたらと不安があったが、彼女はおかまいなしに俺のところへ来た。

「嬉しかったか?」

「……そうだな」

 笑うこともできなかった俺に、どうしてか一目惚れしたというガーベラは、いろんなことをしてくれた。優しさを俺が理解できなくともかまわないのだと言っていたが、今となってはどれも大切な思い出だ。

 ……ガーベラがいなくてさびしい。

 いや、感情は不要だ。

 俺の都合で彼女を振り回すつもりは毛頭ない。

「取り繕うな。寂しいままでいろ」

「…………ガーベラはいま気持ちと思考を整理するのに忙しいだろう……」

「なぜ病人が気をつかう? 今回の盛大な《発作》の原因に?」

「彼女になら殺されても幸せだ」

「別にそこはいい。体が弱れば心も同様だからじっとせよ」

「その機能は不便だと思う」

 アリスも心体の調子が連動するのは普通だとか言っていたが、そんなふうではいつまで経っても俺の仕事は進まない。たとえ体が瀕死であろうとも指先と頭が動くなら働ける。昔からそうしてきたし、仕事をしない自分のままでは申し訳ない。

 そうだ、働かなければ。

 まだいくつか書類が残っていて——きもちわるい。体が重い。あつい……

 どうして俺の体はこうなのだろう。不良品では? これがタブレットかPCなら修理されれば治るのに、この体はいつまで経ってもできない。自己改造の得意なパターン使いに聞いて……みれば。

「聞くな。そんなことをしてはいけないよ。聞かれたひとがどれほど傷つくか考えなさい」

 だってこんなのどう考えても初期不りょう……で、返品……

「強情なクソガキめ。無駄というのがわからぬのか」

「……がーべら……」

「そうそう、余計なこと考えてないで素直になれ」

 熱で思考が融解する。

「がーべらが……」

「うん。ガーベラがどうした?」

「いない」

「いないな」

「がーべらがいないと……さびしい」

「……だそうだ」

「ユニ……」

「!」

 空色の髪、雪の肌。

 ガーベラ。ガーベラ。大好きなガーベラ。

 来てくれた。やっぱり来てくれる。

 嬉しい。

「うぐぅ……夫が可愛い……」

「がーべらの方がかわいい」

「!!」

 ジュネが退くと、駆け寄ってきて俺の手を取る。

 ひんやりとして心地よい。

「ごめんね、ユニ……ごめんね……!」

「なぜ謝る?」

「だって私……あなたにパターンを……」

「おまえになら殺されても嬉しいのに、俺を想ってしてくれたことだというのならもっと嬉しい」

 来てくれたことも嬉しい。

「やっぱりしゅきぃ……」

「ガーベラ。添い寝してやれ」

「し、していいの?」

「いい。そうでもしないとこいつ寝ないし。……ユニ、ベッドの面積広げろ」

 ++→|→42

 面積を横に二倍するとガーベラが来てくれる。むかし学んだ。ガーベラがそばにいると嬉しくて安心する。つまりねむたい……

「こんなにふにゃふにゃのユニ久しぶりに見る……」

「お前がいないといつもこんなふうだぞ?」

「ええ!? ……そ、そっかぁ……うへへ……」

「バカップルめ」

 大好きなガーベラと母のようなジュネがそばにいてくれて嬉しい。

 幸福に眠れそうだ。

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