ゾンビと冠付き 1
貴族とは、見栄と虚勢の生き物だ。
如何に自分を強く大きく見せるか、如何に価値を高く見せるか、そういう虚飾に日夜精を出すお貴族様達。
彼らが冒険者達に
もちろん一番の理由は、旧魔王領内の専門家である冒険者を使うことで、未だちっとも手の付けられていない旧魔王領の奪い合いを有利に進めるって魂胆なのは揺るぎない。
けれど、そんな主目的でさえ、今じゃある種形骸化しちゃってるってのが現実だ。そのくらい、このフィラム大陸の北半分は人間には不向き過ぎる。環境もそうだし、未だ根強く残る魔族の生き残りの存在も大きい。
土地の奪い合いに見通しが立たないどころか、そもそも冒険者以外は境を跨ぐことすら憚られる。そんな状況が長らく続く現在では、貴族の冒険者の使い方にも変化が生まれた。
冒険者を使って旧魔王領を切り開き、自領の益とする。そんな直球かつ遠い道のりなやり方を諦め、単に冒険者を貴族個人や家名の為だけに使うお貴族様が増えてきたんだ。
例えば貴重な鉱石を冒険者に取ってこさせたり、もしくは珍しい魔物を狩ってこさせたり……。そんな即物的で簡単な依頼が主流になってきてる。
冒険者と違って、大半のお貴族様の好奇心は結果さえあれば満たされる。過程の好奇心を重視する私たちとは違って、手に物さえ収まれば満足する安上がりなのか高くつくのかイマイチよく分からない高貴な心。
もちろん例外もいるけれど、やっぱりそんな例外は少数派で、今やお貴族様にとって旧魔王領はそんな無理して暴くべき場所ではない。
有り体に言ってしまうと、悪目立ちして周辺諸侯や王家との関係を悪くしたり魔族の残党やその他諸々の危険と等価するほど、旧魔王領を治めること自体には価値がないってこと。
そしてこの現状は、冒険者にとって非常にありがたい。なにせ、旧魔王領という未開の地を冒険者に一任してるってことだからね。
過程のロマンを求める私達にとって、王族貴族の思惑が拮抗してる現状は非常に望ましい。冒険者という職の地位の高さや実入りの良さは貴族からの需要によって決まるのだから、今が最も冒険者が儲かる時勢と言っていいだろう。
そしてそれは、私にとっても同じこと。冒険者がより夢のある職になることは大歓迎だ。私はお金や名誉への頓着はないけれど、他の人は違うもの。
お金を求め、名誉を求める。そんな人達がゾロゾロと冒険者ギルドに集まって来て、皆が冒険者になる。そうなれば必然、『灰兎の
フィルティというパーティ仲間を得た今、必死になって他の仲間を探す必要はないけども……ま、それとこれとは話が別。仲間なんて、何百人いたっていいものねっ。
酒を浴びるろくでなし共の放出する熱気の塊が可視化して見えそうな『灰兎亭』の店内で、私は目下最大の考え事に
それは私にとって、とても真剣な悩み事。どのくらい真剣かというと、いつも座っている私の指定席が滲み出た深緑色の体液で湿ってしまうくらいに、だ。
それは、腐った身体から腐敗液が滴り落ちるほど長く座していた証拠。ダリオルにバレたら小言と嫌みを言われる、私の思案の証明だ。
「あー……? おうゾンビ、なんだぁその湿気たキノコみてぇな面は。いつも以上に気の抜けた、酒を不味くする顔だな。ゲフッ!」
「……ぐぉっごいぐぇお」
うげぇ、噂をすれば……だ。呼んでもない影が私の特等席の隣にやって来てしまった。
千鳥足で寄って来たダリオルの手にはいつも通り樽ジョッキが握られてる。こんな真っ赤に弛緩した顔のダメ男に、顔についてのダメ出しなんかされたくないなぁ。
というか、不味くなるって言う割りには酒を呑む手が止まらないじゃないか。この嘘つきめ。
「んで……そんな腐って呆けた目で、何をじーっと見つめてるんだぁ?」
ダリオルはお酒の過剰摂取で霞んだ
「なんだぁ? こりゃあ………香水、か? こっちは化粧品。こんなゾンビにゃ欠片も似合わないもんとにらめっこして、なーに考えてやがる」
「ぐぉっおいぐぇ」
詮索したところで、私の繊細なゾンビの気持ちがダリオルみたいなガサツ一辺倒の酔っぱらいに汲み取れるはずがない。これが化粧品だと判ったことすら、私からしたら意外も意外だ。
そんなヤツに相談したところで、私の悩み事が解決するはずもない。ほっといてもらいたいね。
「──ゾンビよ。お前まさか、公女様との冒険に先駆け、化粧品だの香水だの香油だのをしこたま買い締めゾンビの汚点を覆い隠してやるぜーとか、無駄な足掻きをしてるんじゃないだろうな?」
「………ぐぅ」
どうやらわたしの思惑は、ガサツ一辺倒の酔っぱらいにすら読み解かれるほど分かりやすかったらしいな。
これには流石の私もグゥの音しか出ない。
「ガッハッハッ!! どうやら図星のようだな。相も変わらず、ゾンビの頭ん中は単純明快だ。涙ぐましいったらねぇーな!」
うるっさいなぁ! いくら涙ぐましかろうが、いくら無駄だろうが、やらない理由にはならないじゃんかっ。
折角私を受け入れてくれた相手に、容姿や臭いを理由に拒絶される。そんな今まで踏みまくってきた
「あー、笑えるな。別にあの世間ずれしたお嬢様は、お前の腐った容姿を嫌ってはなかっただろ? 二重の意味で無駄というか、杞憂だと思うぜ」
確かに、そうは言ってくれた。……くれたけどっ! その言葉に甘える訳にはいかないじゃない。せめて最大限、不快にさせない努力をしなくては。
その為に、わざわざ王都で一番大きなの商店にまで赴き、お金持ち御用達の高級品をこれでもかと買ってきたんだ。無論、お金に糸目なんざ付けるはずもない。使うアテのないお金が私の懐ではいっぱい腐ってるもんね。
「こいつで顔を真っ白に塗って、こいつで唇を真っ赤に彩るってか? はんっ、ゾンビらしくもない。そもそも、お前は化粧品の使い方なんざ知らんだろう」
そりゃ、勿論知らないさ。だって使ったことなんかないもの。でも、知らないなりにアリアやシルフら『灰兎の
外套で身体をスッポリ隠して高価な買い物をする様は、さぞや他の客から奇異に映ったことだろう。その恥に耐えて勝ち得た収穫物を無駄だとスッパリ切り捨てられるのは、流石に心外だ。
「というか、だ! まだ再会してもいない相手を思い浮かべて
「──ぐぁあ?」
「ゲフッ! まあオレ的には、そろそろリヴィア嬢も考えを改めたと思うんだがね。やっぱゾンビを仲間に据えるなんて一時の気の迷いで、もっと相応しい仲間がいるのでは──ってな。やっぱパーティ仲間ってのは、女と同じだ。価値観も実力も見た目の美醜も横並びじゃなきゃ続かねぇての。当たり前だろ?」
ぐっ……横並び、か。
数日前にベイルから言われた言葉が頭の隅を過る。
うう…未だに思い起こすと、鼓膜に感じる筈のない痛みが走るくらいには耳に痛い言葉だ。
もしもこの言葉が全くの的外れだったり、ダリオルだけの意見なら、気にするに値しない妄言と切り捨てることが出来ただろう。
でも、そうじゃない。ベイルはダリオルほど
オマケに未だフィルティから何の報も届いて来ないことが、この言葉の信憑性を増幅させる。
ぐうううぅ……いいやっ!! 例えダリオルやベイルが語る「当たり前」がどれほど理にかなっていたとしても、だ。私は私を選んでくれたフィルティの言葉を信じるもんね!
酔っぱらい悪魔の
「ガーハハハッ!! ま、お前が待ち焦がれてるお嬢様の真意がどうであろうとも、ゾンビの腐った容姿を繕うなんざ焼け石に水。
ゴツン!
酒気帯び悪魔の甘言を殴って止めようとした矢先、私のモノではない拳がダリオルの頭を叩いた。腐っていない拳による殴打だったから、結構良い音が『灰兎亭』に響く。
「がっ……痛ってぇなぁ。って、ヴェルデか。こんな真っ昼間に珍しい。……で、いきなり殴るなんざ、どういう了見だ?」
「………マスターの口が過ぎるから、
「かーっ! なんだそりゃ!? 普段は必要な時でも無口な癖に、変なところで紳士ぶりやがって」
エルフの『
確かに、ヴェルデってば変なとこで紳士だ。私を女性扱いして庇う人間なんて、ヴェルデ以外に一人もいないってのに。……いや、ヴェルデは人間ではなくエルフか。なら分からないでもない──なんてことはない。ヴェルデ以外のエルフだって、私を女性扱いしたりはしない。単純に、ヴェルデの性格故だな。
正直、この優しいに関しては、感謝よりも戸惑いの方が勝る。何というか……変わったエルフだ。
「ちっ、痛みで酔いが抜けちまった。……んで、いつもは閑散とした時間にしかやって来ない
「………ああ。勿論言わない。マスターではなく、ゾンビに用があるんだ」
「ぐぁあぎぃ?」
「……………」
ヴェルデは無言で、綺麗な箱を私に手渡す。カラフルなリボンを使ってお洒落に包装された薄い箱。見た感じ、まるで贈り物のような──
「こっ、これ…を、貰ってほしい」
「ぐぉえ? ぐぁあぎぃい?」
「………以前、冒険の最中でゾンビの服を燃やしてしまっただろう? ……あ、あれは不可抗力で…やむ無き事情故の事で…
いやいや……そんな言い訳めいた言葉を並べ立てなくても、ヴェルデの火矢に射られたことなんて何の非難にも値しないって。
変な方向にズレた真面目さだなぁ。というか、あの火矢で燃えたのは服だけじゃなく私自身もなんだけど、その辺は気にしてないのかな? ……いや、別にいいんだけどさ。
「……詫びて帳消しに出来ることじゃないが……だからと言って詫びない理由にはならない。……つ、償いになるとも思えないが、受け取ってほしい。エルフに代々伝わる伝統的な耐魔の礼装だ。………こ、これで、この間の事は忘れてもらえると……ありがたいのだけど──」
ビックリするくらいのらしからぬ饒舌さで捲し立てると、ヴェルデは何かに堪えかねたのか、目を泳がせながら俯いてしまった。
泳ぐ、というよりは、溺れてると表現したほうが適切かもしれない。
いや、だからぁ……。あの時の事は私とヴェルデが冒険者として正しく対応した結果であって、許すとか許さないとかじゃないんだってば。
というか、ここまで深刻に思われてたのが意外すぎる。
ヴェルデの過剰反応にアテられて、なんか私まで恥ずかしくなっちゃう。
「ぎぃあ、ぐぁがあ──」
「は、話はそれだけだ! これ以上は、恥に押し潰されそうだ。ぐ、ぐああぅううっ……」
ゾンビみたいな呻き声を残し、変わり種のエルフはよろめき頭を抱えながら『灰兎亭』を後にした。
まさか、本当にこれだけの用事の為にやって来たのか? だとしたら、変に律儀というか……ズレてるなぁ。卓越した弓の腕を持つヴェルデが『
「あー………良かったじゃねぇか。化粧品に香料だけじゃなく、エルフの礼装まで手に入れた訳だ。馬子にも衣装の言葉の通り、案外ゾンビもみてくれも多少はマシになるかもなぁ?」
箱を開けて見てみると、なんかものすごーく意匠に富んだ礼装と呼ぶに相応しい着物が入っていた。
いや、いやいやいや……こんなの着れないって。私が着たらすぐ体液が染みてダメになるし、そもそも燃えたボロ絹のような
「がえぐぅ……」
「返す、だって? んな勿体ないこと言うなっての。な、な、いっぺんだけでも着てみろって。ガッハッハッ!!」
このぉ……他人事だと思ってバカにしやがってぇ。こんな立派なのを着て『灰兎亭』を徘徊してたら、皆から後ろ指差されること請け合いじゃないか。
このバカマスターは、その様を肴に酒を呷るのがお目当てなんだろうけどさ。ダリオルに嗤われるほど癪なことはない。誰が着るもんか。ヴェルデには悪いけど、絶対返すからね!!
絡み酒の酔っぱらいとすったもんだの小競り合いを繰り広げていると、いつの間にやら傍に寄って来ていたアリアがこの醜態を観戦していた。
「ゾーンビさんっ。またマスターと喧嘩していたんですか?」
「ぐぁいあっ」
「マスターも、よく飽きないですよねぇ」
呆れながら笑っているアリアの手には、一枚の手紙が握られている。封の外側からでも、内から気品のような気配が漂ってくる手紙だ。
「ふふふっ! ゾンビさんも、マスターのちょっかいに構っている暇はありませんよ。これが何か分かりますか? ゾンビさんの待望の報せですよー」
「……ぐぁあ!?」
「待望の報せ」という言葉だけで、この手紙がなんなのか、誰から誰宛の手紙なのかが一瞬で理解出来た。なんたって、待望だったんだからね!
邪魔なダリオルを押し退けて、急いでアリアから手紙を受け取る。この手紙は、間違いなく私宛。送り主は聞くまでもない、フィルティだ。そしてそして……その中身には──
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