ゾンビとエルフ 2

 人間にとって最も一般的な亜人種といえば、間違いなくエルフだろう。『灰兎の窖』に所属している亜人の冒険者もその半数程はエルフだし、町で稀に見かける亜人もやっぱりエルフが多い。

 亜人種に詳しくない平民の中には、亜人とは即ちエルフのことだと勘違いしてる者すらいると聞く。


 透き通るような白い肌と整った鼻立ち、黄金色に輝く髪と美しい色合いを持つ碧眼。そして、掌くらいの大きさがある尖った耳。

 種族としての外見的特徴の多いエルフだが、人間と比べて十倍程の寿命や人間にはない魔力感知に長けた第六感など、容姿以外の差も沢山ある。


 外見内面どちらにおいてもそれなりに隔たりのある人間とエルフ。とはいえ、人間とゾンビ程の隔絶した差ではないのも事実。

 ゾンビではどう取り繕っても人間の振りを徹底するのは不可能だろう。精々が外套で身を隠して、香水や香草で臭いを誤魔化し、喋らないよう口を紡んでおいて、形だけソレっぽく見せるのが関の山だ。

 だが、エルフは違う。大きく尖った耳さえ隠してしまえば、人間の振りくらいは容易だ。髪や肌や眼の色はエルフだと断定する要素には足り得ないし、ゾンビみたく言葉が話せないなんて不都合もない。


 だから、素性を隠して人間だと偽ったまま暮らせてるエルフがいても、そのこと自体は不思議でもなんでもない。

 不思議なのは、何故そんなことをしてるのか。『灰兎の窖』には亜人の冒険者はいるけれど、亜人であることを隠してる者なんか一人もいない。もちろん、私も含めて。

 そも、亜人が冒険者をやってるなんて、何処のギルドでもそこそこありふれた話だ。なのに、何故?


 ……ん~。まぁ、考えたって分かんないか。まずは会って話してみないと、だね。




 街路を鳴らすにわか雨の音さえも響き渡る程、静まり返った『灰兎亭』の店内。

 いつもくだ巻く酔っぱらい達の騒音で渦巻くこの場所も、この早朝の時間帯だけは比較的穏やかな静寂で包まれている。

 残っている顔触れは、涎を垂れ流しながらテーブルに突っ伏し爆睡している阿呆面ばかり。もちろん、例外もいるけれど。


「いくらウチがギルドとしても酒場としてもそれなりに盛況とはいえなぁ、こんな朝っぱらに雨に濡れてやって来る変わり者、そうはいねぇぞ」


 そんな例外の一人、ギルドマスターのダリオルが呆れ混じりの声を向けてくる。

 肩肘ついてだらけた格好だが、珍しく顔が赤く染まっていない。普段のダリオルと比べて、声の抑揚が乏しく気だるげな様子。悪酔いも二日酔いも泥酔もしていない、すっかり覚めた素面の態度だ。


 ……珍しい、雨でも降るんじゃないかしら。いや、もう降ってるか。


「だから、そんな腐るほど扉を睨んだところで、テメェの望むもんがフラッと訪ねてくるなんて偶然起きゃしねえって」

「ぐぁがんぐぁいぐぁんが」

「ふん、まあ寝もしないゾンビにとっちゃ時間なんざ腐るほどあるもんな。あーあ、オレは眠くて仕方ないがなぁ。でも、アリアが寝てる時間は流石に仕事しなきゃならねぇから、しょうがなく酒も呑まずに起きてんだ。あー眠すぎて目が腐っちまう。やっぱ起きてる時ゃ呑んでないと、体調を崩しちまうな~」


 ダリオルに勤勉なアリアの代わりが勤まるとは欠片も思わないけれど、これでも普段の仕事ぶりよりかは遥かにマシだから始末が悪い。

 

 これ見よがしに腐る腐ると強調しているのも、きっと私をからかっているつもりなのだろう。私もそれに、舌を出して応えてやる。


 ダリオルは私の記憶の限りだと、最も古い付き合いの相手だ。たしか、ダリオルが私を『灰兎の窖』に誘った時が初めての出会いだっけ。最も古いと言ってもたった二、三年前のことだが、それ以前の記憶が全くない私にとっては間違いなく最初の出会いだ。

 その頃にはダリオルはもう冒険者をとっくに引退していて、今と同様『灰兎の窖』のギルドマスターの肩書きを盾に勝手気ままに過ごしていた。だから私は、この男の冒険者としての姿を知らない。思い浮かぶのは酒に溺れた姿ばかりだ。

 それでも、今なお衰えない大柄で筋肉質な身体はかつての栄光を彷彿とさせる。


 旧魔王領の未開の地を危険なんか省みず率先して切り開いた、『導き』のダリオル。今よりも冒険者が少なかった時代に第一線で活躍していた、元超一流の冒険者。

 これが誰もがよく知るダリオルという元冒険者の軌跡。ただまあ、この過去の威光にはダリオル自身からの伝聞も多分に含まれているから、いくらか盛られていても不思議はない。虚実混じりの話半分で受け止めるのが利口ってもんだ。


「ふぁああ~っ。それにしてもゾンビよぉ。お前、よくもまあ懲りもせずにお仲間勧誘を続けられるな。メンタルが無駄に頑強っつうか、意固地っつうか……。一人で問題なくこなせるんだから、ソロでいいやと妥協すりゃいいのに──」

「ぐぇっぐぁい、ぎぃあ!!!」

「ぐぇ、うるせっ! ち、くっそ…鼓膜がイカれたらどうすんだ。分かってるっての、ゾンビが仲間の存在そのものに執着してることぐらい。冗談だ冗談、そうムスッとすんな。ただでさえ腐った顔が、余計見映え悪くなるぞ?」


 そりゃ抗議の声も大きくなるさ。私にとってパーティを組んで仲間と共に絆を育むことは、冒険者として活躍することなんかより遥かに大切なことなんだから。

 何より、そのことはダリオルだって知ってるじゃないか。

 ……けっ、煽りやがってぇ。


 耳を塞いでいても口は減らない男に、より一層しかめた顔を見せ付けてやる。



 ダリオルの愚痴っぽい会話に耳を貸し、時折言葉を返す。それなりに長い付き合いだからか、ダリオルは私の腐った喉から発せられる声をある程度聞き取れる。こんなろくでなしが相手でも、人並みに会話を交わせるってのは嬉しいものだ。

 そうして時間を潰していると、不意に扉の軋む音が響く。音の先には、年季の入った黒い外套を身に纏う、「人」のような何か。私の言えた義理じゃないけど、悪い意味で目立つ。

 ふふ、この悪目立ち、今は助かるね。間違いない。こいつがシルフの言ってた──


「…………アリアは?」

「流石のアイツも、日長一日受付嬢をやっちゃいねぇよ。面倒くせぇが、今はオレが代理だ。で、用はなんだ? 依頼クエスト完了の報告か?」

「……そうだ」

「ちっ、相変わらず愛想のねぇヤロウだなあ! もうちっと話を繋ぐ気概がないもんかね。ヴェルデと比べたら、ゾンビと話してる方がまだ手応えがある」

「…………」


 ヴェルデと呼ばれた「人」は、ダリオルの不満に耳を貸さず、黙ってガラスの瓶をテーブルに置く。おそらく、中に入っている植物の採取依頼を受けていたのだろう。

 これを納品して、依頼クエストはお仕舞い。余計な口を開くつもりはない、って意図が透けて見える態度だ。たとえギルドマスターが相手でも媚びもすかしもしない、四角四面に角張った態度のヴェルデという冒険者。

 名前も人物像も、シルフの説明通り。なら、この「人」が…いや、このエルフが、シルフの言ってたパーティ未定の冒険者で間違いないな。


 決まって早朝に『灰兎亭』に訪れ、用件が済んだらすぐ消えていなくなる。シルフの教えてくれた情報の通りだ。朝っぱらから首を長くして待ってた甲斐があったね。


 さて、ヴェルデが消えていなくなる前に、こちらの用件を伝えないと。


「ふん、まあいいさ。いくら愛想がなかろうが仕事さえこなすのならギルドマスターとして不満はないしな。んじゃ、依頼のブツを──って、あん?」


 瓶をかざして、その中身を仰ぎ見たダリオルは眉を潜める。


「……なぁ、これさ、間違ってるぞ。依頼品はたしか、旧魔王領原産の宝輝草だろ? これ、似ちゃあいるがただの珍しく草じゃねえか」

「………え?」

「おいおい。クール気取りで仕事が出来ないなんて、ガッカリにも程があるっての」


 ダリオルの眼は正しい。あれは光にかざすと反射して輝くのが特徴だ。その光の美しさを求める貴族は多く、私も何度か採取依頼を受けたことがある。

 口が回るだけで仕事は出来ないダリオルだけど、この手の目利きに関しちゃまだ腐ってない。


「はぁ、『銀級シルバー』の冒険者がこんな初歩的なミスをするなんてな。こんなの、仲間と組んでれば絶対起きない失敗だぜ」

「うっ……」

「ヴェルデ、お前もそろそろ誰かしらとパーティを組めって。お前、腕は良いのにそそっかしいんだよ。フォローする仲間の存在がありゃ、もっと優秀な働きが出来んのになぁ」


 ダリオルのくせになんて真っ当な助言をするんだ。雨どころか、雹か槍でも降るんじゃないだろうか。

 それにこの助言は、私にとっても最高の橋渡しだ。私の為を思ってか、そうでないのかは知らないけど、ありがたい。ダリオルに感謝の念を抱くなんて久々だな。出会った時以来かも。


 ……よし、いくぞ。


「お前はエルフなんだから、同じエルフの連中となら同胞のよしみで組みやすいだろう? それ以外にも──」

「ぐぁい! ぐぁいぐぁいぐぁーい!!」

「──ほら、こいつみたいな腫れ物でいいのなら、ウチにも余ってる。能力だけなら、これほど信頼のおけるヤツもそうはいないぜ。こいつだって亜人だし、広義では似た者同士だろ。ガッハッハッ、これで妥協したらどうだ?」


 このぉ……腫れ物って言うなっ。

 外套から覗くヴェルの表情はあまり芳しくない。『灰兎の窖』のギルドメンバーなら、私のことは多少なりとも知っているはずだ。ゾンビって珍しい亜人で、オマケに『冠付き《クラウン》』の冒険者。その上誰よりも『灰兎亭』に顔を出している。自分で言うのも難だけど、こんな悪目立ちするヤツそうはいない。

 リーゼやクローディアみたいな新人なら兎も角、『銀級シルバー』の冒険者になら絶対に知られているという自信はある。


 その能力、特性の良し悪し。そして今、パーティを組んでくれる相手を求めていることだって。


 その上でこの渋い顔。やっぱりダメ、か?


「…………わかった」

「──ぐぁぇ?」

「パーティ、組んでみよう。構わないか?」


 ……あれ? 開口一番で断られるものだとばかり思ってたのに。


 前にシルフも言ってたけど、長いことソロを貫くような冒険者は気難しい気風の頑固者ばかりなのだ。それがこんなあっさり折れるとは、正直意外だな。すがり付いて懇願する心の準備までしてたのに、なんか肩透かしを食らった気分だ。

 いや、嬉しいんだけどさ。


「おうおう、そうだよな。いくらなんでもこんな腐った余り物は勘弁だよな──って、んん? あ、あー、断酒の禁断症状で幻聴が聞こえたかも。今、何て言った?」

「いや、ゾンビとパーティを組んでみる、と」


 ヴェルデの言葉に、ダリオルは目を丸くして大袈裟に驚く。……やっぱり、馬鹿にしてるな、私を。僅かにでも抱いた感謝の念が霧散する。

 それに、何が禁断症状だ。昨昼は平然と呑んでたじゃないか。半日やそこらで禁酒を気取るだなんて、こっちこそ驚きだ。


「──マジで? 今まで頑なに誰とも組もうとしなかったお前が、なんで今更こんなのと」

「……マスターが薦めたからだろう」

「いや、それはまぁ、冗談というか、お前が乗ってくるとは思わなかったというか……。ヴェルデ、こいつは本当に面倒臭いんだぞ。後悔したくないなら、手を引いた方がいいぞっ! 何より、オレはこいつと個人的に賭けをしてるんだよ。全勝をキープしたいから、な? だから止めとけっ──ぐぇぶっ!!」


 腕がもげんばかりの全力を持って、近くの椅子を思いっきりぶん投げてやった。いくら頑丈な身体でも、これが直撃すれば黙るだろう。ふんっ、ざまぁみろだ。


 仰向けで無様に転がったダリオルの醜態を横目で軽く一瞥し、ヴェルデというエルフをじっと眺める。


 私は、自分以外の冒険者との交流を積極的に行う方だ。相手の方から避けられたり逃げられたりすることはあっても、私から交流を拒絶したことは一度だってない。

 そんなギルド事情に聡い私ですら、このヴェルデについては殆んど知らない。思い返せば、黒い外套を着て店内をうろつく人影が、記憶の片隅には確かにいる。多分それがヴェルデだったのだろうけど、それ以上の情報がまるでない。


 私がこのエルフについて知っているまともな情報は、エルフであるというただ一点のみ。


 何故今までソロで冒険をしていたのか、何故私の誘いに顔をしかめながらも二つ返事で了承してくれたのか、分からない。何一つ知らない。

 余計な詮索は火事の元。疎まれるほど心の内を土足で覗き込みたいわけではない。ただ、仲間としての最低限の理解は持っておきたいな。

 この気持ちは、決して邪なものではないはずだ。


 黒い外套の隙間から覗く青い瞳の機微からは、やっぱり意図が読み取れない。……はてさて、どうしたものか。

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