19,裏の事情

「それではお二人とも、わたしの任務はここまでです。いずれまた機会があれば、その時に」

「はい。ありがとうございました、リーゼさん」

「わたしも感謝いたします」


 おれたちがそれぞれ礼を言うと、リーゼはにこりと笑みを浮かべた。優しげなお姉さんといった感じの笑みだ。


 ……色々あったけど、酒さえ飲まなければいいやつなんだよな。こいつが結婚出来ないのはどう考えてもあの酒癖の悪さだよなぁ。あれさえなければなあ……。


 まぁ、それはさておき……次こそは是非とも騎士としての本領を発揮してもらいたいものだ。

 その機会があれば、だが……。


「そうそう、一つ言い忘れていました」


 リーゼがなにか思い出したようにぽん、と手を叩いた。


「どうかしました?」

「いえ、大したことではないんですが……実はわたしの妹も今年、王立学校に入るんですよ」

「え? そうなんですか?」

「ええ。アンジェリカと言います。良かったら友達になってあげてください」

「分かりました。ぼくらで良かったら」


 と、おれは笑顔で頷いておいた。

 リーゼの妹か。きっとリーゼに似て可愛い女の子なんだろう。リーゼをそのまま小さくしたような感じかもしれないな。うん、絶対可愛いはずだ。


 ……とまぁ、おれはこの時点でそんな幻想を抱いていたのだが……その幻想がぶち殺されるのはそう遠くない話だったりする。


 リーゼは「ありがとうございます」と笑顔を浮かべ、テディに向き直った。


「……すいません、テディ様。帰る前に一つだけお話があるのですが」

「話?」

「はい、その――」


 と、リーゼはちらっとおれの方を見やった。

 それで何か察したのか、テディはすぐにこう言った。


「分かった。我が輩の部屋で聞こう。先に行っていてくれ。我が輩は二人を部屋に案内してから戻る」

「分かりました。では」


 リーゼは廊下の奥へと消えていった。

 その背中をおれはじっと見ていた。



 μβψ



「さぁ二人とも、長旅で疲れたであろう。それぞれ部屋を用意しておるから、まずはそこへ案内しよう」


 そう言ってテディは自らおれたちを案内してくれた。

 廊下を歩いている間、思わずきょろきょろと辺りを見回してしまった。


「……すごい大きな館ですね。というかテディ様って本当に大貴族だったんですね」

「何やら少し引っかかる言い方ではあるが……肩書きなどは所詮、ただの肩書きよ。それで人間としての価値全てが決まるわけではない。まぁもちろん、それに見合った責任というものは背負わねばならぬがな」


 テディは別に偉ぶるわけでもなく、当たり前のように淡々とそう言った。

 権威主義的な貴族は自分の家格が高ければ高いほど偉そうで傲慢なやつが多いが、やはりテディには一切そういうところがなかった。


「ここがシャノンの部屋だ。我が家にいる間は自室と思って使うがよい」

「……わーお」


 思わずそんな声が出た。

 ……え?

 なにここ?

 もしかして高級ホテルのスイートルーム?


 そう思うくらい部屋は広く、そして豪華だった。

 床にはふかふかのカーペットが敷いてあって、ベッドは大きくていかにも寝心地が良さそうだ。おれの部屋がウサギ小屋に見えるレベルの部屋だ。


「……いいんですか? こんな部屋使わせてもらって」

「うむ。遠慮無く使うといい。それぞれ自室にシャワーもついておるが、使いたかったら大浴場も使ってよいぞ。それと基本的に清掃は使用人の仕事だ。何かあればその者たちに言うといい」

「……」


 ……え?

 マジで?

 なにここ?

 もしかしてここが神世界の楽園か?


「我が輩の家族については、夕食時に改めて紹介しよう。まぁそれまではゆっくりするがよい。エリカの部屋は隣だ」


 テディは魔王を連れて隣の部屋へ向かった。

 おれは部屋に一人になった。



 μβψ



「……」


 荷物を置いて、すぐにドアに張り付いた。

 廊下からテディと魔王の声が聞こえた。

 隣の部屋のドアが閉まる音がすると、少し大股な足音が歩き去って行くのが分かった。


 おれはこっそりとドアを開けて、テディの後ろをつけた。

 ……さっきのリーゼの様子がどうしても気になったのだ。

 やがて、テディは自室とおぼしき部屋へと入っていった。


 ドアにぴたりと張り付いた。

 音で中の様子を窺ってから、ほんの少しだけドアを開いた。

 すると、中にいるリーゼの姿だけが見えた。角度的にテディの姿は見えなかったが、気配はちゃんとあった。


「テディ様、どうしてシャノンくんにティンバーレイクのことを話していなかったんですか? ハンブルク事件のことは話したんですよね? じゃあ、なぜ肝心の話だけ彼にしてなかったんですか?」


 ティンバーレイク。

 その言葉を聞いた時、おれは「やっぱり」と思った。

 あの後、リーゼは不自然にその話題を出してこなかった。さきほどテディに何か話したそうにしているのを見た時、恐らくこの話のことではないかと直感的にそう感じたのだ。


「大人の都合など子供には関係あるまい。そう思ったまでのことだ」


「もちろん、わたしはテディ様の誠意を疑っているわけではありません。ですが……ティンバーレイクはこれを明確な〝敵対行為〟と捉えるはずです。彼は決して無関係な他人じゃないんです。彼だってケネット家の人間である以上は当事者です。なのに、なぜ何も教えてあげないんですか?」


「あやつはただ王立学校に入り、将来の自分や家のため、勉学に励むためにここへ来たのだ。つまらぬ大人の諍いなどで気を紛らわせたくない」


「それはそうですが……しかし、ノアが何もせずに指を咥えて見ているでしょうか?」


「ハンブルクのことを掘り返されたら困るのは向こうだ。無視はできぬだろうが、事を荒立てたくないのはむしろノアの方であろう。馬鹿なことはすまい。だがまぁ、向こうが余計なちょっかいを出してくるのであれば、我が輩も容赦はせぬがな。シャノンたちのことは何があっても我が輩が守る」


 テディは強い口調で言い切り、そしてこう続けた。


「……シャノンが王立学校に入ることのできるチャンスは今年しかないのだ。あやつが10歳になるこのタイミングしか――な。多少のいざこざはもとより覚悟の上よ」


「それはもちろん我々もです。これ以上、ティンバーレイクの好きにはさせません。共に戦います」


「ああ、頼む。だが……我が輩はシャノンをこのつまらぬ政治闘争に付き合わせるつもりは毛頭ない。そのことはお主らも分かっておいてくれ」


「分かりました。ですが……一応念のためにお伺いしますが、それは陛下も同じ思いでいらっしゃるのでしょうか? もしかしてですが……今回の〝特例〟を認めたのは、陛下には別の思惑があるからなのでは……?」


「かもしれぬな。フレドリック様は聡明だが決して清廉というわけでもない。あわよくばティンバーレイクを――という思いはあるだろう。為政者である立場上、それも仕方あるまい。清濁併せ持つ、とはまさにあのお方のことだろう。だが……一人の人間として我が輩の意向を汲んでくださったのもまた事実だ。それだけでも我が輩にとっては望外である」


「……どちらにせよ、シャノンくんは大きな逆境に立たされるでしょうね」


「それからあやつを守ってやるのが我々大人の仕事だ。大人の都合で子供の未来が一方的に閉ざされるなど、決してあってはならぬのだからな」


「ええ、それは仰る通りです」


 それからも二人の会話はしばし続いたが、やがて終わる気配がした。


「では、失礼します。急に申し訳ありませんでした」

「気にするな。それと、改めて今回のことはご苦労だった。お主もしっかりと静養せよ」

「はっ、ありがとうございます」


 リーゼがドアに向かってくるのが見えたので、おれは慌ててその場から退避して廊下の角に身を隠した。

 少しだけ顔を出して、歩き去って行く彼女の背中を見送った。


「……」


 ……話の内容は正直よく分からなかったが、どうやらおれが思っている以上にとやらがあるようだ。


 ティンバーレイク家とマギル家の派閥争い。

 そして、ハンブルク事件にケネット家の降格。

 どうやらこれらは全て無関係ではなく……密接に関係しているようだ。


 ……ううむ。

 余計なこと聞いてしまったな。いっそ知らなかった方が気楽でよかったかもしれない。

 自分はどうすべきか。どうするのが正解なのか。

 どうすればでいられるか。


 考えるべきことが増えてしまった。

 ……さて、どう動くべきか。


 

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