11,面影
……と、思っていたのだが。
「リーゼ様に感謝を!!」
その乾杯の合図を皮切りに、大勢の人間が一斉にグラスを掲げた。
同時に「感謝を!!」という声が盛大にハモった。
「……どうしてこうなった」
おれの目の前にはまるでお祭りのようになった広場が広がっていた。
さっきまで静かだった夜の街が、今やそこかしこで明かりを灯しており、広場には大勢の人間が詰めかけていた。
「リーゼ様、この度はまことにありがとうございます。この街の代表者として改めて感謝を申し上げさせて頂きます」
さきほど乾杯の音頭を取っていた男が、改めてリーゼの前にやって来て片膝を突いた。
この歳のいった白髪の男は、この街の代表者という人物だ。
門番が憲兵隊の偉いさんに報告し、その偉いさんからこの人物へ報告が行き、するとあれよあれよという間にこんなことになってしまったのだ。
「そんなに畏まらないででください。わたしは別に大したことなどしていませんよ」
リーゼがそう言うと、男は大きく頭を振った。
「いいえ、わたくしどもは本当に心から感謝しておるのです。あの盗賊どものせいでほとほと困っておったのです。これはこの街だけでなく、他の街も同じことでしょう。これで街道を安全に移動することができます。本当にありがとうございます。大したものはございませんが、せめてものお礼をさせて頂きたいと思います」
「お礼などと……このわたしの力が、人の役に立ったのならそれほど嬉しいことはありません。だから、そんなに畏まらないで頭を上げてください」
リーゼは男に向かってスッと手を差し出した。
男は驚いたように顔を上げた。
「リーゼ様……?」
「こんなに豪勢な料理をたくさん用意して頂いてこちらこそありがとうございます。せっかくですから、みんなで一緒に楽しんで頂きましょう」
「リ、リーゼ様……ッ!!」
にこり、とリーゼは慈愛の笑みを浮かべた。
男の両目からぶわっと涙が溢れ出た。
リーゼは相手の手を取って立ち上がらせると、民衆が見ている前でしっかりと握手してみせた。
「お、おお……!! なんと素晴らしいお方だ!!」
「さすがは近衛騎士様だ!!」
「まるで女神のようなお方だ!!」
「リーゼ様ばんざーい!!」
「ばんざーい!!」
お祭り騒ぎの広場はリーゼを褒め称える言葉で溢れかえった。
……うーん、おれはいったい何を見せられているんだろう?
「ははは、とんだ茶番だな。もぐもぐ」
魔王が皿一杯に肉を盛ってもぐもぐしていた。
完全にこの場の空気に溶け込んでいる様子だった。
おれはちょっと苦笑いしてしまった。
「はは……まさかここまで大騒ぎになるとは思ってなかったよ。リーゼの手柄にしておいて良かったな」
「ふうむ、しかしあの程度の連中を捕まえてこれほどのことになるとはなぁ。ほどほどにするというのは思っていたより難しいものだな」
と、魔王はまるで他人事のように言った。
その様子を見る限りでは、自分がどれほどのことをしたのか、やはりこいつにはその自覚はあまりないようだった。
とにかく、こいつには早急に〝常識〟を身につけてもらう必要があるだろう。このまま学校に入ったらトラブルになる未来しか見えない。
……でも、結果を言えばおれはまたこいつに助けられちまったわけだ。
熊に襲われた時といい、こいつがいなかったおれはもう三回は死んでいると思う。
これじゃあ、まるで前世と同じだと思った。
前世、おれはブリュンヒルデに何度助けられたか分からない。あいつがいなかったら、おれはあの大戦を生き抜くことはできなかった。あいつにはずっと助けてもらいっぱなしだった。
けど、おれはあいつに少しでも恩を返すようなことをしただろうか?
一方的におれの方から姿を消して、死ぬまでそれっきりだった。
今にして思えば、本当に無責任なことをしたと思う。やり直せるならやり直したいし、謝れるなら謝りたい。
……でも、その機会はもう永遠に来ないんだよな。
「ほれ、お前も食え」
「え?」
魔王がおれの前に山盛りの肉を突き出してきた。
顔を上げると、魔王はニッと笑った。
「せっかく腹一杯食えるのだからな。食える時に食っておかんと、いざという時に戦えんぞ」
「……」
思わずじっと魔王の顔を眺めてしまった。
ん? と魔王が怪訝な顔をした。
「どうした?」
「あ、いや、別に何でもない……」
顔を逸らした。
魔王の顔を直視できなかった。
……いまの笑った顔が、驚くほどブリュンヒルデに似ていたのだ。
μβψ
翌日。
おれたちは街の人々に盛大に送り出されていた。
「盗賊の身柄はすぐ守備隊へ引き渡しますのでご安心ください」
「はい、お願いします」
「それでは旅のご安全をお祈りいたします。お気を付けくださいませ」
代表者の挨拶を受けて、おれたちは街を後にした。
「いやぁ、いいところでしたね。料理もお酒も美味しかったです」
と、リーゼは実に上機嫌だった。
……宴の席で酒を飲んだリーゼは、存在しない記憶に基づいて自分の武勇伝を熱く語っていた。
その様子とくれば完全にただの酔っ払いだったが、周りにも酔っ払いしかいなかったので宴は大いに盛り上がっていた。
……うん、まぁいいんだけどね。
リーゼの手柄であるという認知が広まるほどこっちには都合がいい。これからも何かあったら隠れ蓑になってもらおう。
「ところで、エルマーさん。この馬車だと王都までは後どれくらいかかるんですか? 駅馬車だとだいたい一週間くらいと聞いてますが」
おれが訊ねると、エルマーは考えるように唸った。
「そうですねえ……この調子でしたら十日ほどで王都へ到着できるとは思います」
「え? まだそんなにですか?」
「はい。王都は遠いですし、駅馬車に比べれば遅いですから。駅馬車は駅ごとに馬を取り替えていくので普通の馬車よりずっと速いんですよ。取り替えた馬はそこで休ませて、次に来た馬車とまた取り替えられます。それにお貴族様の馬車は馬も立派ですからね」
「なるほど……」
おれは頷きながら、ふと心配になったことがあった。
「……あのリーゼさん、あと十日も馬車って大丈夫ですか? また馬車酔いしません?」
リーゼの顔を覗った。
ちなみにおれが心配したのはリーゼの身ではない。己の身を心配しただけだ。ゲロを吐かれたらまた大変なことになるからだ。
「ふ……わたしはそんなにヤワな鍛え方はしていません。もう馬車の振動には慣れましたから、酔うことはありません。絶対に大丈夫です」
リーゼは余裕の笑みを見せた。
……まぁ、たぶん大丈夫じゃないだろうな。顔色が悪くなったらすぐに待避しよう。
そんなことを考えていると、肩に魔王がもたれかかってきた。
「ん? おい、どうした?」
「すう……すう……」
魔王は眠っていた。
……なんだ、寝てるだけか。
揺すって起こそうかと思ったが――なぜか手が止まった。
「……」(じー)
思わず寝顔を眺めてしまった。
中身が魔王なせいで忘れてしまいがちなのだが、こいつは超絶美少女だ。
何となくそれを認めるのは個人的に
……そう言えば、ブリュンヒルデのやつも大人しくしてたらこんな感じだったな。
普段が本当に暴れ馬みたいなやつだったから、寝ている時はまるで別人に見えたものだ。
肩にちょっとした重みを感じながら、おれはふとそんな昔のことを思い出していた。
何だか、とても懐かしい気持ちになった。
「……」
同時に、ぎゅっと胸が締め付けられるような気持ちにもなった。
……本当に今さらだけど、おれはどうしてあんなことしたんだろうな。
最後にあいつの姿を見た光景が脳裏をよぎった。
花嫁衣装を着ているあいつは別人のようだった。
おれはそれを、ごった返す群衆の中から遠巻きに眺めていた。
ブルーノとブリュンヒルデの結婚式はそれはもう盛大だった。
なんせ〝勇者〟の結婚式だ。
世界中がお祭り騒ぎになっているかのような様相だった。
おれはブルーノにもブリュンヒルデにも声をかけず、ひっそりとその場を後にして――そして、その後死ぬまで誰にも会わなかった。
ブルーノと一緒に歩くあいつはにとても綺麗だった。周りから派手に祝福されて、困ったように笑っていた。
だが、いま思えば時折誰かを探すように周囲をきょろきょろしていたような気がする。
……あれって、もしかしておれのことを探したんだろうか?
おれは群衆を突然かき分けて、ブリュンヒルデの手を取ってその場から走り出すことを妄想した。
もちろん妄想しただけだ。そんな勇気はなかった。
ならばせめて、一目でも姿を見せてあいつをお祝いすべきだっただろう。
それくらいはしてもよかった……いや、するべきだった。
でも、おれにはそれをすることもできなかった。
おれは何もしないまま、あいつの前から一方的に姿を消したのだ。
子供の頃からずっと一緒にいて、二人であの大戦を生き抜いて――誰よりも二人で一緒にいたのに。
今さら謝ることはできないが……それでもおれは、彼女に心から謝りたいと思った。
本当に今さら、強くそう思った。
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