36,魔王の記憶
わたしはいわゆる王家の人間だ。
父は〝
この世界では魔力量の多さで全てが決まる。
バシレウスは全ての人間の指導者だ。
代々、大きな〝力〟を継承してきた。
それがわたしの生まれた血筋だった。
この世界は人間だけのものではない。
我々人間は巨大な秩序の一部であり、この大きな秩序を決して乱してはならない――と、わたしは父上からよくそう言い聞かされたいた。
我らには〝古き盟約〟というものが存在した。
古き盟約にはこうあった。
人間は己の領域を出るべからず。
人間は他者の領域を侵すべからず。
これを犯した時、人間には神罰が下る――と。
……だが、我々人間はこの盟約を破った。
人口が増えすぎたのだ。
増えすぎた人口を支えるためにはどうしても領土を拡大するしかなかった。
父上はずっと悩んでいた。
そんな父上に、周囲の者たちは心ない言葉を浴びせた。
でも、それは確かにそうだ。
古き盟約を破れば神罰が下るなど、所詮はただの伝承でしかない。
かつて、我々人間はこの世界全てを支配していたことがあったらしい。
もはや
それから2000年。
人間はずっと盟約を守ってきた。
でも、それだけ
本当に神罰が下るなど、誰も思っていなかった。
父上は決断した。
臣民を守り、飢餓から大勢を救うには領土拡大以外に方法はなかったからだ。
だが、その決断は〝神〟を怒らせてしまった。
そう……
我々は抗ったが……なにせ相手は神だ。勝てるわけもなかった。
追い詰められた我々は、忘れ去られていた古代文明の遺跡に頼った。
もはや藁をも掴む思いだった。
滅びを待つしかなかった我々にできたのは、本当かどうかも分からない古代の知恵に頼ることだけだった。
しかし、奇跡的に〝門〟は開いた。
しかも向こう側には我々の住める世界が広がっていた。
だが、そこは我々にとっては未知の世界だった。
何があるのか分からない。
けれど、もうプラネスはじきに滅ぶ。
我々には、その新たな世界――〝新世界〟へ行くしか生き残る方法はなかったのだ。
けれど、全ての人間を避難させることは到底困難だった。
我々に残された時間はあまりにも少なかったのだ。
そこで我々は魔力量によって避難民を選定し、それを〝選民〟として新世界へ送り込むことにした。
……選民はわずか60万人弱だ。
それが限界だった。
運ぶのは人間だけじゃない。それだけの人間がしばらく生きていくために必要な物は膨大だった。家畜や作物も運び込む必要があるし、特にドラゴンは我々の生活に欠かせない相棒だ。連れて行かぬわけにはいかなかった。
だが……選ばれなかった人間はみな置き去りだ。
我々はあまりに多くの同胞を見捨てて――新世界へと逃げてきたのだ。
μβψ
だが、すぐに問題が起こった。
この世界にはすでに別の人間種が住んでいたのだ。
彼らは我々人間とよく似ていたが、驚いたことに魔法を使うことができなかった。
我々は彼らを〝亜人〟と呼んだ。
魔法が使えない彼らは、我々と比べたらあまりにもか弱い存在だった。
一部の戦士たちは、これなら亜人を支配下に置くことは簡単だろうと言った。
だが、父上は断固としてそれに反対した。
父上は亜人との戦争だけは絶対に反対していた。
亜人は確かに弱い。
だが、もし戦争になれば自分たちに勝ち目はないと断言していた。
あの頃は、多くの戦士たちは亜人の文明力を正確に把握していなかった。
ただ自分で見たものだけで、亜人の存在を評価していた。
それはもちろん楽観的で短絡的な視点だと言わざるを得なかったが、新世界に来たばかりの我々には亜人の文明力を正確に把握するだけの情報などなかった。
しかし、父上だけは違った。
父上だけは、誰よりも亜人の文明力を見抜いていた。
我らのは総数で六〇万人弱だ。選民は魔力量が突出して多い者ばかりを選んでいたから、小さな子供を除いて全ての人間を〝戦士〟とすることが可能だった。
我々の感覚でいう軍事力の基本単位は戦士団だが、一個戦士団はおよそ千人ほどだ。単純に計算しても500個戦士団は戦力として十分に捻出可能だったから、亜人と戦争をしても勝てると思う戦士は多かった。いくら数が多くとも、魔法が使えない亜人など敵ではないと誰もが考えていた。
何も亜人全てを皆殺しにする必要はない。
我々の力を見せつけ、どの国も逆らえないようにすればよかった。
既存の世界をそのままに、我々が支配者として新たに君臨するのだ。
強硬派たちはその構想を〝新世界秩序構想〟と呼んで、それを積極的に推進しようとしていた。
多くの戦士たちがその思想に賛同する中で、やはり父上だけは断固として反対していた。
父上の発言を弱腰だと非難する戦士たちは多かったが、その時の父上の気迫は凄まじく、誰も異を唱えることはできなかった。
「わたしは一度、大きな間違いを犯した。だからもう、二度と間違うわけにはいかんのだ」
父上は常々そう言っていた。
……あの人は、プラネスが滅んだ責任を全て自分の責任だと思っていた。
あれはみんなのことを考えた結果だったし、みんなが父上にそうするべきだと言ったのだ。
でも、結果的にプラネスは滅び、その結果を招いたのは父上の決断だったことは間違いない。
だから父上は、もう二度と間違えるまいと思っていたのだろう。
人生が二度あるのならともかく、たった一度の人生で、何も間違えずに生きていける人間などいるはずがない。
そう考えると人生はあまりにも難しい。
たった一度の人生の中で、全ての選択肢を間違えずに生きていかなければならないのだから。
父上の努力は実った。
彼らの言葉を覚え、交渉し、領地を得たのだ。
荒れ果てた土地だった。
何だか
ここが我々の第二の故郷になったのだ。
……そうなる、はずだったのだ。
μβψ
新世界に来てしばらく経ったが、わたしはずっと領地から出たことはなかった。
絶対出ちゃだめだと父上に言われていたからだ。
でもまぁ、出ちゃダメだと言われたら出て行きたくなるものだ。
あの日、わたしは隙を見て領地から外に出た。ドラゴンたちですらちゃんと言いつけを守っていたのに、わたしは言いつけを守らなかった。ドラゴン以下の脳みそである。
まだ空を飛ぶこともおぼつかなかった頃だった。
我々は魔法を使えば空を飛ぶことだってできた。空を飛ぶにはコツがいるけれど、覚えたら誰でもできるようなことだ。
ただ、この世界はプラネスと違って、少し飛びにくい世界ではあった。空間中に存在する魔力の密度が圧倒的に薄いのだ。だから大人たちもドラゴンも、前に比べればあまり高くは飛べなかった。
わたしはまだあの頃は飛ぶのが下手だったが、それはこの世界の環境も影響していたと思う。
ちょっと飛んでは降りてを繰り返し、ぴょんぴょん跳ねるように外の世界を探索した。
不思議な世界だった。
どの生き物も魔法を使わないのだ。わたしの知っている生物に似ているようなものはたくさんいたが、どれもやはり魔法は使わなかった。
見る物全てが新鮮だった。
おかげで探険に熱が入ってしまった。
その頃、わたしは父上からつねに言い聞かされていることがあった。
それは、絶対に無断で亜人と接触しないこと――だ。
亜人との接触は父上を含め、一部の人間にしか許されていなかった。その頃はまだお互いに未知の存在だったから、とにかく政治的にとてもデリケートな時だったのだ。些細な問題であっても、亜人との諍いを絶対に起こさないよう父上たちは細心の注意を払っていた。
だから、わたしも亜人には接触しないようにするつもりだった。
ちょっとだけ外の世界を堪能したら、それで帰るつもりだった。
……けれど、わたしはうっかりヘマをやらかしてしまった。
そろそろ戻ろうかと思ったとき、わたしは崖から落ちてしまった。魔力を使いすぎてちょっと疲れてきた頃だった。
それでまぁまぁの高さから落っこちたものだから、思いきり足の骨を折ってしまったのだ。そりゃもう盛大に。
まぁ我々にとって骨折というのは軽症の部類で、ツバつけときゃ数日で治るレベルの怪我ではあったが……でも、その時はすごく痛くてすぐには動けなかった。
見知らぬ土地で動けなくなって、わたしは途方にくれてしまった。
……そして、心細くてちょっと泣きかけそうになっていた時だ。
わたしの前に亜人が現れたのだ。
亜人を見たのはその時が初めてだった。
驚いた。
本当に我々とまったく同じ姿なのだ。相手が亜人だと分かったのは、魔力の気配から伝わってくる感覚だ。亜人の持つ気配は、我々とは全然違っていた。だから見た目は同じでも、仲間じゃないということはすぐに分かった。
見た目はほとんど同じくらいだった。亜人の子供だ。
男の子だった。
わたしはめちゃくちゃ驚いてとっさに逃げようとしたが、足が折れているのでそれは無理だった。
男の子がすぐに駆け寄ってきたが、わたしの血を見てびっくりしたような顔をしていた。
なんでこんなに驚いてるんだ? と最初は思ったが……すぐに思い出した。
そう言えば、亜人の血は赤いと聞いたことがあった。変な色だな? と思ったものだが、この世界ではわりと普通らしい。
怪我をしているわたしを見て、男の子は何やらあーだこーだと言い出した。
心配してくれているのだろう、というのは表情で分かった。
しかし、わたしは困った。
勝手に亜人と接触することは父上が禁じている。これがバレただけでもめちゃくちゃ怒られるはずだ。
だから、わたしは自分は大丈夫だと言い張った。本当は全然大丈夫じゃなかったけど、まぁ数日ここでうずくまって大人しくしてれば動けるようになるはずだと考えたのだ。
こっそり抜け出して遊びに出たことは素直に怒られよう。父上もすごく怒るくらいで許してくれるはずだ。
だが、亜人と接触したことがバレたらどうなるか分からなかった。それくらい、父上は本当に気を使っていたのだ。たぶん、めちゃくちゃ怒られる。それがとにかく恐ろしかった。
なので、わたしは言葉の通じない相手に身振り手振りで必死に訴え、自分は大丈夫だと伝えた。
そりゃもう必死に伝えた。
わたしのことは放っておいてくれ、と。
手助けなど無用だ、と。
とにかく助けなどいらんから、お前はさっさと帰れ、と。
……だが、相手は驚くほど強情だった。
わたしがどれだけ助けを拒んでも、一向に姿を消す気配がなかった。
とにかく、何やら必死なのだ。
見た目は気弱そうに見えたから、強く言えばすぐにどこかへ行くだろうと思ったが……まったくそんなことはなかった。
怪我をしているのはわたしなのに、そいつはなぜか自分が泣きそうな顔でわたしの心配をするのだ。
……で、結局わたしの方が根負けした。
最終的にわたしはそいつにおんぶされる羽目になってしまった。
連れて行かれたのは森の中にあるボロ小屋だった。
もちろん最初は警戒した。
一見、こちらを心配するような素振りを見せてはいるが……それが本心とは限らない。なんせ相手は亜人だ。何かあっても対処できるよう、心構えだけは怠らなかった。
そいつは一度どこかへ行ったが、すぐに戻ってきた。
驚いたことに傷の治療をするための包帯や食い物を持ってきたのだ。
そいつは慣れない手つきでわたしの怪我を治療してくれた。
その後、まるで当然のように食い物を提供された。
どうやら食っていいらしい。
……どういうつもりだ?
わたしは警戒した。
なぜこいつはこんなに色々わたしに親切なんだ……?
いや、これは〝親切〟なのか?
なにか油断させるための罠なのでは……?
色々と考えた。
が、腹ぺこだったので食うだけ食った。
わたしが満足していると、そいつは紙とペンで何やら文字を書いてわたしに見せた。この世界の文字だ。もちろん読めん。
首を捻っていると、
「う゛ぁーじぇる」
そう言って、男の子が自分を指差した。
少しして、名前を言っているんだと分かった。わたしには相手の発音が「ヴァージェル」にしか聞こえなかった。
なるほど。自己紹介か。
名乗られたのなら、名乗り返すのが礼儀をというものだ。
なのでわたしも自分の名前を紙に書いた。
もちろん相手に読めるわけもないので、声に出して読んだ。
「みおそてぃす」
わたしの名前は〝ミオソティス〟だ。
けれど何度言っても相手には伝わらなかったので、仕方ないから愛称である〝ミオ〟を教えた。それならすぐに聞き取れたようだ。
「みお」
と、そいつはわたしの名を呼んだ。
そうそう、というふうにわたしが頷くと、男の子は――ヴァージェルはとても嬉しそうな顔で笑った。
その時の顔は、いまでもよく覚えている。
本当に、忘れられないくらいにはっきりと――
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