2,大賢者、勉強する

 食後、幸せ家族ムーブを満喫したおれはルンルン気分で自室に戻った。


「……さて」


 自室に戻ると、おれは〝シャノン〟としての顔を取っ払った。

 確かに今のおれはシャノン・ケネットだ。

 だが、おれには前世の記憶がはっきり残っている。

 おれは今でもヴァージル・パーシーだし、そして大賢者でもあるのだ。


 ……前世は本当につまらない死に方をした。

 大戦時、おれは大賢者として後世に名前が残るレベルのことはたくさん成し遂げたと思う。

 だが、大戦終結後から晩年の間、おれはずっと山奥に引きこもっていた。

 んでもって、最後は誰もいない真っ暗なところで血を吐いて死んだ。しかも泣きながら。


「……もうあんな人生はこりごりだ」


 思わず身が震えた。

 今となっては遠い昔の、それこそ夢の中の出来事だったかのようだが……あれは現実にあったことで、おれの前世だったのだ。

 

 ……もう二度と間違えてなるものか。

 おれは今世ではそう堅く誓っていた。

 そう、おれは前世での反省を生かし、今世ではしっかりちゃんと人生を全うするのだ。


 そもそも、前世のおれは死ぬまで童貞だった。

 そう、死ぬまで童貞だったのだ。

 大事なことなので二回言った。


 ……大賢者が童貞だったなどと、あまりにも恥ずかしくて人には言えない。

 だから、だからこそ……!!

 おれは今世で心に決めたことがある……!!


 それは――可愛い彼女を作って、イチャコラするという壮大な目標だ!!!


 ああ、我ながらあまりにも無謀な野望を抱いてしまったものだと思う。

 前世では恋人がいたこともない。

 ずっと好きな相手はいたが、結局思いを伝えることはなかった。


 だがしかし!!!!

 今世でおれは童貞の汚名を返上するつもりである!!!!

 幸運なことに生まれ変わったおれはそれなりに容姿がいい。前世はナメクジだったが、今世では中々の美少年だ。

 まぁ中身はナメクジなのだが、とりあえず見てくれがいいのでヨシ!!!!


「さて、野望のためにはちゃんと現代に関する知識も頭に入れておかないとな」


 おれは机に向かって本とノートを開いた。

 親から見れば、おれはさぞ勉強熱心で真面目な子供に見えることだろう。

 しかし、これはおれにとっては勉強ではなく〝情報収集〟なのだ。

 特に歴史については出来うる限り本を読み、それを自分なりに分かりやすくノートにまとめている。


 その上で、現代がどういう時代で、どういう世界情勢なのかもしっかりと把握するように努めている。

 おれがいる国は何と言う国で、近隣諸国はどういう国で、政治的な情勢はどういう状況なのか。


 戦争はしているのか、していないのか。

 魔族は現代でも存在しているのか。まだ人間と魔族は争っているのか。


 前世の記憶を思い出してからというもの、疑問はいくらでも湧いて出てきた。

 というのも、それらの情報は今の自分の立場に大きく影響を及ぼすからだ。


 実はおれが知らないだけでこの国は近隣諸国と戦争していて、今にも敵国の軍が攻め込もうとしているのでは――


 あるいは未だに魔族と人間の争いは続いていて、魔族が軍勢になって襲いかかってくるのでは――


 おれはあらゆる事態を怖れた。

 なぜなら、それらは全ておれの壮大なる野望に関係してくるからだ。また戦争に巻き込まれでもして、そのせいで彼女を作ってイチャコラできなかったら死んでも死にきれない。今度は血を吐きながら泣いてくたばるのではなく、歯茎から血が出るほど悔しがって死ぬ羽目になるかもしれない。そんなのはイヤだ。


 それらの不安や疑問を解消するには、とにかく可能な限り情報収集するしかなかった。


「……つっても、この家にある本だけじゃ限界があるからな」


 うちにはそう多くの本はない。あるにはあるが、おれが満足できるほどの蔵書ではない。

 それでも現状知り得る限りでは、いまのこの時代はおれが前世で生きていた時代からおよそ200年ほどが経過していると考えられる。


 前世での暦は白銀歴で、大戦が終結したのは白銀歴1918年の秋頃だ。

 で、おれが死んだのがだいたい白銀歴1948年頃である。


 では、今のこの時代はと言うと――実は暦が変わっている。

 現在は〝神聖歴〟という暦だ。

 神聖歴194年。

 これが今のおれが生きている〝現代〟だ。


 ……正直、いつ暦が変わったのかはよく分からない。

 おれは大戦終結から死ぬまでの30年間、ほとんど外界と接触しなかった。だから外界の情勢などまったく知らない。おれが生きている間に実は改暦があったのかもしれないが、その辺は不明だ。


 では社会が大きく変わったのかと言えば、どうやらそうでもない。

 現代もかつての時代と同じように貴族制社会のままだ。

 人魔大戦が始まるまで、人間社会は貴族全盛期だった。

 貴族は魔術を独占していたからだ。


 魔術。


 それは人間にとって文明を支える技術体系であり、産業の基盤そのものと言える学問だった。

 おれたち人間が生きているこの星――惑星〝グランゾン〟は自然界にエネルギー源となる資源がほぼ存在しなかった。


 その結果、人間は〝魔力〟と呼ばれるエネルギー源を利用することで文明を発達させた。

 魔力というのは〝生物が潜在的に保有しているエネルギー〟のことで、人間はもちろん、アメンボやオケラにだって魔力はある。みんなみんな生きているから魔力が存在するのである。


 魔力を発見し、それをエネルギー源として利用する技術として魔術は生まれ、そして発展した。

 だが、魔力の保有量には生まれつき差があった。

 魔術の発展は、魔力を多く保有する人間たちを特権階級へと変えていった。


 それが貴族だ。

 貴族はやがて魔術を独占し始め、それによって平民を支配するようになった。

 これが貴族制の成り立ちだ。

 おれが生きていた時代、各国は戦争に明け暮れていた。魔術兵器は進化し続け、その度に戦争の規模も大きくなっていった。


 そんな中、ある日突然〝魔族〟と呼ばれる他人類が別の世界からやってきた。

 彼らは〝門〟を通って〝魔界〟から来た、おれたちとは別の進化を辿った人類だった。

 魔族はほぼ人間と大差のない見た目だ。違うのは血の色が青いことと――〝魔法〟が使えることだった。


 魔法とは、言わば魔術が数学的にやっている現象操作を個人の主観上で行うというものだ。

 魔族は生まれつき四元素を知覚する未知の感覚器を保有しており、技術的な補佐なしで現象を意図的に操作することが可能だった。ようはおれたちが魔術道具でやっていることを、やつらは魔術道具無しで実現することができたのだ。


 魔族はこの世界に来ると、すぐに侵略を開始した。

 魔族は単体戦闘能力が人間の比ではない。生まれつき強靱な肉体を持ち、魔法を使うことのできる魔族は、おれたち人間にとって本当に大きな脅威だった。


 人類を勝利へと導いたのは、間違いなく魔術という叡智のおかげだ。魔術がなければ文明は発達していなかったし、魔族に勝利することもできなかっただろう。


 では、現代では魔族はどうなっているのか。

 調べた限りでは、どうやら魔族は現代でもこの世界には存在しているようだ。


 だが、魔族はかつてのように巨大な軍勢ではなく、残党というかわずかな生き残りたちが人間社会に隠れ潜むようにして生きているという感じらしい。魔族の寿命は人間よりは圧倒的に長いから、未だに存在している個体がいても確かにおかしくはない。

 悪いことをすると魔族が食べにやってくるぞ、というのは子供に対する定番の脅し文句みたいなものだ。おれも親に言われたことがある。


 そういう意味では魔族の脅威は現代でも存在はしているようだが、少なくともかつてのような絶滅戦争は現在では行われてはいないようである。それについては非常に安堵を覚えた。


 〝現代〟における歴史を見てみると、神聖歴とやらが始まったのは〝聖戦〟のすぐ後のことらしい。

 この聖戦というのは恐らく人魔大戦のことだろう。どうやら現代では聖戦という呼称になっているようで、どの本を見てもそれ以外の表記はなかった。


 過去に魔族との大きな戦争があった、ということは間違いなく歴史にも記されている。だからこの世界は、やはりなんだと思う。まったく違う世界に生まれ変わった、ということではないはずだ。


 つまり、ということはだ。

 このおれ、ヴァージル・パーシーの名は後世に偉大なる大賢者として語り継がれているはずだ。

 なにせおれはそれだけのことはやった。

 おれの発明品は戦争を有利にし、人類を勝利に導いた。

 〝対魔王最終決戦兵器〟を使い、勇者と一緒に魔王だった倒した。

 銃後の世界を大きく変えていくような発明品やアイデアもたくさん遺した。

 

 これで後世に名前が残ってないわけがないのである。


「そう、残っていないわけがないんだが……」


 おれはあらゆる本を隈なく探した。

 めちゃくちゃ探した。

 だがしかし!!!!

 まったくどこにも残ってないんだな、これが!!!!


「なんでおれの名前がどこにも載ってないんだ……?」


 一生懸命、色んな文献を探してみたが……どこにもパーシーのパの字もなかった。

 WHY?

 いやさ、普通残ってるよね????

 あれだけのことしたんだよ????

 残ってないとおかしいよね????


 いや、〝大賢者〟のことはどの文献にも載っているのだ。

 そこにはおれが成し遂げた色んなことが記されている。

 そう、現代に〝大賢者〟のことは語り継がれているのである。


 けれど、それはヴァージル・パーシーじゃない。

 全て〝ブルーノ・アシュクロフト〟の名前に置き換わっているのだ。


 ブルーノ・アシュクロフト。


 知っている名前だ。

 こいつはかつておれの親友だった男で――おれがずっと好きだった幼なじみ、〝勇者〟ブリュンヒルデをめとった男だ。

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