大賢者と魔王ー転生したら前世で倒した魔王が許嫁になったー
妻尾典征
EP1,大賢者、許嫁ができる
プロローグ
前世の記憶ー世界を救った男の最期ー
これはいつかの未来。
あるいは、どこかの過去の話だ。
かつて、魔族と人間による大きな戦争があった。
それが人魔大戦だ。
おれが子供の頃に始まり、おれがもうすぐ三十歳になろうという時期にようやく終結した。
だから、だいたい二十年くらいだろうか。
十歳になる前に街を焼け出されてから、おれは二十年もの間、魔族たちと殺し合い、戦場を這いずり回っていたわけだ。
これは本当に大きな戦争だった。
それまで貴族たちが政治的に繰り広げていた陣取りゲームとはワケが違う。
人間と魔族が、双方の生存権をかけて戦った本当の意味での戦争――絶滅戦争だった。
人間同士の戦争のように落とし所、なんていうものはない。
負ければそこで終わり。
生き残るためには勝つしかないし、勝って得られるモノは生きる権利だけ。
あれはそういう戦争だった。
人魔大戦において、おれは〝大賢者〟と呼ばれていた。
おれは色んな意味でクソザコだったが、魔術に関してだけは天才で、それだけが唯一の取り柄だった。
その上で、色んな幸運があった。
知識と生き意地の汚さの積み重ねの果てに、おれは周囲から大賢者と呼ばれるようになり、人類の勝利に大きな貢献をした。
……そう、おれは間違いなく世界を救った。
では、その男は最期にどうなっただろう?
人類を救った英雄として、誇らしい最期を迎えたのだろうか?
……残念ながら、そんなことはない。
おれは誰もいない森の奥にある館で、ひっそりと息絶えて死んだ。
口から血を吐き、己の人生の全てに後悔しながら、その生涯を終えたのだ。
μβψ
おれにはずっと好きな人がいた。
幼なじみで、親友で、戦友で――とても一言では言い表せない相手だ。
二十年ずっと一緒だった。
そいつのことを、周囲は〝勇者〟と呼んでいた。
人類史上最強とまで言われた騎士――それがブリュンヒルデだった。
魔術道具というのは使用者の魔力を使う。
それはもちろん魔術兵器も同じで、魔術の多い者ほど騎士や兵士としての適正は高かった。
単に銃を持って泥の中を駆けずり回る歩兵とは違って、騎士というのは魔術鎧を身に纏い、
騎士になるには、やはりある程度の魔力が必要だ。だから魔力のない人間は騎士にはなれない。
そういう意味で言えば、あいつは人類の中で桁外れの魔力を持った正真正銘の化け物だった。
あいつはいつも先陣をきって魔王軍に突撃し、後に続く友軍たちを導いた。
――彼女がいれば、この戦いは勝てるかもしれない。
恐らく、みなが同じ思いを共有したと思う。
だからあいつは〝勇者〟なんて呼ばれるようになっていたんだろう。
それはもちろん、今もおれの目に焼き付いている。
勇者としての姿だけじゃない。
おれはブリュンヒルデの――彼女の全てを知っている。
その全てが、おれの目と心には焼き付いているのだ。
……だが、もうこの三十年、おれは一度もブリュンヒルデには会っていなかった。
「……結局、完成しなかったな」
おれは静かに佇む〝彼女〟の姿をじっと眺めていた。
いま、おれの目の前にあるブリュンヒルデの姿は、おれが魔術で生み出した自動人形――ようするに造り物だった。
生涯をかけて、おれはかつて自分が愛した人を魔術で人工的に造り出そうとした。
……でも、結局うまくいかなかった。
ただ動くだけの自動人形なら、いくらでも造り出すことができた。
でも、本当の意味で〝彼女〟と呼べるような自動人形は、結局どうしても造り出すことができなかった。
「がは――ッ!」
胸が苦しくなって咳き込んだ。
皺だらけになった手には、大量の血がついていた。
……ああ、こりゃもう死ぬな。
口から血が出るようになったのは一ヶ月くらい前からだ。その前から何となく身体の不調は感じていたが……放置してたらこんなことになった。
普通なら治療するだろう。
でも、おれはそうしなかった。
……治療して何の意味がある?
おれは衰えた身体を引きずって、工房から書斎へ血を垂らしながら移動した。
ここは森の奥にある隠れ家だ。
三十年ほど前から、おれはずっと一人でここに住んでいた。
俗世とはほとんど関わらない生活を送ってきた。
ふと、暗い窓に自分自身の姿が映り込んだ。
そこには六十歳という年齢のわりに、やけに老け込んだジジイの姿があった。
思わず笑ってしまった。
かつて世界を救った大賢者様とは思えない姿だ。
何とか書斎にたどり着いて、いつも座っている椅子に座った。
ぎし、と椅子が軋む音がした。
それ以外、何も音はなかった。ただただしん――としている。
ああ……と、おれは目を瞑った。
すると、まるで昔のことが突如として鮮明に、めくるめくように浮かんでは消えていった。
目の前で全てが燃え、家族が死んだ日のこと。
魔王討伐軍の兵士になって戦場を駆けずり回っていた日々のこと。
兵士から騎士になった時のこと。
あいつの隣にいたいがために、がむしゃらに努力したこと。
そして、いつからか大賢者と呼ばれるようになった後のこと。
勇者と呼ばれるようになっていたあいつと二人で魔王城に乗り込み、魔王を倒した日のこと。
全部、一瞬だった。
あれだけ長い時間が、いまのおれの意識上では本当にあっという間に終わってしまった。戦場の泥の味も、魔族の血の味も、永劫に続くと思っていた戦争も、何もかもただの夢か何かだったかのようだ。
どの記憶にも、おれの隣にブリュンヒルデの姿があった。
戦争が終わったら、彼女に告白しよう。
ずっとそれだけを考えて、おれはあの戦争を生き延びた。
……だが、戦争が終わったら彼女は結婚してしまった。
相手は、おれの親友だった男だ。
おれは二人を祝福した。
お似合いの二人だ。
そう心にもないことを言った。
今でもおれは考えるのだ。
もしあの時。
おれが問答無用で手を握って走り出していたら、ブリュンヒルデはおれについてきてくれただろうか?
同じ妄想を何度もした。
その度に、おれは「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせてきた。
そして、おれは逃げた。
誰にも会わないで済むよう、ここで隠れるように生きた。
その全てを、おれはいま心から後悔していた。
「ぐ、くう――ッ!」
胸に刺すような痛みが走った。
もんどりうって床に倒れ込んだ。
咳をするたびに血が出た。
発作が収まって、おれはようやく気がついた。
目からぼろぼろと涙が出ていたのだ。
「は、はは……なんだこりゃ。なんで泣いてんだよ……」
思わず笑ってしまった。
いい歳こいたジジイがぼろくそに泣いてるなんて笑える光景だ。
ガキかよ、くそ。
「結局、死ぬまで童貞だったな……」
床の上で手足を投げ出したまま、真っ暗な天井を見上げた。
……あれ?
なんかおかしいな……そう思って気がついた。
ああ、もう目が見えてないんだ。
自分の呼吸すらとても遠く聞こえる。
どうやら、とうとう、本当に死ぬようだ。
はは、何だよ。
どうってことねえじゃん。
もっと苦しいもんかと思ってたわ。
ああ、でも寒いな。
本当に寒い。
死ぬほど寒い。
ああ、寒い――
死の間際。
おれはこうじゃなかったかもしれない人生のことを考えた。
あそこでああしていれば、こうしていれば。
考えるとキリがなかった。
もし。
もし仮に、次があったら。
次は絶対に、間違えないようにしよう。
なんて、考えても無意味なことばかり考えた。
次なんて、あるわけがないのに。
――そう言えば、〝あいつ〟はどうして死ぬ間際にあんなこと言ったんだろうな。
こんな時だというのに、おれはかつてのことをなぜか思い出した。
それは魔王にトドメを刺した時のことだ。
魔王はおれにこう言った。
――感謝する。
あれはどういう意味だったんだろう……?
どうして今、あの言葉を思い出したのかは自分でもよく分からなかったけど。
おれは死ぬことに感謝などできそうになかった。
暗く底のない、
ああ、イヤだ。
死にたくない。
死にたくないよ。
誰か手を握っていてくれ。
独りで死ぬのは、イヤだ――
最期の最期まで、おれは本当に――自分でも情けないほど惨めだった。
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