第77話 全ロス

 ぼくは女児を泣かしそうになっていた。これはなんとも非常にマズい状況である。男子中学生、女児を泣かし公園から逃走。


 おお、考えただけでもおそろしい。


 犯罪の匂いがプンプンするじゃないか。明日の一面に載るのは御免こうむりたい。まったく、困ったものだよ。いったいぼくがなにをしたと言うのか。この女児はまるで、歩く爆弾そのものだった。


 ふう、とため息をつく。


 コンビニで貰ったレジ袋を右手に持ち、空中をひらひらと動かし視線を誘導する。ぐずりながらも女児はレジ袋を見ていた。


 よし、いけそうだ。


 その隙をついて、左手でお菓子の箱を隠し持った。レジ袋が空であることを存分にみせつけておいてから身体に引きよせる。


 と同時に左手に持ったお菓子をレジ袋の裏に隠す。中には入ってない。そして女児の正面になるようにベンチの上へ置いた。


 コン。


 ベンチとお菓子の箱が当たる音がする。女児は、「おっ」という顔をした。ぼくはにやりと笑い、得意気な顔でレジ袋をずり下げていく。あたかも空の袋からお菓子が出てきたかのように振る舞ってみせる。


 ジャン、と決めポーズは忘れない。


「すごーい。まほーだ。まほー」


 パチパチと一生懸命に拍手をする女児。どうやら泣き止んでくれたみたいだった。注目をあびるから、拍手はやめなさいな。


 子どもだましのマジックではあるけど、子どもをだますには有効なようだ。いつかだましてやろうと、日頃からマジックの練習をしていた甲斐があったというものだ。


「シー。ほら、ちょっとあげるから。おとなしくあっちに行ってね」


 箱のお菓子は小分けにされていたので、ひとつ分けてあげる。


「ありがとー」


 満面の笑みで去っていく女児。いやあ、泣かれなくてよかった。ほっとひと息。


 しかし女児は仲間をつれてぼくの前へと再びあらわれた。増えている。まったく、一宿一飯の恩義を何だと思っているのか。


「おれもほしい」


「ぼくも」


「わたしも」


 女児の仲間は勝手気ままに思いの丈をさらす。まあ……、仲間はずれはよくない。しかたなくお菓子の箱を差しだしたなら、小さな手は次々にのびてくる。


「ありがとー」

 と言い残して子どもたちは去っていく。


 だれもこの場には残らなかった。


 現金な奴らめ。軽くなってしまった箱をかるく振ると、コロンと音がした。あら、よかった。どうにかひとつだけは残っていたようだ。そうか、あいつらにも良心は残っていたんだなと要らぬ感動をおぼえた。


「あ、やっぱり守屋くんだ」


 声の主はトコトコとぼくの前に現れた。鬼柳美保だった。目の前までやってきて、髪をスッと整えながら彼女は尋ねる。


「何してるの?」


「子どもたちにね、お菓子を奪われていたところだよ」


「お菓子?」


 ぼくの手にあった、お菓子のパッケージを見て鬼柳ちゃんは笑顔で言う。


「新商品ね。わたしも、もらっていい?」


「……持ってけドロボー」


 ああ、無念。ちびっこ達にお菓子を奪われてしまった。全ロスだよ。


 鬼柳ちゃんもちょこんとベンチへ座り、最後に残されたお菓子を味わいはじめた。ポリポリと食べながら公園を眺めている。


「守屋くんは、子ども好きなの?」


「きらいだね。お菓子を奪っていくから」


 仏頂面で答えると、あははと乾いた笑いが聞こえた。


「わたしは好き。たまにね、ボランティアで保育園にも行くの」


 鬼柳ちゃんの姿を捉える。へえ、子供が子どもの世話をねえと思わなくもない。


「何か失礼なこと考えてない?」


 おっと。視線に勘付かれた。


 でもまあ、弟の一也くんへの接し方は優しいし、なにかにつけても面倒見が良い。その上で子どもが好きだと言うのなら、その姿はお似合いなものかもしれない。


「時に鬼柳ちゃん。なんで制服?」


 今はまだ春休みのはず。


「学校にね。行ってきたの」


「何用で?」


 返事がない。ポリポリとお菓子を食べ続けてごまかしている。ぼくは空になった空き箱をじっと眺めて、そのあとで鬼柳ちゃんの顔をじっと見つめる。無言の圧力だ。


 どうやら折れたらしい。


「分かったわよ」


 きろりと睨まれる。


「……笑わない?」


「ぼくがいままで笑ったことがあるかい」


 ツンと小突かれた。覚えはないけども、どうやら笑ったことならあったらしい。


「今ね。わたし絵本を書いてるの」

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