探偵と黒幕
第54話 白い息
はあ、と息を吐いた。
白く染まった息がモクモクと広がっていく。思っていたよりも広がりをみせる息に思わず驚いてしまった。その息の白さに寒さを実感し、余計に寒くなった気もする。
手に息を吐いてこすり合わせてみた。
わずかでも暖を取ろうと試みたわけだけどあんまり変化を感じなかったので、無駄な努力のように思えてやめておく。
「琴音ちゃん、遅いなあ」
寒空の下。校門の前で身を縮こませながら小刻みに震えるぼくの脇を、小学生たちが元気いっぱいに走り抜けていく。彼らは見るからに寒そうな半ズボン姿だった。
見てるこっちまで寒くなっちゃうけど、彼らは平気なのかな。数年前までは自分も履いていたはずなんだけど、もうあの頃に戻れる気はしなかった。
「成長して寒さに弱くなった分、衣服は長くなるのだ。どうだ参ったか、小学生」
と、謎のマウントを取ってみる。
もちろん、心の中での話だけれども。
すると、
「なにを笑っているんですか、守屋さん」
汚れを知らないであろう純朴そうな女の子が、すぐ傍に立っていた。
榎本琴音だ。
どうやら顔に出てしまっていたようだ。声もだろうか。なんだかぼくの汚れを見られたような気がして、すこし恥ずかしい。
「男子小学生のこれからの下半身事情を、ちょっとね」
「?」
意味がわからなくて戸惑っているようだった。琴音ちゃんは制服の上から濃紺のコートを羽織り、ピンクのマフラーをぐるぐると巻いて防寒に努めているが、下はスカート姿だ。やはり寒そうに見えてしまう。
考えてみれば、男子はズボンの長さが変わったりするけれど、女子はスカートのまんまなんだよな。あと六年はスカートを履く事になるだろう琴音ちゃんに、エールを送っておくことにしよう。
「じゃあ、帰ろうか」
ぼくの誘拐という名の送り迎えは、まだ続いていた。もう暦は三月を迎えようとしている。琴音ちゃんと過ごす日も数週間を残すばかりだ。ちょっとさみしく感じる。
琴音ちゃんに手を差し出していると、ザッザッザッと靴音が聞こえてきた。と思ったと同時に足元を蹴っ飛ばされる。
「あいたっ」
「毎日きてんじゃねーよ」
そう悪態をつきながら、ぼくを蹴飛ばした男子小学生は走り抜けていく。
「何するのよ! ちょっとー!」
声を張り上げる琴音ちゃんに、
「うっせー。ぶーす」
と遠巻きに叫んでいた。
「お兄ちゃん、大丈夫ですか」
琴音ちゃんは心配そうに駆け寄ってくれる。ぼくはといえば、焦るとお兄ちゃん呼びになるんだなと妙な所を気にしていた。
「大丈夫、すこし小突かれただけだから。彼は──」
「同じクラスの佐々木君です。いつも私にちょっかいかけてくるんです」
去っていった半ズボンの男子小学生。
どうやら、ぼくを敵対視しているように思えた。ふぅむ。これはひょっとすると、ぼくの送り迎えの期間は思っていたよりも短くなるのかもしれないな。
そんな淡い思いに囚われていると、
「守屋さん、蹴られたのに笑ってる」
と、若干引かれてしまった。
……またまた顔に出ていたようだ。
気を取り直し、ふたたび手を差し出す。ぼくの手はすっかりと冷えていたけれど、琴音ちゃんの手はほんのりと暖かかった。ちょっと悪い事をしたような気になる。
「今日は、いつもより遅かったんだね」
「ごめんなさい。卒業式の練習があったんです」
卒業式か。もうそんな時期なんだなあ。
琴音ちゃんは春から私立の中学に通うことが決まっていて、それに合わせて家も引っ越す手はずになっている。小学校が終われば、この誘拐も終わりを迎えるだろう。
お別れだった。
「守屋さん。卒業式も来てくれますか?」
琴音ちゃんの問いにおどろき、考えてみるけれど。親でもなきゃ無理だろうかな。
「ぼくは、その日も普通に学校だよ」
「そうですよね……」
しょんぼりと俯いてしまった。
「卒業式は無理だけどさ。引っ越す前に顔くらいは出すよ」
それを聞いた彼女の顔は、パッと晴れやかなものになった。そうそう、元気を出さなきゃね。まだこれから中学校の周りもぐるりとまわるんだから。先は長いんだよ。
ぼくらは白い息をモクモクさせながら、家路をゆっくりと急がずに大回りで進んでいった。
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