第44話 晴れ女

「あれ、このまえ会いましたよね。ほら、あの雨の日」


 どうやら一也くんはお姉さんと同じく、記憶力が良いらしい。何とこれは厄介な。


「ああ。守屋くんが後ろでウロチョロしてた、あの日ね」

 と鬼柳ちゃんは笑顔で言い放った。


 気付いてたんだね。こりゃまた厄介な。相変わらず目ざとい事だよ。まったく。靴下の濡れ損じゃないか。


「この子ったら。あの日、傘を壊しちゃって。もう。すぐ壊しちゃうんだから」


 腕を組み、困り顔で一也くんを見る鬼柳ちゃん。いつの間にやら、しっかりとお姉さんの顔になっているよ。何だか新鮮味を感じる。


「学校まで走っていこうかと思ったんだけどさ。姉ちゃんが近くにいてラッキーだったな」


 カラカラと笑う一也くんに、

「お姉ちゃんはおかげで濡れました」

 と口をとがらせている。

 

 でもふたりとも笑い合っていた。仲の良い兄弟なんだね。羨ましい。そうそう、羨ましいと言えば。


「一也くんは告白してきたんだっけ。相手は誰なの?」


 好奇心。それとすこし引っかかってもいた。顔は見えなかったけれど、彼女の方もどこかで聞いた声だった気がする。


「松永結愛。部活の先輩です」

 と緩みきった締まりのない笑顔をしている。よほど嬉しかったんだろうな。でも知らない名前だった。


 ぼくの勘違いだったのかな──。


 好奇心は猫をも殺す。分かってはいるけれど、好奇心はぼくを動かしてしまう。松永結愛の姿をひと目、拝んでみたくなってしまった。


 一也くんは部活の先輩と言っていたな。二年、いや三年生だろうか。同学年ならぼくでも分かりそうなものだ。たぶん。鬼柳ちゃんから、一也くんは水泳部だと聞いていた。


「よし、水泳部に覗きに行こう」


 捕まってしまいそうなパワーワードだね。幸か不幸か、夏は過ぎ去っていて水泳部は陸上で練習中だった。水着姿はどうやらお預けのようだ。


 人が寄り付かず、運動場を見渡せる教室の窓際で、ぼくは水泳部の練習を眺めていた。どの女子が、松永結愛なのだろうか。


「相変わらず君は、こそこそと。今度は何を企んでいるのかな、守屋君」


 振り返ると眼を見張るほどの美人が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。ここは音楽室、ここで待っていれば中原紗奈がやってくると思っていた。


 三年の中原先輩はかつて、とある怪談騒ぎの被害者であり、怪談そのものだった。先輩はあれからピアノコンクールに出場し、遺憾なく実力を発揮したそうだ。


 中原先輩はススッと窓際により、ぼくと並んで同じように運動場を見下ろした。突然の接近にドキドキとしてしまう。距離が近いせいか、ふわっと先輩の香りが漂ってきた。なんの香りかは分からないが良い匂いだ。


「いったい君は何を見ていたんだ」


「ええっと……。あそこの水泳部に松永結愛さんがいると思うんですけど、どの人か分かりますか」


 先輩の香りに気を取られていたので、思わず動揺してしまった。


 先輩はニマニマとした表情で、

「ふうん。君はああいう娘がタイプなのか」    

 と言い、悪戯な笑顔を向けてきた。随分と先輩の表情が柔らかくなった気がする。あの怪談騒ぎで、なにかが変わったのだろうか。


 ぼくは、違いますと慌てて否定し、なぜ慌てたのかと自問自答する。だが答えはでなかった。まあ、いいや。


「鬼柳ちゃんは覚えていますか? ほら、あの小さな娘」


「ああ、あの探偵みたいな子か」


 鬼柳ちゃんの探偵としての知名度が上がっているようで、何よりだ。


「その弟と松永さんが付き合っているんです。それでどんな人なのかなと思いまして」


「ふうん、なるほどね。ほら、あの娘が松永だ」


 何がなるほどなのかは分からないが、中原先輩の指す先を見た。彼女が松永結愛なのか。おや、彼女は見覚えがあるぞ。運動しやすいように束ねた髪のせいで雰囲気は変わっているが、あの人懐っこい笑顔は。


 あの雨の日、下駄箱ですれ違ったあの娘だ。愛嬌のある美人さんじゃないか。彼女は相手を笑顔にしてしまう程の、飛び切りの笑顔をもっている。


 ひとり納得しているぼくに、中原先輩は歯切れの悪い言葉を投げかけてきた。


「私がとやかく言うことではないのだが、その……。そう、彼女は……晴れ女と呼ばれている。気を付けると良い」


 どういうことだろう。晴れ女に気を付ける?

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