最終話

一ヶ月後。

 俺は、スーツを着て、都内のオフィス街を歩いていた。

 信号待ちでラインを開くと、2通のメッセージが届いていた。

 1つは、山口からだ。

「よう、久し振りだな。元気か?実は、学校の試験、校内で1位の成績だったんだ。すごくね?さすが俺だよな。で、来週からスイスに一ヶ月程、研修に行く事になった。1位の人に与えられる特権ってやつよ。そこで技術を磨いて、立派な時計職人になろうと思う。戻ってきたらまた飲みに行こうぜ。お前も頑張れよ!」

 自分で自分を「さすが」と言う辺り相変わらずだなと思ったが、それ以上に、純粋に嬉しかった。頑張れよ、と強く思った。

 もう1つのメッセージはイオリからだった。

 メッセージを読むと、俺はすぐにイオリに電話をした。

「はい。」

「よ、イオリ。コンクール入賞おめでとう!」

 イオリからのラインは、その連絡だったのだ。

「ありがとうございます。でも、わざわざ電話しなくても良かったのに…。」

「いいじゃん。電話したかったんだよ。ついでに俺も伝えたい事が2つあるし。」

「2つもあるんですか?」

「なんだよ、駄目か?」

「駄目とは言っていません。」

 俺らのやりとりは、相変わらずこんな感じだった。

「1つめ。俺、Twitterのアカウント消すわ。」

「"メトロノーム男爵"のですか?」

「あぁ。あれ、裏アカなんだよ。もう必要ないからさ。イオリの事は普段のアカウントでフォローしとくよ。」

「わかりました。でも男爵さんの演奏の動画が聴けないのは残念ですね。」

「希望があれば、いつでも弾いてやるよ。で、2つめ。俺、転職するから。」

 少し間が空いて、イオリが言った。

「ピアニストにですか?」

「いや、いきなりそれは難しいかな。でもやっぱピアノは好きだし、今までやってきた仕事も活かしたいから、音楽教室のシステムエンジニアになろうと思っているんだ。」

「そうですか。うん、いいと思います。応援しています。男爵さんならなれますよ。」

「ありがとう。イオリ。俺は人生の要件定義を始めるよ。」

「何ですか?それ。」

 電話口からイオリのくすくすと笑う声が聞こえた。


 "少し止まる"と書いて"歩く"になると、イオリのお母さんは教えてくれた。

 その通りだと思う。

 俺たちは、メトロノームのように、決まったリズムで歩を進める事は出来ない。

 立ち止まったり、休んだりしながら、少しずつ進んでいくんだ。

 信号が青になり、僕は歩き始めた。今日は最初の面接の日だ。

 胸の高鳴りをぐっと抑え、ネクタイをキュッと締め直し、前を向いた。

 今日は、すこぶる快晴のようだ。


 季節の変わり目を告げる風が、俺の前を吹き抜けて行った。

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裏アカ、つくってみた。 はる @reoreomonster

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