第32話

 打楽器と弦楽器の奏でる音楽が、冬の訪れと共に凍えてしまった人々の心を浮き立たせる。

 今の時間帯は昼と夜の交わる黄昏時――今日は待ちに待った星霊祭の日だ。

 星霊信仰の根付くこの土地で星霊祭の中心となるのは、やはり占星術師の聖地でもあるユース学園だ。

 数日前に広場に設置された大きな夜光石は、切り出された幾つもの断面から静かな輝きを放っている。

 リヒトがそれを自室の窓から眺めていると、髪を結いに部屋を出ていたスピカが戻ってきた。

「リヒト、準備出来てる?」

 紫を基調とした踊り子の衣装に身を包み、長い髪には小さな宝石があしらわれた髪飾りを着けている。

 元からスピカは可愛らしかったが、今日の彼女は一際魅力的だった。

 まるでスピカ自身が光を纏う星のようで、これほど素敵な人と共に踊ることができると思うと、リヒトは胸が躍った。

「うん、着替えも終わったよ。じゃあ行こっか」

「あ、待って。もう少し時間あるし、せっかくだから……ほら、これ。この間、街で買ってきたの」

 スピカが机の引き出しから取り出したのは何かの液体が入った小瓶だった。

 とろみのあるピンク色の中身がゆらりと波打つ。

「それなに?」

「口紅よ」

「口紅?お化粧するってこと?」

「そういうこと。今日はお祭りなんだから、うんとおめかししなきゃ!さ、リヒト。こっち座って」

 スピカがリヒトを椅子に誘う。

 素直に従うと、スピカは向かい合うようにリヒトの前に立った。

「ボクにも付けてくれるの?」

「そ。お店で見た時、絶対リヒトにも似合うって思ったのよね――はい、口閉じて」

「ん……」

 スピカの小指がリヒトの唇をなぞる。

 口紅が差された薄い唇は僅かな血色感と艶が足され、それだけでリヒトをいつもよりほんの少し大人っぽく見せた。

「うん、いい感じ!この際だから頬紅と、あと目元もやっちゃお」

 上機嫌で頬紅を付けるスピカ。

「ええ、ほっぺはいいけど、目も?ちょっと怖い……」

「大丈夫よ。はい、今度は目を閉じる」

「うう……」

 怯えるリヒトを無視してスピカが別の入れ物を取り出した。パレットのようなケースには何種類かに分かれた暖色の墨が詰められている。

 それを薬指の先に付けて、リヒトの瞼にそっと乗せる。

 瞼全体を指で優しく撫でるように伸ばすと、温かみのあるブラウンがレモンイエローの瞳によく馴染んだ。

「目、開けて。鏡見てみて」

「わあ……!」

 鏡に写ったリヒトは普段の幼さがぐっと抑えられ、色っぽい瞳と目が合う。

 その姿を見て、リヒトはまるで自分ではないようだと思った。

「どう?」

「感動……」

「でしょ!我ながら上出来。リヒト、お化粧って楽しいでしょ?」

「楽しい!今度ボクも自分でやってみたい」

「ああ、リヒトからその言葉が聞けるだなんて!ふふふ……リヒトがどんどん可愛くなっていく……最高ね」

 怪しげに笑うスピカ。彼女は普段おしとやかに振る舞っているが、楽しい時はこんな表情も見せるらしい。

「なんか……やっぱりスピカ、性格変わったよね?」

「ええ?やだ、リヒトを可愛くするのにハマってるだけよ」

 スピカは冗談のようにそう言いながら自分にも化粧を施していた。その手際にリヒトはまた別の感動を覚えたが、そろそろゆっくりもしていられない時間だ。

「……さて、今度こそ準備終わり。待たせちゃったわね、行きましょ」

「うん。スピカ、ありがとね」

「いいのよ、あたしがやりたかっただけなんだから。――もう外も街の人達が集まって来てるわね」

「本当だ、急ごう」


 寮を出て広場に到着すると、先に集まっていた生徒達が夜光石を囲むように円を作っていた。

 それに倣って二人も円に混ざる。

「わあ、人がいっぱい……うう……緊張してきた」

「年に一度のお祭りだもの、街中から人が集まってるのね。あたしもちょっと緊張しちゃうわ」

「いよいよ本番だね……!」

「そうね、ユキムラ先輩との練習の成果を見せる時よ。頑張りましょう」

「うん!」

 打楽器がドンと合図を告げる。

 二人は足を揃え、星衣をひらりと翻した。

 舞の音頭を取る生徒が手に持った鈴を鳴らして、踊り子達の円が回り始める。

 しゃらん。

――右足、左足、回って腕を振る。

 しゃらん。

――右足、回って、腕を伸ばして宙に翳す……。

 動きは大きく、指先までしっかりと伸ばす。

 ユキムラから習った通り、足元に視線は落とさずしっかりと宙を見上げる。

 スピカの髪が夜光石に照らされて、衣装の紫とよく似た藤色に混ざり、まるで星降りの舞の為に存在する巫女のようだった。

「おい、あの赤毛の子、新入生だよな?」

「ああ、そうそう。確か一年生の次席じゃなかったか?」

「へえ、優秀な奴は舞も上手いんだなあ」

 スピカを称賛する声が聞こえる。

――ボクもそう思う。スピカは、勉強だって、お洒落だって、なんでも出来てすごいんだ。

 リヒトもその声に内心同意しつつ、彼女に負けじと懸命にステップを踏む。

 星衣を操るリヒトの横顔は、艶やかさすら纏っていた。

「その後ろの金髪の子も頑張ってるぞ。赤毛の子ほど余裕は無さそうだが」

「いやいや、その一生懸命さが惹かれるだろ」

「今年はみんな上手ねえ」

 街から集まった市民やユース学園の生徒達は、その様子をうっとりと眺めていた。

 そして、踊り子達が星降りの舞を踊り始めてから十二周目を迎えた時のことだった。――突如、夜光石が強い輝きを放った。

「ッ……なに……?」

「ま、眩しい……!」

 突然の出来事に新入生達は戸惑っていたが、上級生達や外からやってきた市民は大盛り上がりだった。

「星々がおいでになったぞ!」

「星霊祭の始まりだ!」

 反応を見るに、どうやらこれでらしい。

 舞は沢山練習したが、ユキムラから星霊祭の流れについては聞いていなかったことを、リヒトは今更ながら思い出した。

 あまりの眩しさに目を細めたまま夜光石に視線を向けると、これまでに見たことのないエーテルの激流が起こっていた。

 同時に、両耳を駆け抜ける声にリヒトは圧倒された。――が、すぐに我に返る。

「スピカ、見て!ものすごく強いエーテルが夜光石に集まってる」

「やっ……ば……なにこれ……」

 流石のスピカも、口をあんぐりと開けてそれを見ていた。同様に反応している生徒達にも恐らく同じ光景が見えているのだろう。

「――あれ?でもこの感じ、なんか知ってるような……」

 エーテルの量こそ初めて見たものの、この声自体には聞き覚えがあった。

 瞬間、記憶が呼び起こされた。

 今聴こえているこの声は、いつかの放課後、リヒトを観測室に呼んだ声によく似ていた。

 すなわち、それは――星霊の声。

「今年も無事に十二星霊がおいでになった」

「ありがたや、ありがたや……」

 宴の始まりに沸く星々の声。その合間に聞こえた単語を、リヒトは聞き逃さなかった。

「十二星霊……!?」

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錬金術師になれなかったので占星術師を目指すことにしました 八ツ尾 @utakata_komachi

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