【二章】黄金の天秤

第24話

 薄暗いホールに足音が響く。

 天井は高いがその分窓も遠く、降り注ぐ光は頼りなく室内を照らしている。

 少し焦げたナナカマドの杖を抱き、少女はやってきた。レモンイエローの瞳には緊張の色が滲んでいる。

 相対するのは銀髪の青年。彼は少女の覚悟を確かめるように口を開いた。

「準備はいいですか、リヒトくん」

「――はい。お願いします!」

 リヒトがこれから挑むのは五等星への昇級試験。自分の占星術師としての力を試す初めての試験だ。

 背筋を伸ばし、アンライトがリヒトを凝然と見つめている。いつもの優しげな表情とは少し違って、今日の彼は少し目が鋭い。

 ここには彼の他に二人の男性がいる。

 占星術師の資格は国で公的に認められている国家資格であるため、その試験は公正に行われなければならない。故に、不正が起きないよう国から派遣された試験官が複数同席するらしい。

「よろしい。では、杖を見せて」

「は、はい」

 リヒトは言われた通り、杖を横向きに構えてアンライトに見せた。杖の両端に嵌め込まれた夜光石がきらりと輝く。

「うん、杖に問題は無いね」

 不正の原因は杖も例外ではない。何かしらのが無いか、よく確認している。

 アンライトの影に合わせて夜光石がちらちらと光を飛ばす。星の輝きを溜めて光るこの石は正真正銘の夜光石だ。

 この場所が暗いのはこの光を、そしてを見逃さないためであろう事に気付いた。

「初めに説明した通り、五等星への進級試験では得意属性での占星術を見せてもらいます。リヒトくんは光属性だったね?」

 アンライトの問いに頷くと、彼は視線を外さないまま続けた。

「では―リヒトくんのタイミングで始めてください」

「分かりました。……まずは―」

―まずはエーテルを集める。

 小さな声が幾重にも重なり、リヒトを包む。それがバラバラに散ってしまわないよう、注意深くエーテルの流れを感じ取る。

 ここまでは順調だ。

「ほう……」

「一年生のこの時期でとは中々ですねえ」

 アンライト以外の二人からの言葉に舞い上がりそうだったが、気を抜いている場合ではない。

 現に、評価担当であるアンライトの双眸そうぼうは変わらずリヒトの動きをじっと追っている。

 汗が背を伝った。

―駄目だ、集中しないと……!

「つ、次は――」

 杖に光のイメージを乗せる。

 瞼の裏にあるのは光のヴェール。

 強く願った途端、エーテルが色を変えた。リヒトの髪色よりも一際明るい、白色のエーテルだ。

 リヒトは出来上がったイメージを形にすべく、杖を高く掲げた。杖の先から一筋の光が天井を目掛けて昇っていく。

「まっすぐ昇って……それから、広がる」

 リヒトの言葉を合図に、ふわりと柔らかな光が広がった。これはあの日、校舎裏で一人練習をした時の応用だ。

「部屋が少し暗かったので、明るくしてみました」

 薄暗かったホールが照らされ、その場にいる四人の姿がはっきりと視界に映る。

 目が合ったアンライトの表情は―――いつもの穏やかな笑みを湛えていた。

「……素晴らしい。この短期間で良くエーテルの扱いを身に付けましたね」

「っ、あ、ありがとうございます……!」

「さて、評価担当の私としては合格点をあげたいと思いますが……そちらのお二人はどうですか?」

 アンライトが振り返り、試験官二人に問いかけた。試験官二人はそれぞれ手帳に何かを書き込んだ後、リヒトに視線を向けた。

「ええ、自分の得意属性をよく理解していますね。これからは、より繊細な術の使い方を考えてみてください」

「エーテルの流れに少々の無駄がありました……が、まあ良いでしょう。今後の成長に期待しています」

 厳しくも優しい評価にリヒトの緊張が少し解けた。

 しかし、重要なのは結果だ。

 期待を隠し切れない声色でリヒトが訊ねる。

「そ、それで、試験の結果は……?」

 答えは三人同時に返ってきた。

「もちろん、合格です」


 ホールを出て深く息をつく。

 追い掛けるように心臓が高鳴った。

「……はぁ……どきどきした……昇級試験ってあんな感じなんだ」

 自分を見つめる試験官達の鋭い眼差しと、一挙手一投足に点数が付けられる初めての経験に、体は想像以上に固くなっていたようだ。

 杖を握っていた手が震えている。それをもう片方の手で押さえるように包んだ。

 そのまま数歩進んだところで、二つの足音がぱたぱたと近付いてきた。

「リヒト、お疲れ様!」

「―スピカ、待っててくれたの?」

「そんなの当たり前でしょ。三人一緒って言ったじゃない」

「今日の昇級試験はリヒトが最後みたいだね」

「早めに来たつもりだったけど、他のみんなも今日受けていたみたいだね。いやあ、本当に緊張したよー……」

「僕も試験中ずっと手が震えていたよ」

「それで、どうだった?」

 二人が期待の眼差しでリヒトを見る。

 それに応えるように手でVサインを作って、誇らしげに笑う。

「合格!」

「やったわ!これで三人とも五等星ね」

「さすがリヒトだね」

 昇級試験を終え、一区切りついたリヒト達は、次の休日に三人で出掛ける約束をした。


 休日はいつもより一時間遅く鐘が鳴るのだが、朝に強いリヒトは寝坊することなく目を覚ました。

 出掛けるにはまだ早い。リヒトはスピカを起こさないよう、そっと部屋を出た。

「ん、ん、んー……」

 顔を洗った後、鼻歌交じりに鏡と向き合うリヒト。その手はバターブロンドの髪を梳いている。

 櫛を置いて、リボンを手に取ると、いつものサイドテールではなく、三つに分けた毛束と一緒に編み込んだ。

 先日、『罰ゲーム』と称して施した三つ編みを今度は自ら行っているのだ。

 ギーゼラからもらったリボンは一本しかないので、もう片方はそのまま三つ編みにする。

 出来上がった髪型を確認する為に一人、静かな洗面所で鏡を独り占めする。

「うん……いい感じ、かな?」

 スピカやフォスが褒めてくれたから、せっかくの外出だから、しようというリヒトのいじらしい行動だった。

「……おはよう。何してんの」

「ひゃっ!?」

 後ろから不意に話し掛けられ、間抜けな声が出てしまった。

「ごめん、そんなに驚くとは……」

 鏡越しに対面した相手はあの黒髪の少年だった。緩くうねった髪が寝癖で少し絡まっている。

「いや、ボクの方こそ占領しちゃっててごめんね。洗面所使いたかったんだよね?」

「悪いな、もういいのか?」

「うん、支度終わって一回部屋に戻るところ」

「そっか。じゃあまた、学校で」

 黒髪の少年に手を振って別れると、リヒトは宣言通り部屋に戻った。

 いつも同じ教室で勉強しているはずだが、二人だけで会ったのは今日が初めてだった。

「……そういえば、あの人の名前、知らないや……」

 少し無愛想だったが、悪い人には見えなかった。

―また、学校で。

 胸の内で呟いた言葉は、ついさっき彼がリヒトに言ったものだ。また会えることが何だか嬉しかった。

 窓の外を見ると起きた時より陽が高くなってきた。もうじき起床の鐘が鳴るだろう。

「先に着替えて準備しちゃおうかな」

 クローゼットを開けて、入学前にギーゼラから何着か持たされた洋服を取り出す。

 どれもこれも、レースやフリルがあしらわれていて、とても可愛らしい。

 当時服飾に興味の無かったリヒトの代わりに、彼女はいつも吟味して用意してくれていた。

 あのパブを離れてからも、こうして彼女の愛に気付くことが出来る。

「……でもこのことに気付けたのはスピカのおかげだね」

 リヒトはまだ夢の中にいるスピカを優しい眼差しで見つめた後、リボンに似た色の青いブラウスと白いスカートを手に取った。

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