第22話

 観測室の扉を開ける。

 部屋の中心に積まれた夜光石から強い光が放たれていた。

 入学式の日に観測室から漏れていた光を見たことを思い出した。

―呼ばれている。

 一歩、二歩と前へ出た。

 扉から手が離れる。

 支えを失った扉はゆっくりと閉じ、リヒト閉じ込めてしまった。

「誰……?」

 観測室には誰もいない。

 当然、答える者はいない――はずだった。

『……初めまして。小さな星詠みよ』

 いつもの星々が囁くような声とは違う、はっきりと意思を持った声だった。しかし、その姿は靄のようで輪郭が分からない。

 返答したのが人ではなかったことに少々驚きはしたものの、リヒトは目の前にいる存在を真っ直ぐに見つめた。

「ボクはリヒト。……あなたは?」

『君の輝きはまだ弱い。―だが、きっとすぐにまた会える』

 それはリヒトの問いかけに答えてはくれなかった。はぐらかされた様子はない。

 ただ、―それだけだろう。

「あなたの姿がよく視えないのは、ボクがまだ六等星だから?」

『そうだね。君の輝きがもっと強くなったなら、私の名を預けよう』

「名を、預ける……?」

 彼の言っていることはよく分からなかったが、とにかく占星術師として成長し、昇級することを望んでいるらしい。

「どうしてボクをここに呼んだの?」

『なに、をしにきただけだ。あの時、君だけが私に気付いただろう?』

「やっぱり、あれはあなただったんだね」

『そろそろとばりが降りる頃だ。待っているよ、小さな星詠みよ』

「待って……!ボクはまだ聞きたいことが―」

 夜光石が瞬く。

 その眩しさにリヒトは思わず目を瞑った。

 再び目を開けた時、彼は既に姿を消していた。

「一体……何だったの……」

 嵐のような出来事だった。リヒトはしばらくその場に留まり呆然としていたが、校内に響く鐘の音で我に返った。

「――荷物、取りに戻らなきゃ」

 来た道を戻りながら考えを整理する。

 意思を持った星の声。星霊学で習った通りならば、あの声の主こそが星霊だろう。

 星光信仰の文化がある占星術師にとって、星霊とはまさに他宗教にとっての神に等しい存在だ。

 本来畏怖すべき存在だったのだろう。今更になって冷や汗が頬を伝った。

「星霊……ってことは、あの声の主は星座の意思そのもの。危ないことにならなくて良かった……」

 その星霊がわざわざ自分を呼び出したこと、をしにきたと言っていたこと、そして名を預かるという言葉の意味。

 分からないことだらけだ。―星霊学担当のアンライトならば、望む答えを持っているだろうか。

 ぐるぐると考えを巡らせている内に教室に着いていた。教室は出た時と変わらず無人のままだった。

 広げっぱなしの教科書やらノートを一纏めにし、胸に抱える。職員室へ寄ってアンライトに今日のことを話そうかと思ったが、時間も時間だ。

「……よし。今日はもう寮に帰ろう」

 教室を出たところでアンライトと鉢合わせた。今夜も彼は見回りのようだ。

 これも星の巡り合わせというやつか。

「おや?またまたリヒトくんだね。今日もここで自習ですか?」

「アンライト先生。はい……そうです」

「浮かない顔ですね。どうかした?」

「あの、聞いて欲しいことがあるんですけど!」

 リヒトは思い切って切り出した。

「はい、なんでしょう……と、教室はもう閉めちゃいますから、場所を変えようか。寮の談話室でいいですか?」

 そう言ってリヒトを教室の外に促すと、ローブから鍵束を取り出して教室を施錠した。

「で、できればあまり人がいない方がいいです……」

「……一応言っておきますが、先生は生徒をそういう風な目では―」

「違います」

「はは、すみません。ふざけてみただけです。―真剣な話ということであれば自習室に行きましょうか。あそこなら人も来ないし、色んな意味で安全です」


 アンライトに連れられてやってきた自習室は、小さいが個室になっている分、周りに会話を聞かれにくい。ましてやこの時間帯ならば人も少なく、リヒトの話が漏れ聞こえることはそう無いだろう。

「――それで、お話とはなんでしょうか」

「先生は、星霊と会ったことはありますか?」

「え……」

「ボク、さっき星霊に呼ばれて観測室に行きました。そしたらエーテルの塊みたいなものがいて……をしにきたと言われました。それと、昇級して占星術師として成長したら名を預けると」

 そこまで言ったところでアンライトが口を挟んだ。

 その瞳には驚愕と焦りが滲んでいる。

「待つんだ。リヒトくん、星霊に会ったというのは本当かい?」

「本当です。姿ははっきりと視えませんでしたが……」

 それを聞いてアンライトはぶつぶつと何かを呟きながら狭い自習室を歩き回り始めた。

「まだ六等星の子に星霊が……?どれほどの力を秘めているんだ……というか、リヒトくんには星霊が視えているのか?」

「あ―はい。先生の傍に何かがいるのも分かります」

も?そうか……取り乱して申し訳ない。本当は二年次の単元で教えるつもりだったんだけど……順を追って説明しようか」

 アンライトはいつものように早口ではなく、リヒトがきちんと理解できるよう、ゆっくりと説明してくれた。

 アンライトの説明によると、占星術師は星霊と契約をすることで力を借りることが出来る。ただ、星霊はある程度力のある術師でなければ契約には応じないそうだ。

「四等星くらいまで昇級できれば契約に応じてくれる星霊もいるけれど、十二星霊のような高位の星霊と契約している占星術師はほとんどいない」

 アンライトは更に続ける。

「それと名を預かる、と言っていた件だけど、星霊と契約する時、占星術師は星霊の名前―言わば真名の代わりに呼び名を付ける。それが契約成立の証だ。きっとそのことを言っているんだろう」

「じゃあ、あの星霊はボクと契約をするつもりだったけど、ボクがまだその資格を得ていないから……」

「うん、それで予約と言ったんだろうね。リヒトくんに会いに来たのがどんな星霊かは分からないけど、星霊に選ばれること自体はとても光栄なことだから、不安に思う必要はないからね」

「そう、ですか……」

 肩の力が抜けた。敵意は感じなかったとはいえ、やはり特別な体験をしただけに体は緊張していたらしい。

「一応、二年生になったら星霊召喚の儀式も授業でやるからその時にまた会えるかもね」

 そう言ってリヒトに笑いかけた。

「さあ、今日はもう遅いから寮まで送ろう。寮母さんには上手く言っておきます」

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