第七夜

 帰宅した私は、父に勘付かれないようにいつも通り過ごすが落ち着かない。

 居ても立っても居られないので、早めにベッドにもぐりこんだ時だった。

 ついに事が動く。

 何者かが研究所に置かれたクマの人形を持ち出し、蓮に手渡す。

 一連の行動がクマの瞳を通じて私に伝わり、ますます落ち着かず眠れない。

 時計が夜中の2時を過ぎた頃、蓮から預かったスマホが振動する。


『寝てるか? 鍵あったぞ。

 クマの肩にゴムが入ってて伸びるようになってた』


 文に続いて写真が表示される。

 人形の肩部分が伸び、その内側にびっちりと入った綿と鍵がちらりと見える。

 よく出来ている。

 私が手に持った時には全く気付けなかった。

 送られてきた内容に目を通した後、私は蓮に返事を打つ。


『ありがとう。眠れない』


 すぐに蓮から返答がある。


『明日は上手くいく』


 蓮の言葉を胸に私は目を閉じる。

 しばしの浅い眠りを経て、私はうっすら外が明るくなってきた朝方に目を覚ます。

 正直なところ、緊張で体が強張ってよく眠れなかった。

 まだ父も起きておらず家は静かなので、今のうちに身支度を整える。

 すると私が向かい合っている鏡台の上で2台あるスマホのうちひとつが震える。


『起きてるか? 予定通りいけそうか?』


 震えたのは私のスマホではなく、蓮から預かった方だった。

 私はそのスマホを手に取って『予定通りで大丈夫』と蓮に返信する。

 自分の用意もすっかり終わって手持ち無沙汰にスマホをいじっていると、父が起きて支度している音がしてくる。

 あともう少しで計画が始まる。

 これでついに母のことが知れるという嬉しい気持ちと同じくらい不安がどんどん大きくなる。

 もし本当に父が人体実験をしていたら……。

 私の部屋の戸がノックされる。


「未花、仕事に行ってくるよ。

 今日は出かけるんだったかな?

 気をつけて行くんだよ。

 じゃあ、いってきます」


「いってらっしゃい」


 私の声、震えてなかったかな。

 父の足音は階段を降りてどんどん遠ざかり、玄関の扉が閉まる。

 車のエンジン音が聞こえたと同時に私は部屋を飛び出し、玄関へ急ぐ。

 玄関にあるのぞき穴から父の車がないことを確認し、扉を開ける。

 蓮が私の家へ走って来るので、私は挨拶を交わす。


「おはよう」


「ああ、おはよ。

 これがクマと鍵なんだが……」


 言いよどむ蓮の手に乗せられていた鍵はひとつではなかった。

 小さな鍵が三本。


「今朝、中から取り出したら全部で三本あったんだ。

 時間はある。

 慌てず一本ずつ確認しろ」


「……うん」


「未花。

 おい! 未花!

 こっち見ろ」


 私は蓮に大きな声で呼ばれて、はっとして彼の顔を見る。


「大丈夫か?

 今ここでやめてもいいんだぞ?」


「大丈夫!

 ここまで来て引き下がれない」


「無理はするな。

 後でな」


 蓮は私の肩をポンとたたき、予定通り父の動向を見守るため自分の車に戻った。

 私はリビングに行き、そこで父の仕事部屋に付いているセキュリティロックの解除を試みる。

 クマと三本の鍵は一度床に置き、蓮から教わった四桁の番号をひとつずつ確実に入力する。

 緊張で震える手で最後の数字を入力すれば、カチャという音が響く。

 開いた。

 蓮が調べた暗証番号は合っていた。

 すかさずポケットに入れていたスマホを開き、蓮に知らせる。


『ドア開いたよ! 暗証番号は合ってた!』


 私はスマホをポケットにしまう。

 床に置いたクマと鍵を拾い上げて仕事部屋に踏み込む。

 部屋は薄暗かったが、奥側に配置された窓から差し込む朝の光が部屋を見える程度には明るくしている。

 窓の前には、SCTを施す時に使う医療ポッドが2個、それらが繋がったパソコンが1台ある。

 壁沿いに本棚が並び、一番手前に書類が大量に乗った重厚な机がある。

 私はクマの人形を積み重なった紙の上に置き、重要な文書が入っていると思われる引き出しを探す。

 座る側に回り込むと、目当ての引き出しはあっさりと見つかった。

 机の一番上の引き出しに鍵穴がある。

 この引き出しで間違いない。

 私はひとつ目の鍵を使って引き出しを開けようとするが、鍵穴に鍵が入らない。

 これではない。

 直後、突然頭痛に襲われる。

 緊張して体調に異変が起きてしまったのか。

 痛い頭をおさえながら二本目の鍵を手に取る。

 鍵を差し込もうとした時、スマホが揺れる。

 蓮からの電話だ。


「所長が戻って来てる!

 もう戻ってくるまでに二、三分しかない!

 クマも鍵もそのままにして、今すぐ部屋を出ろ!」


「そんな!」


「急げ!」


「わかった!」


 通話を切る。

 口では分かったと言いつつも、何も得ないで部屋を出るわけにはいかない。

 私は焦りながらも二本目の鍵を使って、開錠を試みる。

 鍵は見事に鍵穴に納まり引き出しが開く。

 私が引き出しを一気に開けると、中にはクリアファイルがひとつあった。

 ファイルの表紙には私の顔写真が貼られた紙。

 その下に『白井美月しらいみつき』とある。

 自分かと思いきや、別人で驚く。

 このよく似た人が私のお母さんなんだ。

 時間がないことを思い出し、その下にある書類だけ確認する。

 大きな文字でこう書いてあった。


『クローン計画』


 ……どういうこと?

 私はクローンなの?

 お母さんは?

 私は『白井美月』のクローン?

 混乱の真っただ中にいた私だったが、ポケットにあるスマホの振動で我に返る。

 もう本当に時間がない。

 引き出しを乱暴に閉め、父の仕事部屋を慌てて出る。

 仕事部屋から出ると、すぐに車の音が聞こえて家の前で止まった。


 逃げるほどの時間はない。

 高鳴る心臓、荒くなる呼吸、泣きそうな気持ち。

 その全てを抑え込み、ソファに何事もなかったかのように座る。


 それからいつもより乱暴に玄関が開き、父はリビングにいる私を無視して仕事部屋になだれ込む。

 いや、こちらを一瞥したかもしれない。

 部屋からは暴れるような大きな音がする。

 同時に二重だった私の感覚が全て消える。

 私はSCTを施したクマの目が壊れたのだと悟る。

 きっと父は、私が縫い直したクマの目にチップがあると気付いたのだろう。

 程なくして父が部屋から出てきた。

 何も言ってこないと思っていたら、私は父に右肩を叩かれる。

 右から声をかけていたのかもしれないが、私にその声はもう届かない。

 私は振り返り、両目で父の目を見返し笑う。


「どうしたの?」


「未花、目は……いや、仕事部屋に入ったかい?」


「ううん、入ってないよ」


「そ、そうか……」


 父はきっと目を失った器官だと勘違いしている。

 でも私が失った器官は右耳。

 証拠は何もない。

 私はそのまま家を出た。


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